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『太平記』読書記録3分の3の上

やはり可能であれば年内に読み切ってしまいたいという事で。
ちなみにこれはまだ『読書ノート』です。
感想もちょいちょい書き込まれていますが、
『感想文』ではありません。

太平記全体の3分の3(巻二十六~四十)を更に3分割。

3分の1 3分の2 3分の3

3分の3の上・


ここにきてなんか読みづらくなった
  
おそらく作者と思われる玄慧法印が亡くなって、
  この辺りから弟子が引き継いだ。

  と言っても文章が下手になったとかじゃなくて、
  送り仮名とか同じ事言うにしても語句の選び方が、
  人によって異なるので、
  前の人の文章に慣れてると違和感があるだけ。

ところで楠正行(正成の嫡男)は合戦中だ
  
冬の合戦だったので川に落ちて凍えてる奴、
  正行、敵であっても助けてあげるって、
  全編中でも珍しいほっこりエピソード。
  なので畿内は結構楠に属している。

  吉野に行って後村上天皇に謁見。
  「朕汝をもって股肱とす。
   慎んで命を全うすべし
  って天皇のお言葉明記されとるやん。

  そっちよりも正行が後醍醐廟に残した和歌

    返らじと かねて思えば梓弓
       なき数にいる名をぞとどむる

  が多く引用されたようだけれども、
  ⚠️虚構(現存するけど正行作ではない)だそうです。

  正行・正時兄弟と、高師直・師泰兄弟の合戦。

  師直の首取ったって、
  喜んで正行お手玉にしてやがる
  身代わりの別人だと知ったら弟が丁重に扱ったけど。

  すっごく頑張ったけど南朝軍、
  あまりにも軍勢に差があって、
  疲れても援軍来ずになお戦い続けて、
  楠兄弟と一族32名は自害しました。

  楠の館も焼かれて、吉野も炎上。蔵王堂も。
  後村上天皇は賀名生へ。


高兄弟、図に乗りまくり
  
楠滅ぼして南朝も追い払っちゃったからねぇ。

  兄の師直は王族公卿の子女を妾にしまくり。
  弟の師泰は他人の土地奪って墓も壊しまくり。

  「我が国に天子が必要なら、木で造るか金で鋳るかして、
   生きている者はどこへでも流してしまいたい」
  なんて暴言を吐いたとされているが、
  これも⚠️願望形だから要注意ね。

  何せ上杉家や畠山家辺りからも讒言されまくってる。
  足利尊氏はお寺にこもって政務取らないから、
  代わりに勤めてる弟直義には、
  夢窓国師の弟子だっていうけど、
  正体分からん侍者妙吉がくっついてるし。
  (上の高兄弟の暴言も⚠️妙吉の話の一部。)

  余談だけど清水寺燃えたり京に妖怪出たりしてる。
  田楽のイベント中に桟敷席倒れたりするし、
  その席には崇徳院や源為朝とかの天狗達もいたとか。

  後醍醐王時代に王威は尽きたって、
  天狗の発言ではあるけど明記されちゃってるな。

ちょいちょいメモ
  忠臣
を表す語の数々……
     堯の八元、舜の八凱、周の十乱、漢の三傑、
     世祖の二十八将、太宗の十八学士

  趙璧の故事……藺相如と廉頗、刎頸の交わり


足利直冬(ただふゆ)みたいな奴に私は弱い
  
一夜妻に出来ちゃった子を玄慧が引き取って面倒見てた。
  父親の尊氏からはほっとかれてたのに西国行かされる。

  京ではいい加減に目に余るってんで、
  足利直義に上杉・畠山と、高兄弟が戦。

  なんだけど尊氏何にも聞かされてなかったから、
  高兄弟の味方に付いちゃって、

  高兄弟、御所を取り囲んじゃって、
  「直義を政治から下ろせ」
  「首謀者である上杉重能と畠山直実を遠流にしろ」
  って要求がことごとく通っちゃって、
  上杉重能と畠山直実なんか、
  遠流先でまさかの処刑されちゃって、妻達出家。

  直義は堀河に隠遁後出家。以降、慧源を名乗る。
  亡くなる直前の玄慧しか訪ねに来ない。
  (だから貴方が誰なのよ玄慧)

  尊氏は政務ムリだからって鎌倉から、
  足利義詮(よしのり)15歳を上洛させる。
  まぁ高家の支配下に置かれるんだけど。

  高兄弟は残る邪魔者として、
  西国にいる直冬を攻めに行ったぞおい。


親子兄弟で敵味方に分かれてぐっちゃんぐっちゃん
  
貞和6年2月27日に改元、北朝は観応になりました。

  足利直冬、九州に逃れつつも結構頑張ってる。
  尊氏「どうしよう」って高師直に相談して
  「将軍の君達(息子)なんだから将軍が出陣しなきゃ」
  って言われて自ら誅罰に行く。

  それを聞いて自分の身も危ないと悟った、
  慧源は従者一人だけ連れて逃亡。
  「師直が世にある間は誰が味方するものか」
  って高家分かりやすく高笑い。

  なので慧源は南朝に降っちゃう。
  洞院実世は首取れって怒ったけど、
  良い機会だって南朝、慧源を鎮守府将軍にしちゃう。
  (直冬に宛てたものじゃないか?って説もある)


えーとそこからはもう合戦合戦また合戦
  
もう読んでて次第にわけが分からんくなってくる。

  南朝軍から攻められて義詮、京を離れる。
  一旦桃井直常が都に入る。
  福岡にいた尊氏、それを聞いて義詮と合流。
  東山で桃井軍を討って京に戻る。

  だから南朝軍従うよね♪って尊氏のんきに構えてたら、
  むしろ大軍になって戻って来る。
  義詮は丹波に留めて尊氏と高師直、播磨に逃げる。

  備中では上杉軍から攻められたけど勝利した、
  高師泰が尊氏の援助に播磨に向かう。
  一方上杉軍中の石堂頼房が播磨に向かって尊氏と合戦。

  摂津の赤松家からは尊氏に使者。
  畠山家と上杉家加わって石堂軍でかくなるよ。
  山城はほっといて平地で戦おうって、
  湊川に陣を取る。

  小清水合戦で尊氏・師直軍ボロ負け。
  (梶原景時の子孫が討死。)
  (ここでめっちゃがんばった薬師寺公義さんを、
   ちょっと覚えておいてほしい。)

  吉野の蔵王権現(高師直に焼かれた)が、
  勝手明神に聖徳太子はともかくとして、
  蘇我馬子、小野妹子、秦河勝まで引き連れて、
  参戦してたらしいよって、
  夢の話だけども吉野には記録されてるそうです。


もう尊氏って何なん? 嫌いになれもしない
  
味方がどんどん逃げちゃって尊氏しょんぼり。
  以下、だいぶ意訳してますけど高一族との会話。
  「たった一戦負けただけなのにー、どうしてー?」
  ってお前は負け慣れまくってきたからな。

  「(小姓の)命鶴丸はまさか逃げてないよね?」
  「逃げました」
  「じゃああの人はー? あの人はー?」
  「逃げました。みんな」
  「あとどれだけ残ってるのー?」
  「それも、500人くらい」
  「じゃあ、もう今夜限りだね。みんな用意しよっか」
  って微笑みつつ切腹準備に入る。

  二行に正座して焼香して最後の酒盛り。
  「おもひざし」って相手を指定して盃を差す。
  赤松範資は息子13歳が幼少だから逃がそうとするけど、
  息子は「13のどこが幼少か。自分も死にます」って、
  盃を差し合う中に加わって、

  そこにドンドン扉叩く音がして、
  みんな驚いたけど命鶴丸が帰って来たよ。

  「敵陣に行って南朝との合体を申し入れました。
   慧源も高兄弟を懲らしめたいだけで、
   兄の誅伐までは望んでないそうです。
   はやまって御自害なさらないで下さい」
  って事で自害中止。

  高師直・師泰兄弟は
  「じゃあ出家しよっか」って言ってんのを、
  薬師寺公義さんが止めるんだけど、
  やっぱ出家しときゃ何とかなるよねって気でいるから、
  薬師寺さんボロ泣き。

  「この人と死を共にして何の高名があるものか。
   憂世を捨ててこの人々の後生を弔うしかない。

    取れば憂し 取らねば人の数ならず
           捨つべき物は弓矢なりけり」
  って自ら髪切って高野山に上った。

  元可と名を変えて後の和歌
  「高野山 憂世の夢も覚めぬべし
           その暁の松の嵐に」

  ※沙弥(しゃみ)……十戒を修めたまた入ったばかりの僧侶
   比丘(びく)……250戒を修めた結構ベテラン
   喝食(かつじき)……有髪の侍童



だから薬師寺さん言ってたじゃん
  
南朝軍に負けたって、
  鎌倉では高師冬(師直の養子)が、
  足利基氏(尊氏の次男)の執権やってるし、
  ほとぼり冷めるまで出家しときゃ大丈夫だよね、
  
  って高兄弟思っていたんだけど、

  関東で起きた上杉家の謀反を退治に向かう途中で、
  足利基氏を奪われちゃって、
  そしたら大義名分が無くなっちゃって、
  こもった甲斐国須沢城で自害。

  高師直・師泰が頼みに出来る人いなくなっちゃった。

  ちなみに九州は足利直冬、
  四国は細川顕氏が治めちゃったってさ。

  それでも尊氏の上洛に紛れて、
  「どうもー」「遁世者でーす」って感じに、
  乗り切ろうとしたんだけど、

  上杉・畠山の兵に尊氏との間を隔てられて、
  武庫川辺りで高一族14人と従者まで、
  次々首斬られた。
  

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