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行くに決まってるよな空海

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 御詠歌教室の、
 先生である御住職と、
 生徒たち計5名で、
 そりゃ行きますよ。

(文字数:約2500文字)


   生誕1250年記念特別展
      空海
    ー 密教のルーツとマンダラ世界 ー

   奈良国立博物館にて
   6月9日(土)まで。


単に推し僧侶

  しれっと紛れ込んでますけどワタクシ、
  実を言うと仏教には帰依してませんの。

  単純に空海が人物として、
  ハンパなく面白いってだけ。
  あと先生が檀家になってるお寺の御住職ってだけ。

  大阪は鶴橋駅で待ち合わせて、
  近鉄の快速急行で奈良まで。

  私以外の皆様は70代で、
  足腰を痛めている方もいらっしゃるので、
  奈良公園内を鹿を眺めながらのんびり歩き、
  13時頃着いた博物館の入り口には、
  チケット購入の行列が相当長く伸びていましたね。

  「並ばなくても大丈夫ですよ。
   チケットなら持って来ました」
  と御住職から渡されたその用紙は、
  関係者割引券であってチケットではないの。
  (↑何せ高野山は展示品を提供している。)

  「ワタクシひと足先に行って並んで参りますっ」
  はい喜んで。だって最も若造ですものっ♪

  何にせよ関係者割引なんてものが存在して、
  2000円が1700円になってくれるんだし。


とにもかくにもマンダラだ

  弘法大師空海を全く知らない方も、
  恥じる必要は無い。
  私も九州にいた間はことわざでしか聞いてない。

  とにかくマンダラが大好きな方。
  なんでもマンダラにしたがる方。
  まずはそう思って頂いて差し支えがない。

  会場内にはもちろん、
  図像マンダラが掛けられているし、
  仏像を並べた立体マンダラに、
  インドネシアで出土したミニチュア仏像のマンダラ、

  そして今回一番の目玉である、
  空海が制作指揮したと伝わる、
  紫色の綾布に金銀彩色のマンダラ。
  (正式名称:高雄曼荼羅)

  ほぼ真っ黒に輪郭線のみなんだが、
  御詠歌を学ぶ者として我々は、
  是非ともこれを観なくてはならなかった。


そもそもマンダラって何なのさ

  めっちゃざっくりまとめますから、
  よく知ってる方は怒らないでね♪

  大日如来を中心にした、
  仏の世界を表したもの。

  本当は常に2種類がワンセットで、
  左右両側の壁に掛けて、
  仏の世界に囲まれた空間で、
  仏教儀式とか執り行うためのもの。

  なんだけど、

  紫綾布の金銀彩色マンダラは、
  前期と後期で1枚ずつの展示替えだ。
  意図は大変によく分かるがこんちくしょうめ。

  前期に公開された「胎蔵界マンダラ」の方が、
  全面積をフルで使っての、
  大日如来中心で実に分かりやすいんだけども、

  御詠歌は「金剛界マンダラ」の内の、
  9つの四角で区切られた中央のエリア、
  成身会じょうじんねを表すものとされているので、
  後期まで待つしかなかったよ。

  ってか立体マンダラの方は、
  大抵「成身会」エリアに合わせて、
  仏像並べてます。

  大日如来中心に東西南北の如来
  それぞれの如来を中心にまた東西南北の菩薩、
  くらい認識しとけばまぁオッケー。

  要するに仏像マニアがフィギュア並べてんだ。
  みうらじゅんさんの心持ちで楽しんでくれ。


婚家がストロングリスペクト

  高野山並びに九度山に住む方々は、
  空海は「今も生きている」と、
  至極当たり前に口にして、
  異論は認識致しません。

  私の配偶者もだ。(・ω・)
  今となっては私もだ。(・∀・)

  だけど、
  かつて私自身も誤解していたほど、
  頑強に信じ込んでいるわけじゃなくて、

  そう受け止めた方が自分の気持ちが、
  ちょっとホッとしたりなごんだりするなら、
  わざわざ否定する事もないじゃない、
  って感じ。

  さらに言えば私は、
  何も空海に限らず、

  超人的な天才偉人としてよりも、
  普通に一人の人間として、
  歴史人物を眺める方が好きなので、

  ここでもざっくりまとめちゃいます♪
  空海を敬うお気持ちが底知れない方々も、
  どうか怒らないでお心をゆるやかにお願い。

空海ってどんな人

  讃岐に生まれて多分学校に入って、
  多分18で京都の大学に進んで、
  30歳くらいまで室戸岬とかで修行してから、

  国家の留学生として、
  20年は勉強するって話で唐に渡ったのに、
  2年で帰って来ちゃって、

  それって当時の感覚では、
  罪人扱いされたっておかしくなかったんだけど、
  こんだけたくさんの仏典とか法具とか、
  持ち帰ってきたから許してって、
  朝廷に書き送ったその文書を、
  (正式名称:御請来ごしょうらい目録)

  今回フルで見る事が出来て、
  私はテンション爆上がり。

  漢文だけど、
  ほぼ読めないけど、
  所々博物館が訳文添えてくれてるし、

  なんか文章の流れに並びから、
  申し訳無くは思いつつも、
  自信に誇りも見え隠れする、
  雰囲気が伝わってきて楽しい。

  コイツ普通に話おもろい奴だよな?
  つい耳くらいは貸しちゃうよな?

あらやだ後醍醐手形

  他にも空海真筆だったり、
  写本でも原本は空海が執筆してたり、
  色んな文書を読めないまでも、
  眼に映せて私は大満足。

  『高野山学』にも過去二年間通ってきて、
  私は大抵の文書の存在を、
  裏側の諸事情辺りまで知っている。
  クスクスクス(*^艸^)“

  そしたら貴方、
  「高野山の土地は、
   山頂どころかふもとに至るまで、
   土地の女神から頂いたものだ」と、
  空海が書いたとされる原本を、
         ↑ここ注意

  今後は門外不出にして、
  公開するのはこちらの写本にしなさいと、
  後醍醐天皇自らが手形を押した文書まであって、

  『太平記』を通読した私には、
  もう面白くって仕方がない。
  (>∀<*)キャー♪

  注:後醍醐天皇は空海と、
    同時代の方ではない。

  (>∀<*)やりやがったなテメェー♪
  大丈夫ー。土地取られたふもとの人間側に、
  属する私は怒ってないー。
  当時の事情に苦労も理解するー♪


  ええワタクシ歴史なんぞ、
  基本推し活物語的に楽しんでます。

以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

  


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