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マンダラざっくりまとめ

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 空海展なんか見に行っちゃったら語りますよ。

(文字数:約1600文字+らくがき2枚)


 とは言え修行とか経ていないどころか、
 仏教にも帰依していない、
 単純に大日如来好きのド庶民ですので、
 ざっくり行きます。

 ちゃうわ、といったツッコミは、
 むしろ大歓迎。
 こちとら由緒正しい馬の骨ですので、
 華麗にスルーなさって下さい。


そもそも密教

  密教の密は(たまに言われているけれど)、
  秘密の密ではなく、

  「人の眼には映らない世界」
  というだけの話だ。

  故に言葉では表し難い。

  とは言え空海が日本に伝えた時代から、
  ざっくり1200年は隔てて、
  これだけヴィジュアル優勢の時代にも、
  なってきたなら、

  「人の眼には映らない世界」の表現には、
  むしろ文章の方が適していないかと、
  私には思えるようにもなってきた不思議。


NHK様には申し訳ありませんが

  奈良国立博物館における、
  「空海」展の紹介番組を、
  二つ三つほど視聴いたしましたけれども、

  たとえNHK様の解釈であっても、
  マンダラ、
  というものの説明には、
  私は納得いっておりませんの。

  そんなわけで超ざっくりですが、
  らくがきしました。


即身成仏ってそのまんまよ多分

  金剛界側のマンダラが、
  仏になるため悟りに至るための道筋だと、
  一般的には語られているけれども、

  私の感覚では金剛界は、
  仏になれる様々な方法(ただし瞬間的)
  
って話だ。

  相手のために言葉を選んだり、
  言い方を考えたり、
  身なりや振る舞いに気を遣ってみたり、
  道に転がってた空き缶を拾ってみたり、
  電車の中で見ず知らずの人に席を譲ったり、

  その一瞬一瞬だけは、
  誰もが仏になっている

  残念ながら瞬間だけで持続しないのだが、
  それをなるべく延ばしてくれるのが、
  僧侶の修行なのかもしれないが、

  僧侶であっても修行を経たとしても、
  常に永遠には無理。
  だって人間だもの。
  

  つまり瞬間瞬間であれば、
  貴方も仏、
  私も仏、
  みんなが仏なんだから、

  誰もが尊いけれども、
  誰一人偉くない。


  私の感覚ではそれに尽きる。

  人の身同士が衝突し合わないように、
  なるべく仏でいる事を心がけたいけれども、

  常に永遠には無理だって分は、
  さすがに幸運を祈るしかないよねぇ。

  仏像とかお大師様とか、
  森羅万象自然の摂理なんかを、
  拝んどくしかないよねぇ。

  正直気休めなんだけどさ。
  それすら無いよりは遥かにマシよ。


そもそも宗教

  人間は愚かであり、
  放っておくと何をしでかすか分からない。

  ここまでがこの世の実態、
  だとしたら、

  人間は愚かであり、
  放っておくと何をしでかすか分からないが、
  尊いし美しい。

  という視座を持てるか。

  言葉でその根拠を並べるまでもなく、
  実感できるか。

  それがこの世の真理であり、
  宗教の本質だと、
  私は思っている。

  実は神道や仏教などの、
  いわゆる多神教に限らず、
  我が国独自の信仰に限らず、

  キリストもマホメットも本質は、
  そこを教えてくれていると思う。

  人間は愚か、
  部分で止まっていたら、

  自分と自分の属する集団だけが、
  他集団の愚か者どもから、
  守るに値する存在になってしまう。

  同じ集団の内でも身を守れない者だけが、
  愚かであるように認識してしまう。
  集団全体の愚かさを押し付けて、
  他には見えないようにしてしまう。

  故に元来宗教は、
  集団内で会得できるものではない、
  とも私は思っている。

  今現在の私の認識であり、
  今集団に属している方々を、
  ただそれだけでは否定しないが。

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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