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「正しい日本語」へのちょっとした疑念

  使わせて頂いたこのお写真の銅像、
  腕に巻いた数珠の宙に舞い具合が秀逸じゃない?
  それはともかく、

  言葉的な正しさって、
  わりかし当てにならない気がすると思った話。

  「判官(ほうがん)びいき」だって点訳の校正中、
  義経の逸話まで出してもう何回でも注意されるんだけど、
  義経に関わり無く現行では、
  「判官(はんがん)」という読みも存在するから、
  むしろ耳で聞く場合には、
  「はんがん」が分かりやすいですよって何度説明しても、

  「いや。『ほうがん』が正しいんだ」
  「きちんと歴史を知らなくてはダメだ」
  と繰り返されるお気持ちも分からないではないんだが。

  この御方だけを笑えはしない。
  結構な人が様々な語句で似たような事言ってくるし、
  私も言いかねない。


  「勧進帳」そのものはごめん正直に言うと、
  好きなようで嫌いな話。

  打ち据えといて後で土下座して「腹を切る」とか
  泣きわめいて許されてまた泣く(そして舞う)って、
  歴史も事情も知った上で言うけど私は、
  全員どうかしてると思う。

  そして「正しさ」さえ気にしなきゃ、
  同じように思った人結構いるんじゃないかと思う。

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!