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みうらさんといとうさんを知ったきっかけを。

 こんにちは、返却期限です。

 みうらじゅんさんといとうせいこうさんのラジオ(『ラジオご歓談!』)にコメントするためにこのアカウントを取りました。
 金銭面ではあまりサポートできないお財布事情や、記事を購入したからには参加したいというがめつい心もあり、今のところ、あのラジオのほぼすべての記事にコメントしております。(「無意識スクラップ」の画像の記事にはしていなかったかと思います。)

 ただ、そんなことを続けていると、毎回コメントしている自分がなんだかヤバい奴みたいに思えてきました。
 せめて自己紹介をする場があれば、少しは気持ち悪さが拭えるのではないかと思い、筆を執りました。

 みうらさんを知ったのは、小学館の学年別学習雑誌でした。私は1985年の遅生まれで、小学一年生になったのは1992年の4月。Wikipediaを読むと、すでにバブルは崩壊していたようですが、ジュリアナ東京の絶頂期で、まだまだ日本は好景気に浮かれていたころです。
 特に裕福でもない団地暮らしだったうちの家庭もご多分に漏れず、その時期は父も気前よく家族サービス、あるいは一人娘の教育にお金を使っていた気がします。
 そのひとつが、『小学一年生』から『小学六年生』まで、娘の私のために、毎月全部買う、というものでした。
(もちろん、二年生に進級したら、『小学二年生』から『小学六年生』まで、という風に毎年減っては行きました。)

 父としては、紹介されている最新の知識を取り入れてほしかったのだと思います。おかげで雑学は多少身についた気もします。ただ、Wikipediaのこの雑誌の「紙面の変遷」の項に

1990年代前期 - 中盤にはややアングラ寄りのサブカルチャー色の強い路線

 とあるように(2020年7月25日閲覧)、まさに私がせっせと愛読していた1992~1996年(五年生の途中で読むのをやめてしまいました)は、サブカル臭の強い雑誌でもありまして、私はその影響も受けて育ちました。

 みうらさんは当時、読者投稿の『らくがお』というコーナーを担当されていました。有名人の顔写真を使って、読者に思う存分落書きをしてもらうコーナーです。政治家など大物有名人が、自分の顔をキャンバスにすることを許可をしてくださっていたはずです。
 母とそのコーナーを笑いながら読んでいましたが、今考えると、落書きされている人をよくわかっている母の方が楽しんでいたと思われます。

 みうらさんが紙面に登場するのはそのコーナーだけではなかったはずで、だからこそみうらさんって面白い人だなと気がついたのだと思います。
 記憶の中にあるのに、未だに国立国会図書館のサーチなどで検索しても私にはたどり着けないものがありまして、それは、おそらく『小学六年生』の付録小冊子に載っていたはずの、みうらさんのコミックエッセイです。
 その小冊子は漫画家さんのオムニバスのようなもので、いきなり蛭子能収さんのシュールな四コママンガが載っていた気もします。しかし、蛭子さんも含め、基本的には完全にフィクションのマンガが掲載されている中、みうらさんだけは、温泉や温泉街についてのエッセイ的なマンガを書かれておりました。確か。
 私はそれを読んで、「温泉って浴衣で卓球するもんなんだなあ」とか「温泉街って変なお土産が売ってるんだなあ」とか新鮮で愉快な気持ちになりました。そしてそのことが妙に心に残りました。

 そのころから、テレビや他の雑誌でもみうらさんをお見かけするようになり、いつも面白いことをされているなあと見ていました。

 いとうせいこうさんを知ったのは、みうらさんとの『ザ・スライドショー』でした。
 私は関西在住なので、昔はいとうさんをテレビで見る機会が少なかったのです。NHKでいとうさんが司会をされていた『天才ビットくん』は私が小中学生のころにはまだ始まっていませんでした。
 WOWOWが映らないはずの我が家でなぜそれが見られたのかはよくわからないのですが、『ザ・スライドショー6』の放送予定を見て、「なんだか面白そう」と見てみたのがきっかけです。
 ファンの方ならわかると思うのですが、「瑠璃仙」というお弁当屋さんのチラシが、おなかがよじれるくらい面白い回で、それらを見つけてきたみうらさんもすごいですが、的確なツッコミで更に面白くしている、このいとうさんって人は誰なんだろう?と思いました。

 それから、『ザ・スライドショー』のDVDを揃えたり、実際に見に行ったりもしていたのですが、いとうさんとみうらさんは、いわゆるビジネスで仲良くしてらっしゃるのかなと勘違いしておりました。
 本当はそこまで仲がいいわけではないけれども、イベントのためにそういう風に振る舞ってらっしゃるのかなと。

 ところが、気がついたときにたまに見ていた『TV見仏記』シリーズの高野山の回で、「生身供」の列に近づきすぎそうになるいとうさんを、みうらさんが苦笑しながらやんわりたしなめた瞬間、「あ、お二人は本当に仲良しなんだ!」と突然理解しました。
 それから、なんとなく取っつきにくく感じていた『見仏記』シリーズを一気に読み、「なんて素晴らしい友情なのだろう!」と心から感動しました。当時色々と心がくたびれていた私は、見返りを求めず互いを思いやるお二人の姿を思い描いては「人間、捨てたもんじゃないな」と救われたような気持ちになりました。

 それから『めがね番長』など、お二人のコンビ活動をチェックするようになり、今に至ります。

 全く別のルートでファンになったフジファブリックの金澤さんと、いとうさんに浅からぬご縁があったと知ったとき、すごく嬉しくなりました。(共演されていた『熱血!スペシャ中学』は見ていなかったのです。)
 たまにいとうさんの口から「ダイスケ」の名前が出ると頬がゆるみます。

 『ラジオご歓談!』を聴きながら、2025年、お二人の「三十三間堂の約束」が無事に果たされることを願っております。

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