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新作能『空海 ー万燈万華の祈り』

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 それは私は観に行かなきゃじゃないですか。 
 だってお大師様がお舞いなさるんですよ?

(文字数:約2800文字)



庶民には縁というより関心自体が薄い

  高野山の壇上伽藍の、
  金堂の前に舞台を設えて、
  観世流の新作能が初公演とのことで、

  4月頃から即チケット申し込んだぜ。

  1枚だけな。
  能狂言に観に行くほどの関心を抱ける奴、
  私の人脈には存在しないからな。
  行っといで(・ω・)ノ(・∀・)だよな

  そして言われてみれば確かに、
  能にふさわしい存在だった空海。

  庶民にしては比較的、
  能狂言に触れる機会が多かったとは言え、

  嗜みとして親や祖父母の代から、
  能舞台に慣れ親しんでいる方々には、
  太刀打ちできませんので、

  めっちゃざっくりまとめますと、

  能のストーリーって基本的に、
  「亡くなった誰かと、
   (霊でも良いから)お会いしたい」
  なんですよ。


金堂をバックにした舞台

  本来能舞台の背景は、
  松の絵になるんだが、

  つまり神に捧げる事になっているんだが、

  今回は金堂を背面にして、
  金堂の屋根が差し掛かる形、
  四隅の柱は演者の胸くらいまでの高さ。

  橋掛かり(廊下みたいな部分)も、
  金堂に沿って設えてあります。

  橋掛かり脇の幕が上がって演者が登場したり、
  舞台を現世・人間界と見た時に、
  橋掛かりを幽界、と使い分けたりする。


まず太鼓

  夕方17時半から開演。

  熊野・吉野との文化交流目的もあって、
  高野和太鼓わらべDONKAKAと、
  奥熊野太鼓が、
  それぞれ10分ほど演奏したんだが、

  奥熊野太鼓の序盤で、
  高野四郎(壇上伽藍の梵鐘)が、
  鳴り出してしまったのは
  (鳴らす決まりで止める事は出来ない)、

  残念だったような。
  これはこれで面白みがあったような。

  何にせよ太鼓は腹に響いていいな。
  観劇前に腰回りが、
  じんわりあったまった感じするな。


台詞はパンフレットに全掲載

  事前に読んでおけば問題が無い。

  ……と言いたいところだが、
  文言がまず古めかしくて難しい上、
  能独特の発声でもあって、
  慣れないうちは聞き取るのも難しいから、

  そりゃ寝るのよ庶民は。

  テレビ等を含めて鑑賞十回目くらいまでは、
  「動きも言葉もゆっくり過ぎてかったるい」
  ってのが正直な感想だったわよ。
  格調もへったくれも感じ取れませんわ。

  ですので内容もざっくりまとめます。
  鑑賞眼が既に備わった方々は、
  お心を広く持ってどうぞ怒らないでね。


ここからが舞台の内容

  『空海 ー万燈まんとう万華まんげの祈り』

  四国出身の巡礼者が現れて境遇を語る。
  讃岐国、とか古文ぽい語り方をしているけど、
  何も昔の人だと思わなくてもいい。

  毎日仕事に追われているうちに、
  流行病で妻子を失ってしまった。
  悲しみに暮れる中でお遍路を思い立ち、
  空海の足跡を辿って高野山に向かう。

  足跡を辿るうちに、
  自らが空海になったつもりで、
  唐での修行や、
  帰国船が遭った嵐も追体験する。

  (ここで出てきた不動明王が、
   ひとしきり舞う形で霊験を表した後、

   「ん? オレもう帰っていい?」
   「帰って、良さそうだね。じゃ」
   って感じに振り返りながら、
   橋掛かりを渡っていたのが、
   ちょっと可愛かった。

   多分お不動さんのキャラクター。
   「他に今やって欲しいこと無い?」
   って一応は訊いてみる感じ。)

  巡礼者が高野山に辿り着いたその日は、
  空海が入定前に始めて、
  今も高野山では毎年続いている、
  万燈万華会まんどうまんげえの夜。

  巡礼者はちょっと脇に下がって見物。

  お寺の能力のうりき(下働き)が、
  法会の由来などを説明した後、
  稚児たちを呼んで燈篭を運ばせる。
  (実際に高野山で暮らす子供たち登場で、
   客席のご家族様には微笑ましい)

  「足元が明るいうちにお帰り」と、
  稚児たちを誘導しながら能力も退場。

  更には金堂の回廊から、
  実際の高野山の僧侶が現れて、
  声明をひと鎖聴かせてくれる。
  (これがために金堂が背面だったわけだな。
   そしてこの演出確かに高野山でしか出来ないし、
   ガッツリ興味深いぞ)

  そして声明の最中から空海登場!
  (見出し画像のスタイルです。)

  絵姿でも持っている謎の法具、
  金剛杵こんごうしょ手にしてるからすぐ分かる。

  橋掛かりを歩いて現世に姿を現すと、
  巡礼者は跪いて頭を下げる。

  とは言え空海は巡礼者ただ一人を、
  気にしてる感じでもない。
  (ちょうど私の席が、
   空海と結構目が合う位置で嬉しい)

  「世の中ってね。
   何かと限界感じてしんどいよね」
  (注:私は超ざっくり訳してます)

  「だけどね大日如来はね。
   日の光よりも月の光よりも、
   この世の全体を照らしてくれるから。
   本当だよ。

   だから私はね。
   毎年たくさんの燈篭を、
   大日如来を中心とする、
   全ての仏に捧げる事にしたんだ。

   人それぞれがね。
   というより鳥も虫も魚も獣も、
   木も水も風も土も、
   全ての生き物がね。
   仏なんだよ。

   自分の中の仏らしさに気が付いて、
   大事にすればいいんだよ。
   そしたら他の生き物たちの仏らしさも、
   大事に出来るでしょ」

  とひとしきり舞う形で、
  この世の全てを祝福して、

  最後にちょっとだけ巡礼者に声かけて、
  巡礼者が頭下げるのを確認してから、
  橋掛かりを幽界へ帰っていきましたとさ。
  (空海が去っていった方向からちょうど、
   このタイミングで雲が切れて月が出たので、
   神仏の御配慮のように感じた人も、
   ある程度いるだろうと思う。)


その頃配偶者は

  2時間くらいかかるのかな?
  と思っていたが、
  1時間10分ほどで終わった。

  メールを送ると電話が来た。
  「え? もう終わったの?」
  と驚きの声。

  「貴方は今どこに」
  (・∀・)

  「久しぶりに夜の奥の院を堪能してた」
  (^ω^)若い頃よくやってたの。

  「暗闇じゃないのか?」
  (・∀・;)

  「んー。昔に比べれば街灯増えて明るいね」
  (・ω・)もっと暗くてもいい。

  「奥の院往復して、
   金堂の様子外側から見に行こうかな、
   と思ってたところ、
   もうすぐそっち着くよ」

  ある意味配偶者の方がガチだったな。

  

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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