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『太平記』読書記録3分の2の上

やはり可能であれば年内に読み切ってしまいたいという事で。
ちなみにこれはまだ『読書ノート』です。
感想もちょいちょい書き込まれていますが、
『感想文』ではありません。

 3分の1 3分の2 3分の3

  しかしむちゃくちゃ長い上に込み入って来たので、
  3分の2(巻十三~巻二十五)を更に三分割します。

    3分の2の上・


後醍醐天皇の治世、色々と問題
  
島流しから帰って来たのに側近の万里小路藤房、遁世。
  
(なんか天皇のイエスマンばっかでイヤになっちゃった)

  西園寺公宗の屋敷に隠れてた、
  鎌倉幕府最後の執権北条高時の弟、泰家が、
  名を改めて北条時興になって謀反、だけど失敗。
  公宗斬首。
ちょうど息子生まれた(後の實俊)。

  北条高時の次男、相模時行、鎌倉攻め。
  征夷大将軍になって鎌倉にいた成良親王と、
  足利高氏の弟で執権(もう鎌倉幕府は無い事に注意)の、
  足利直義、戦わずして京へ逃げる。

  その隙に直義、護良親王を斬首。しかも首ヤブに捨てた。

  京の朝廷では足利高氏、相模時行を討つ代わりに、
  征夷大将軍にしてくれ、とか願い出る。
  (しかも後醍醐天皇の諱尊治(たかはる)から、
   一字頂いて足利尊氏って名乗っちゃう)
  そんで見事時行追い散らしました。

色々とメモ書き
  清花の家(五摂家の次の家柄。大臣・大将クラス)ー
    西園寺、三条、徳大寺、花山院、洞院、
    大炊御門、今出川、久我
  名家(従一位クラス。日野、広橋、烏丸など)

  邦楽八音(鐘、磬、絃、管、笙、けん、鼓、しゅくぎょ)

  「バクヤの剣」の逸話半端ない。首同士が喰い合うて。

尊氏調子乗りまくり
  
天皇の宣旨来ないうちに征夷大将軍名乗っちゃって、
  新田義貞の領地奪っちゃって自分の家臣に与えちゃって、
  そりゃ義貞は激怒。ってか鎌倉幕府倒したの俺やんけ💢
  兄弟息子に与えられた土地から足利の庄園奪う。

  そこからはもうお互いの讒言合戦。
  義貞の方が長々と罪八つも上げて八逆にしたのと、
  護良親王の斬首がこの時初めて後醍醐天皇に伝わって、

  足利尊氏を朝敵とした追罰令が出る。

  
そしたら尊氏怯えて「出家するー」とか言い出す。
  「だって私帝に敵対とか考えてないし、
   親王の斬首も弟が知らないうちにやったんだし」
             ↑そこだよ💢
  「そもそも公家の世になったのがいけないんだよ」って、
  弟の直義が対陣する。
  だけどやっぱり義貞軍実戦力ありまくりで連戦敗北。

  尊氏「ほらダメじゃん出家するー」って建長寺に行く。
  直義と部下ニセの命令書作って、
  「出家したって許されない。一族皆滅ぼされる」
  って脅したらようやく出陣したのに、一気に兵が集まる。

足利軍と新田軍戦いまくり
  
新田家の紋が大中黒で日を表し、
  足利軍の紋が二つ引き両で月を表すというね。
  戦いの最中でめっちゃ紛らわしい、いや新田軍が有利か。

  「一騎当千」は『太平記』が最初に使った用語らしい。

  めっちゃ戦い多くて正直読むのしんどい。
  尊良親王が戦ではポンコツ(そりゃそうだよ)。
  名張八郎の怪力だけ大きくメモしてある。
  結果新田軍の方が尾張や西を指して落ちました。

ごだいごめっちゃ嫌われてんじゃん
  
↑ごめんなさい。敬意を失いました。

  足利家討伐(しかも天皇令)の戦が行われている最中に、
  細川定禅、讃岐で挙兵
  児島高徳、備前で挙兵
  久坂時重、丹波で挙兵
  能登でも北陸の武家が集まって蜂起。

  昨日まで味方だった人達から国司一族皆討たれて、
  生き残りが早馬で京まで報告に来た、
  その報告も終わらないうちにまた別の早馬がって、
  ヨブ記か

  正月になったけど誰も内裏まで挨拶に来ない。
   ↑ホンマにもっと壮重な文章で書かれてました。

大山崎の合戦
  
楠正成、宇治の平等院焼いた。
  
新田義貞と足利尊氏、大将軍同士の戦いは尊氏が勝ち。
  義貞の弟、脇屋義助の陣には、
  公家が多かったので大半が降人になる。

  皆半死半生で京に戻って天皇を東坂本へ逃がそうとする。
  しかし後醍醐が駕籠に乗っても、
  内裏には運ぶ者がいない。
       ↑そこだよ絶対に💢💢
  (駕籠かきくらいは自分の目に入る位置に残しておけ!)
  (下賤の者を容赦無く排除した結果がこのザマだ。
   悪いが私はこの一件だけで後醍醐が大嫌いになった。)

  内裏炎上。大した合戦も無く足利尊氏上洛。

三井寺合戦
  
三井寺と比叡山の対立
  散所……年貢を免除される代わりに住民が雑役を勤める地
  公請……朝廷から公の法会に召される事
  四ヶの大寺……東大寺、興福寺、延暦寺、圓城寺(三井寺)

  比叡山が味方について天皇方増えた。
  細川さん気付いて援軍下さいって言ったのに、
  京に上洛できたばっかの尊氏なめ切っててスルー。
  三井寺炎上。将軍方7300人討死。

  ※なぜここにいきなり俵藤太秀郷伝説が入るの。

  新田義貞の弟義助の、足利軍に紛れ込む作戦大成功。
  尊氏一旦京を離れて丹波路へ。
  「切腹するー」って道中3回も思ったけど、
  将軍にナイショで細川さん赤松さんが、
  尊氏を追い払って疲れてた新田軍散らしてくれたから、
  尊氏京に帰れたよって何なんだろうこの人。
  何か周りにはすっごく憎めない人なのかなぁ。

楠正成冷静ってかさすが河内の頭領
  
合戦に継ぐ合戦。
  一個一個に物語や講談的聞かせどころがあるようだが、
  私はスルー。
  新田兄弟めっちゃ戦う。

  その影で楠正成、新田義貞と打ち合わせた上で、
  
新田義貞が死んだとか逃げたとか噂まいて、
  敗走する兵を追いかけて京から軍勢半減したところを、
  総攻撃。尊氏丹波路へ(2回目)。

  尊氏逃げる途中つらつら考えて、
  「そっか。朝敵になったから負けたんだ」
  ってある意味ハイパーポジティブ。
  光厳上皇に密書送って院宣下さいって頼む。
  (分かった。この人どんな時でも、
   部下や身内責めないから慕われるんだ。
   敵からしたらたまったもんではないが。責任取れよ。)

  摂津豊嶋河原で大激戦。
  後から来た正成じっくり陣の様子見てから戦う。
  天皇方大勝利で尊氏は九州に逃げた。
  2000人が乗りまくった船沈んだりもする。

もう大丈夫って安心しやがって
  
新田義貞も後醍醐天皇も京に戻る。
  臨時の官吏任命式が行われて、
  義貞は左近中将に、弟の義助は右衛門佐になったよ。

  あと改元しようって建武から延元に。

  賀茂の社職の内の上職七家(鳥居大路、松下、林、森、
  梅辻、宮野、岡本)
  皇統が変わる毎に神主も変わるエピソード。
  ↑この時代二系統あるのが既にややこしい。
   ところでこの時点ではまだいわゆる南北朝ではない。

九州に着いた尊氏
  
将軍の味方に付く家と付かない家とで戦起きる。
  尊氏ここでも「腹切るー」とか嘆きまくるのに、
  「兄ちゃん💢みんなが付いてるから💢オレ先行くし」
  って弟の直義めっちゃ戦うやん。

  そしたら九州全域いきなり味方についちゃって、
  尊氏「え、何でみんな急に?」って心配がってるのを、
  高重茂がなだめた。
   ↑彼の息子や縁者の今後に注目。

  ところでこの間新田義貞は、
  天下第一の美人を内裏から賜ってメロメロになったので、
  尊氏を攻め滅ぼすのが遅れた、とされていますが、
  ⚠️史実じゃないです⚠️厳重注意

  義貞が瘧(おこり、マラリア的な高熱)を患ったのと、
  治るまで代わりが勤まる奴が天皇軍にいなかった事が、
  本当の理由でしょう。正成は参謀タイプだしね。

金持ちだろうが位高かろうがゲスはゲスだ
  
病治った新田貞義軍、西国武家と戦いまくり。
  だけど西国軍が優勢になって尊氏上洛目指す。
  厳島に着いたタイミングで光厳上皇の院宣受け取れた。
  尊氏の弟直義は「観音菩薩の夢を見た」とか言って、
  なんか陣中の士気上がってる。

  備中福山城も西国軍のものになって、
  兵庫まで迫って来て後醍醐ビックリ。
  楠正成も兵庫に向かってって頼むんだけど、
  「九州勢多すぎて今向かったって負け戦だよ。
   一旦比叡山に逃げて。畿内勢集めるから」
  って言ったのに、

  坊門宰相清忠が(言い方はデフォルトあり)、
  「えー。帝が一年のうち2回も逃げるってカッコ悪いよ。
   聖運あるから大丈夫だって。戦は京の外でやって
  って言ったのを後醍醐採用しちゃって、

  死を覚悟した正成、嫡男正行(まさつら)に庭訓。
  「金剛山辺りに隠れとけ。みすみす降人になるなよ」
  って桜井の別れ。←わりと有名らしい。

確かに『太平記』中のハイライトだ正成
  
兵庫に着いた正成、新田義貞と対面(会話は意訳。)
  義貞「もう負けるのは分かってんだけどさ。
     とっくに民衆からは笑われてるし、
     ここで京に戻るのも恥ずかしいなって」
  正成「人のそしり気にすんなよ。
     『衆愚の愕々たるは一賢の唯々に如かず(史記)』
     って言うじゃん」(義貞に酌しながら)
    「とは言ってもここまでやって来たのは、
     あんたの頑張りだ。すげぇなと思ってるよ」

  翌朝陸からも海からも大軍来るけど、
  義貞と正成二人はうろたえず。

  矢合わせで本間重氏ミサゴ射たりする。

  正成は足利直義と戦って勝った(敗走させた)んだけど、
  弟正季(まさすえ)含めて73人になっちゃって、
  逃げ隠れた民家で自刃。(首は妻子の元へ。)
  その前のやり取りがなんかカッコ良さげ(会話は抜粋)

  正成「そもそも最期の一念によって、
     善悪の生を引くと言えり。
     九界の間にいずれか御辺の願なる」
  正季からからとうち笑いて、
    「七生まで只同じ人間に生れて、
     朝敵を滅さばやとこそ存候へ」
  正成「罪業深き悪念なれども我も加様に思ふ也。
     いざさらば。同じく生を替えてこの本懐を達せん」

  そんで正成めっちゃ作者から誉め称えられてる。
  「智仁勇の三徳をかねて、死を善道に守るは、
   正成程の者は未だ無かりつるに、聖主周囲を先いて、
   逆臣横に威を振ふべき、その前表のしるしなれ」

  ※諸説あるけど作者は玄慧とその弟子っぽいらしい。
            ↑後に出て来るので注意。

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