ミーはおフランスにたたられて
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
Pixivで公開してきた小説以外の文章を、
noteに移して行きます。
(文字数:約1500文字)
「祟る」と「崇める」って同じ漢字なんだよって、
長らく思い込んで人にまで話しちまっていたが、
違った。似ているだけだった。
まぎらわしくない? ねぇまぎらわしくない?
それはともかく満を持しての、
『パダン・パダン』でございます。
大学3年生の春、
NHKのフランス語講座でエディット・ピアフを知り、
乏しい生活費をやりくりしてピアフのCDを買い求め、
歌詞カードをじっくり見詰めつつ聴き入ったその時から、
この歌は私の歌だ!
と、
誰が何と言おうとも、
強固に思い込んでいるのでございます。
だからして出棺の際には是非とも流して頂きたい。
さはさりながら列席者の皆様には、
その歌を流す理由が分かりますまい。
これは我が生涯を通じて、
『パダン・パダン』の似合う女性にならなくては。
否いっそのこと『パダン・パダン』を、
歌いこなしておくというのはどうだろう。
と言う次第でシャンソンに通い始めたのでございます。
シャンソンというジャンルが取り立てて、
全ての歌曲の中で特別に、
好きだったわけでもないのであります。
ただひとえに『パダン・パダン』への、
一曲集中なのであります。
そもそも私がなぜ、
かくも強固に思い込んだかを申し上げますと、
この歌は、
あくまで私の解釈ではありますが、
『表現者の業』を歌っていると信ずるからです。
特にラストの畳み掛けが良い!
実に良い!
えくてるしゃふきぃぃめふぇぇえ
こむしとぅもんぱっせでぃふぇぇえぇぇぇ……
ふぉぎゃるでぃどぅしゃぐらんぷあぷれぇ
じゃえとぅたんそるふぇじだんせっきば
きばっ こむあんくぅどぅぼわぁぁあぁぁ
これがですから私の耳には、
次のように聴こえているわけです。
後にも先にもこれほど深き、
精神世界を表した歌詞がありましたでしょうや。
いやあったかも知れませんけど。
正直全ては網羅しておりませず分からんですけど。
しかしながら発表当時のフランス国内も驚いて、
その年のレコード大賞みたいな賞獲ってるから、
歴史的に見てもなかなかのもんだろうと思う。
本当はフランス語で歌いたいんだけどー。
聴いてくれるだろう主に日本人を、
置いてきぼりにする感がはなはだしいので、
またしても独自に訳してみました♪
この歌は「パダン・パダン」の繰り返しこそが、
主役だと思うので、
一字一句揃えたわけじゃなく大部分が意訳。
ただ最後の行にある「きばっ」だけは
どうしてもリップシンクさせて、
イ音とア音にしたかった。
先生にはまだ提出していません。
今はとにかく基本を抑えなくては。
「これが終わったらあなたどうするの?」
いえいえいえいえ先生、
何をご冗談を。
終わりません。終わりませんとも。
まだまだ入り口にしか立ち入っていませんとも。
この曲だけは私のものですから。
私のものにしてみせるんですから。
「せやなぁ。まだ楽譜なぞってるだけや。
歌にしていくのはこれからやからな」
先生、
今ほくそ笑みましたね。
「来年も続けて通ってくれる?」
と素直に訊いて下されば良いのに。
さすが先生たるものそう簡単に下手になど出ない。