高野秀行 『コロナ感染の歩き方』その2 宿泊療養から退所まで◎必須持ち物リスト付き
高野秀行 『コロナ感染の歩き方』 その1 体調異変からPCR検査、 陽性確認・自宅療養まで はこちら
「コロナ感染の歩き方」第2弾! 常日頃、未知を追い求め続けてきたノンフィクション作家・高野秀行は、まったく求めていなかった未知のウイルスに感染してしまった。4日に渡る自宅療養からついに療養施設へ移送されることに。果たしてそこはどんなところでどんな対応なのか? 都会の真ん中にポッカリと生まれた秘境に向かう高野秀行。療養施設の現実はいかに?
高野秀行(ノンフィクション作家)
前回はコロナ発症から陽性判明、そして自宅療養(家庭内隔離)までを紹介した。今回は宿泊療養である。すでに1年以上、東京都だけでも7月15日までに約4万人が利用している(東京都保健福祉局のHP)そうだが、その具体的な療養状況は一般の人には未知といっていい。現在は軽症・中等症の陽性者は基本的に宿泊療養させることになっているが、感染者の急速な拡大により自宅療養に切り替えるという話も出ており議論を呼んでいるが、そもそも宿泊療養が何かわからなければ議論しようもない。
「知られざる秘境」へみなさんをご案内したい。
<第3フェーズ> 自宅療養→宿泊療養
【宿泊療養の大まかな流れ】
第1日(発症4日目) 午後、アパホテル新宿御苑前に入る。倦怠感がひどく頭痛がするが平熱。
第2日(発症5日目) 夜中に咳の発作。平熱(ホテルに入ってからずっと平熱だが頭痛止めに鎮痛剤(解熱剤)を飲んでいたせいかもしれない。妻がPCR検査で陰性と判明し、ホッとする。
第3日(発症6日目) 私の二日後に感染した友人のCさんが偶然同じホテルにやってくる。「差し入れ?」をいただく。
第4日(発症7日目) 頭痛がなくなったので、解熱剤(鎮痛剤)の服用をやめる。
第5日(発症8日目)
第6日(発症9日目) 初めて「差し入れ」をしてもらう。
第7日(発症10日目)
第8日(発症11日目) 退所(なぜか東京都の宿泊療養は、ホテルから出るときを「退所」と呼ぶ。ジャニーズのようだ)
【自宅からホテルへ】
第1日/発症4日目
宿泊療養の開始は一種の旅であり、ここは時系列で書いておく。
【6:00頃】汗びっしょりかいて目を覚ます。体温を測ると平熱だが、いったん上がってから今下がったという感じ。倦怠感が強く、喉がちょっと締め付けられるよう。頭痛は多少軽くなった。鼻の奥に何か詰まっており、呼吸するごとにケミカルな異臭を感じるのも昨日と同じ。
おかゆと味噌汁の朝食をとる。美味しく食べられたが、食後は疲労困憊で動けない。食べた直後に下痢。やはり下剤を飲んだかのような激しくてさっぱりした下痢である。
ぐっすり眠るが、起きても気分がよくない。首の周りからもわっとくるような頭痛とだるさで、まるで発症初期に戻ったかのよう。
【14:00】旅支度を再開するが、ちょっと動くだけで息が切れてしまう。肺がやられているのだろうか? 血中酸素濃度を測りたいが、パルスオキシメーターはまだ届かない…。
【15:30】東京都保健福祉局の指示通り、迎えの車が家の前まで来る。あまりにだるくて「このまま家にいたい」と思うが、そうもいかない。妻に電話で別れを告げ、ゾンビのように屋外へ出る。
なぜか関西訛りのドライバーさんとピカピカのワンボックスカー(おそらく日産セレナ)が待っていた。車内は運転席と後部座席がビニールの膜で仕切られている。「もう一人相客がいる」というので3列目に腰を下ろす。ある意味、未知の旅。見慣れた町並みもまるで外国人の目から見た風景に見える。
高速を使わず下の道をうねうねと走り、中野区の住宅街で「相客」をピックアップ。三十歳前後とおぼしき男性。陽性仲間なので気兼ねなく接することができるはずだが、もちろん会話はない。
【16:20頃】アパホテル新宿御苑に到着。エントランスにもセレナの新車が停まっていた。東京都はこのために大量にセレナを購入したのだろうか?
入口は大きなゴミ箱が何十も両脇に並んでおり異様。ブルーシートやビニールが張り巡らされ、なんだか危険な場所へ来てしまった感があるが、原発などとちがい、汚染されているのは私の方である。
ロビーは仮の工事で設えたのだろう、板(ベニヤ)の壁で仕切られ、陽性者が歩ける範囲は狭い。壁の向こうはどうなっているのかわからない。閉め切った窓口から女性が「デスクの上に並べてある封筒のうち、ご自分の名前が書かれた封筒と水をもって部屋にあがってください。ルームキーは封筒の中にあります」と指示する。まるでスパイ大作戦のよう。
言われたとおり、A4封筒とペットボトルの水をとり、封筒の表に記された自分の部屋(1326号室)へ上がる。13階は最上階だった。
室内はこじんまりとしているがセンスよく、快適。
アパホテルを利用するのは初めてだったが、ツーリスト向けのプチホテルによくあるような部屋だった。ビジネスホテルよりやや広く、小ぎれいで閉塞感がない。予想通り、一般のホテルにあるものはほとんど揃っていた。
大画面のテレビはベッドに寝たまま見ることができる。
ミニ冷蔵庫の中。右上に冷凍スペースがあり、強度をMAXにすると冷凍されるようだ
シャンプー、リンス、ボディソープは常備されていた。
ミニ冷蔵庫(冷凍ルーム付き)、お湯を沸かす電気ポット、大画面(40インチ?)のテレビ、バスルームにはボディソープ、シャンプー、歯磨きセット、紙コップ2つなど。ただしタオルの類いは一切ない(バスマットだけ用意されていた)。プラスチックやガラスのコップ(カップ)もない。
大きな鏡のついた壁に作り付けのデスクに腰を下ろし、スパイ封筒を開ける。さまざまな任務(?)がかかれたA4の書類が約20枚、パルスオキシメーター、そして折り鶴。折り鶴? なんだろう、これは。「オモテナシ」だろうか? とりあえず羽根を広げてデスクに飾る。
倦怠感と息切れがひどかったので急いでパルスオキシメーターで計る。95以下の数値になると、肺の機能が下がっているとされるらしいが、結果は「99」と絶好調だった。この機械で計らず、自分の感覚だけに頼ると「重症化しているんじゃないか」という妄想に襲われ、ますます息が切れやすくなる。パルスオキシメーターは必需品だと今さら再確認。
封筒に入っていたオモテナシ?の折り鶴
小池百合子都知事から手書きメッセージのコピーが同封されていた。内容はご挨拶
書類をパラパラめくり、重要なもの(ホテル療養のルールや健康管理関係)とそうでないもの(小池百合子都知事の直筆のお手紙のコピーとか一般的なコロナ感染予防ガイドなど)を選り分ける。
ホテルのルールと健康管理に目を通し、「え、そうなのか!」といろいろ驚いていると、東京都の事務局から電話がかかってきて、同じ内容が伝えられる。
主なものは以下の通り。
・スマホからLAVITA(ラビータ)という健康管理報告サイトに登録。
・1日3回の食事は1階ロビーまで自分で取りに行く。ゴミなどはそのときに持っていって入口のゴミ箱へ捨てる。
・デリバリーやネット通販の禁止。差し入れの規定(後述)
・シーツなどリネン類の交換はない。
次に東京都保健福祉局の担当者からこれまでの経緯と今後の健康観察についてレクチャー。
・毎日朝7時と夕方4時に体温と血中酸素濃度をはかり、ラビータに打ち込む。また、「息苦しさ」「頭痛」「下痢」など各種症状の有無についても記入する。
・37.5℃以上の熱が出たときには連絡(内線5)。
・退所については、発症後10日以上が経過し、最後の3日(72時間)は平熱であることが条件。
最後に、「宿泊療養施設利用の同意書」にサインし、夕食時に1階ロピーの箱に提出して、チェックイン(入所)の手続きは終了である。
【18:00】「夕食のお時間です……」と場内アナウンスが流れる。部屋の外へ出ると、幽霊のようにふわーっふわーっと無言で人がエレベーターの前に集まってくる。でも、どの人も異様に大きく距離をとっている。「シャバ」ではあれだけソーシャルディスタンスと言いながら電車でもエレベーターでも体を接近させていたのに。今さら距離をとる必要はないのに。みんな陽性者なんだから。
エレベーターに乗り込んでも無言、無表情。この後、毎日三回ずつエレベーターに乗ったが、本当に誰も何もしゃべらない。「4階お願いします」とか、「開く」ボタンを押し続けてくれている人にお礼を言うとか、下りるときに前の人に「すみません」と呼びかけてどいてもらうなんてこともしない。中には具合が悪い人もいるのだろうが、見た感じでは全然わからない。一度だけ咳をしている人を見かけたが、その人のみ。今回流行しているコロナ感染で軽症・中等症では咳はメインの症状ではないようだ。
実は「他の宿泊者と話をしてはいけない」というルールがあったのだが、私は3日ぐらいそれに気づかず、積極的に挨拶したり、ときには言葉を交わしたりしていた。リネン類を持っている男性を見かけたときは「リネンを交換できるんですか?」と話しかけた。すると、その人は「いえ、できません。私は今、これから退所なんです」と答えた。なんでも、その人は熱が2日下がってもまた上がったりしてなかなか完治に至らず、結局13日も滞在したという。「そうか、熱がぶり返してそんなに長引くこともあるのか」と思ったのだが、こういう会話も実は禁止されていたのだった。陽性者同士で感染の恐れはないし、情報交換はした方がいいと思うのだが……。
宿泊者の年齢層は若い。印象としては最も多いのが30代、次はその前後の20代と40代。このあと約1週間の滞在中、私と同年配(50代)か上の人は二、三組しか見なかった(なぜか50代ぐらいのカップルを2組見た)。
こういった人々がゾンビのようにふわーっと集まり、1階ロビーで無言のまま弁当と水をとり、そのままエレベーターにのってまたふわーっと各階へ去って行く。まさに陽性ゾンビの群れ。私も立派なその一員なのだが。
食事タイムは1日3回1時間ずつ設けられている。朝8時〜9時、昼12時〜1時、夜6時〜7時。その間に弁当を取りに行くことができる。それ以外の時間は部屋から外に出ることは禁じられている。最初の日、私はそのルールがわかってなくて、食事時間外に同じ階の廊下をうろついてしまったことがあるが、エレベーターは止められていた。
Wi-Fiはひじょうに快適だった。私は体調がよくなってからはミャンマー語のオンラインレッスンを受け、都内在住のビルマ人の先生とミャンマー国内に住む先生の姪御さんと同時に話をしたが、全く問題がなかった。
<ホテルに来てよかったこと>
・家にいるときは何をするにもいちいち消毒したり妻に頼んだりしなければならず、かなりストレスを感じていたが、ホテルでは丸ごと隔離されているので、そういう気遣いはいらなくなった。後で聞くと、妻も私が出て行って「ホッとした」そうだ。ちなみに、私が隔離されていた寝室は窓を開け放って数日放置しておき、その後で掃除や片付けをしたらしい。
【宿泊療養の変化は症状の変化のみ】
いったんホテルに入ってしまうと、生活と行動はすべて東京都の管理下におかれるので、考えること(選択肢)は極端に少なくなる。まるで時間が止まったかのように感じられた。
日々の変化は症状の変化のみとなる。私の場合は徐々に頭痛と咳が収まり、快復していった(ただし強い倦怠感と息切れ、そして下痢はだいぶ長く続いた)。宿泊療養が快適かどうか、辛いかどうかはひとえに感染者個人の病状による。
というわけで、この後は時系列でレポートするよりもテーマ別にした方がよさそうだ。
<食事の満足度は体調次第>
ホテルによってちがいがあるだろうが、アパホテルの弁当は総じて美味しかった。アパホテルの工場で製作されたものだ。和食、洋食、辛くないエスニック風など工夫を凝らしている。揚げもの中心ということもない。キャベツサラダとデザート付きである。メニューの内容も紙に記されており、嫌いなものやアレルギーのあるものは避けられるようになっている。
私は食べなかったが、アパホテルの社長が開発した「アパカレー」が提供されることもあるらしい。友人Cさんによれば「とても美味しかった」とのことである。
各階には電子レンジが2台ずつ置かれ、弁当を温めることもできる。ただ、私は1回しか使用しなかった。私は冷や飯がけっこう好きで、温めるのが面倒くさかったからだが、他に誰かレンジを使っているのを一度も見たことがない。体調が悪くてそんな気力が沸かないのか、あるいは他の人と顔を合わせたくないからかもしれない。
弁当以外のチョイスとしてはカップ焼きそばが2種類(UFOとマルちゃんの「ごつ盛り塩焼きそば」)用意されていたので、私は朝は焼きそばを食べることが多かった。焼きそば以外のカップ麵は用意されていないし、差し入れも禁じられている。理由は「汁を捨てると流しに詰まるから」。
その他、栄養補給ゼリーとおかゆのレトルトが1種類ずつ弁当コーナーに用意されていた。おかゆは自分で茶碗か深皿を用意していないと食べられない。
私はホテルに入ってからはもう熱が上がらなかったため、弁当は美味しく食べられた。さすがに初期の数日は一日3回、米のご飯は喉を通らなかったので、一日2回ぐらい食べた。その後も随所にカップ焼きそばを織り交ぜた。
料理自体は美味だが、ニンニク、生姜、唐辛子、ネギなど薬味やハーブ、刺激物の類いは一切使用しておらず、弁当の常として味がやや濃いめであるが、体がある程度快復していれば誰にでも食べられる優れた食事だと思う。
ただし、体調が戻ってない人は別。友人Cさんはホテルに入ってからも熱が続き、揚げものや炒め物が喉を通らなくて苦しんでいた。自宅なら麵類や各種おかゆやカップ麵など、そのときの体調や食欲に合わせてなんでも食べることができるが、宿泊療養では不可能である。
弁当は朝も昼も夜も内容にさほどちがいはない。ご飯、おかずの他、
キャベツサラダとデザートがつくのが基本。
ご飯は味付きが多い。これは朝食の例。
昼食の例。料理は和食風、洋食風、エスニック風と工夫が凝らしてあるが、
どれもそれほど味が異なるわけではない。
総じて癖がなく食べやすくて美味しい。
夕食の例。夕食では揚げものや炒め物が多かった印象がある。
<宿泊生活の快適化は自力本願>
ここは隔離施設である。宿泊者(陽性者)と非陽性者の接触は皆無。したがって、部屋の掃除やリネン類(シーツや枕カバーなど)の取り替えもない。洗濯のサービスもない。自分で洗濯はできなくないが(洗剤は一階ロビーに置いてある)、部屋干しはなかなか乾かない。干すスペースもいくらもない。
規則により、退所は「発症後最低10日が経過し、最後の72時間は平熱」が条件となるため、宿泊者は短くて一週間、長い人は二週間も滞在することになる。その間、掃除とリネン類の取り替えはなく、衣類の洗濯も困難。これはかなり問題である。
特に熱がまだある場合は熱が下がる度に汗をぐっしょりかき、シーツや枕カバーがびしょ濡れになるが、交換できないのである。
私はホテルの部屋で洗濯してもなかなか乾かないことをよく知っていたし、当時は体調が悪くてそんな気力がとてもなかったため、Tシャツと下着を10セット持っていった。これは正解だった。
いっぽう、タオルはふつうのタオルを2枚持っていっただけ。私は熱が出ず、汗も大してかかなかったので、特に問題なかったが、本当はタオルも10枚ぐらい持っていった方がいいだろう。タオルを枕や首元に敷くとカバーやシーツが濡れなくて済む。バスタオルは嵩張るうえ乾きにくいのでたくさん持っていくのは考え物だ。
私は清潔感にさほど頓着しないから気にならなかったが、リネン類の取り替えがないということは抜け毛やほこりなどもずっとシーツや枕カバーに付着し続けるということである。気になる人はコロコロをもっていくといいだろう。
私はめったに使わないのだが、熱が高いとき、冷却シートや保冷剤みたいなやすものを額や首に当てて少しでも苦痛を和らげようという人もいるだろう。ホテルに入るときに持ってくる方がいい。
<宿泊施設は医療施設にあらず>
退所後、友人知人から「ホテルにエクモはある?」とか「治療薬でイベルメクチンとか出たの?」などといった質問を受けたが、あまりの的外れぶりに驚いた。とはいえ、私も入るまでは何もわかっていなかったから人のことは言えない。前にも書いたが、実はここでは医療行為が何も行われていない。
看護師は24h常駐していると都のHPには記されているが、姿を見たことは一度もない。ただ、朝夕2回、看護師からラビータの確認したうえで連絡がくる。症状などもそこで相談できる(得られるのは主にアドバイスだけだが)。
・咳止め薬が手に入らない!
入所した夜中、私は激しい咳の発作に襲われた。たまたま昔、医師に処方された咳止めの薬が1回分だけ残っており、それを持ってきていたので、それを飲んで過ごした。
翌日の午前中、看護師から定期連絡が来たとき、「咳止めの薬がほしい」と頼んだのだが、「薬は差し入れしてもらってください」と言われて絶句した。本当に緊急時には薬を出すがあらかじめ提供することはできないというのだ。でも咳の発作はいつ来るかわからず、真夜中に発作が出たとき、すぐに部屋へ持ってきてくれるのだろうか? そう訊くと、「ではルルを一錠、用意します」と言われた。食事のとき、私宛の封筒が1階ロビーのテーブルに置かれ、中には本当に市販風邪薬「ルル」のカプセルが一錠だけ入っていた。
この晩はルルを飲んで事なきをえたが、いつ起こるかわからない咳の発作に備えて薬が必要だ。だが差し入れは難しい。
後述するが「差し入れ」には複雑な規則があり、今ほしいから家族か知り合いに頼んで持ってきてもらうということはできない。差し入れしてほしいと思ってから最短でも丸1日あるいは2日かかる。差し入れしてくれる人の都合や薬の調達などを考慮すると、3日かかってしまうかもしれない。しかもよく知っているかかりつけ医がいなければ、市販薬に頼るしかない。
結局、偶然私より2日遅れて同じホテルにやってくることになった友人Cさんに薬を買ってきてもらい、夕食時に1階ロビーで落ち合ってブツを受け取った。
市販の咳止め薬を入手するのに、こんなに苦労するとは思わなかった。
友人Cさんに持ってきてもらった市販の咳止め薬。助かった
・肺炎を起こしかけても医師の診察はナシ
私は咳だけだったのでいいが、Cさんは高熱が続き、発症一週間後には「息苦しい」「肺に酸素が入らない感じ」と訴えた。心配になった私が医師の知り合いに相談すると「肺炎を起こしかけていると思う」とのこと。
血中酸素濃度も95以下に下がることがあった。Cさんは看護師に電話で入院を訴えたのだが、「体を起こしていた方が呼吸がラク」というアドバイスをもらったり、「大きく深呼吸をしてから血中酸素濃度を測って下さい」と言われ、計り直したら「98」になっており、病院行きを断られたりしていた。医師によるリモート診察があるとHPには記されているが、Cさんはついぞ医師の診察を受けることができなかった。
Cさんは高熱が続き、解熱剤(カロナール)がすぐに切れてしまったため、幸いにも陰性だった夫氏に頼んでかかりつけ医に行って薬を処方してもらい、それを差し入れしてもらっていた。Cさん宅では私の事例に学んで家庭内隔離を徹底したおかげで、夫氏も子供もPCR検査で陰性だった。ただ、本当は陰性でも濃厚接触者ということで2週間は外出を控えねばならず、クリニックへ行ったり差し入れに来たりしてはいけないはずだ。だが、他にその作業を頼める人がいないので仕方ないのである。
・病院に搬送される人もいる
私の友人2名が一度差し入れに来てくれたとき、ホテルの前にサイレンを鳴らした救急車が駆けつけたのを目撃したという。また、Cさんは私の退所後、弁当をとりに行った際、1階ロビーで担架に乗せられて横たわる宿泊者が救急車を待っている場面に出くわしたという。それから、もっと前、今年4月のことだが、私の知人であるSさんは宿泊療養の最中に容態が悪化し、病院に移送されたという。
「容態悪化の際は病院に搬送される」と東京都のHPには書かれており、それは間違いではないと思う。ただ、「容態悪化」とはよほど症状が悪化した場合だと考えた方がいいだろう。特に感染拡大で病床が逼迫すればその基準はどんどん上がると思われる。
<モノの入手は刑務所並みにハードルが高い>
宿泊施設はひじょうに手厚い刑務所のような場所である。体調がよいかぎりはかなり快適に過ごせる。そのためのモノは十分用意されている。ただし、残念なことに、入所する人の大半は(少なくとも初期の段階では)体調がとても悪い。一律の弁当では食が進まないという人もいれば、医薬品を必要とする人もいる。
だが、刑務所並みに外部からモノを入手する方法は限られている。デリバリーとネット通販は禁止されており、「差し入れ」しかない。しかも差し入れには以下のような厳格な規則が設けられている。
・差し入れの前日午後5時前までに事務局に「差し入れする人の氏名・電話番号」「差し入れする品物」「差し入れする人の来訪日時」を通知しなければいけない。
・ナマモノ、カップ麵、酒タバコ、常温で保存できないものは受けつけない。
・差し入れは毎日午後3時〜5時の間。しかも「3:30」とか「4:00」といった具合に分刻みでアポイントをとらなければいけない。
つまり、ある日の朝「熱が下がらないから薬がほしい」と思っても、当日はすでに間に合わない。最短で翌日の午後3時以降となる。
私は差し入れを友人に頼んだのは出所の2日前(入所から7日目)だった。今ほしいものが届くのに2日もかかる。しかも友人の都合も訊かなければいけない。ただでさえ体調が悪くて何か手続きをしたり頼み事をしたりする気力に欠けているから、すごく億劫になってしまったのだ。宿泊療養後半に元気になって(というか暇になって)、「差し入れに挑戦してみよう」とようやく思い立った。頼んだのは「ドリップ式コーヒー、お菓子、書籍(小説)」の3品である。
差し入れしてくれた友人によれば、「エントランスにテーブルがあり、なんとか坂みたいなかわいい女性が二人いた。差し入れの品をチェックし、写真まで撮っていた」とのことだ(「なんとか坂云々」はもちろん彼の主観によるものである)。
美味しいコーヒーが飲みたくなり違いのわかる男に差し入れを頼む。
嗜好品がほしいと思うようになったら快復してきているとも言える。
ヨーグルトやカットフルーツが食べたくなっても常温保存条項に抵触するので不可。カップ麵は前述したように「汁が流しに詰まるので不可」。たとえ汁を全部飲み干すという人でも許可されない。
Cさんは食べ物に苦しみ、退所して家に帰ってからようやく好きなものが食べられるようになり、「食べられるとこんなに(体調、快復が)ちがうものかと思った」と述べている。病気のときに食べたいものを食べるというのはワガママや贅沢ではない。体が求めているものを摂取することは重要である。だいいち、どんな食べ物でも体に入れないと栄養にならない。
そういう意味では、宿泊療養の差し入れ体制(=物資供給体制)は不十分と言える。それを補うためには、一つの方法として「最初から持ち込む」という手がある。保冷剤をつけて冷凍・冷蔵品を持ち込むのはアリだろう。私はパックの牛乳とチーズを持ち込んで大正解だった。
Cさんも私のアドバイスでヨーグルトを保冷剤ごと持ち込んだ。ヨーグルトが美味しく食べられたのみならず、保冷剤はその後、熱冷ましに使えて重宝したとのことだ。
<退所への道>
退所には次のルールが適用される。「発症日より10日間(無症状の場合には検査日より10日間)経過し、かつ症状軽快後72時間以上経過した場合」。これはWHOが定め、厚労省も従っている基準である。
PCR検査は受けない。快復後も体内にコロナウィルスの残骸が残るせいだと思うけど、PCR検査を受けても陽性になってしまうので、受ける必要がないということらしい。
私は入所したとき、すでに熱はなかった。ただ頭痛と強い倦怠感、そして夜の咳の発作、下痢などがあったが、入所3日目には自宅療養で差し支えない程度に収まった。元気になった人間が速やかに退所して、新しい感染者を受け入れるべきだとも思うのだが、「発症後10日以上経過しないと退所できない」というルールに阻まれた。
ちなみに、看護師によれば、「見るのは発熱だけで、それ以外の頭痛、咳、倦怠感などがあっても関係なく退所扱いになります」とのことである。
最終的に発症から11日目、ホテルに入ってから8日目でようやく退所できた。
退所日には朝、事務局から「退所時間は10:35。それを厳守するように」という通達があった。使用済みのリネン類(シーツ、枕カバー、バスマット)とゴミを一緒にもって、1階に下りる。リネン類とゴミをそれぞれゴミ箱へ入れ、パルスオキシメーターを返却し、担当者の差し出す書類に名前を書いて終了。
出所すると感染者ではなくなるので、自由の身である。シャバの空気はうまかった。地下鉄の駅がすぐ近くにあったが、とても荷物を持って電車に乗る気力がなく、タクシーを拾って家に帰った。
写真を見る限り旅行に見えるが、どこにも行けない……。
<コロナ感染から快復後>
退所当日は家で大人しくしていたが、翌日からは普通に生活を始めた。私はだいぶ前に症状が収まっていたので、病み上がりと極端な運動不足にも関わらず、ひじょうに体調はよかった。階段も普通に上れるし、町へ出て買い物をしたりもした。食事も全く普通にとれた。
いっぽう、妻のほうはまだ濃厚接触者であり、外出もままならない。
「どうして、あんたは自由に暮らせて、あたしは家に閉じこもっていなければいけないのよ」と言われたが、「いやあ、申し訳ないです…」としか返せない。
一つだけ後遺症として、夜中にときどき咳の発作に襲われたので、咳止め薬を服用した。自宅ではたいていの薬が簡単に手に入るのでありがたい。咳は退所から5日間続いたが、それ以降は収まっている。
<宿泊療養のための持ち物一覧>
万事につけて迂闊な私だが、今回宿泊療養に用意したものは大部分が「正解」だった。ただし、中には「もし熱があれば必要だったであろうもの」とか「これはあまり必要なかった」というものもある。
ちなみに、ホテルに入るとき持ち物のチェックは何もない。差し入れには強い制約があるので、入所時に自分が必要だと思うものを極力持っていった方がいい。
◎持っていって正解
○結果的には使用しなかったが持っていくべきもの
★準備としては不十分だったもの
×不要だったもの
<宿泊療養のまとめ>
・宿泊療養施設は隔離施設であって医療施設ではない。医師の診察も薬の処方も看護師によるケアも基本的にはない。
・看護師と毎日連絡がとれるので、安心感は自宅療養より上。おそらく、容態急変の場合も宿泊療養の方が病院に移りやすいだろう。
・家庭内感染のリスクから家族を解放する。
・体調が悪ければ自宅よりも辛い思いをする可能性がある。体調がよければ、かなり快適に過ごせる。
コロナ感染の歩き方、次回は「感染・快復した今、私が思うこと」です。
お楽しみに!!
高野秀行(たかのひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」をポリシーに多数の著書を発表。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞を、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。主な著書に『アヘン王国潜入記』(集英社文庫)、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社文庫)、 『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)等がある。オンラインイベント「辺境チャンネル」も配信中。Twitterアカウント @daruma1021
高野秀行自著コメント付き作品ガイド
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