聖書読書記録(42週目294日間)

2023年10月22日~10月28日
  使徒言行録21−1〜28−30
  ローマの信徒への手紙1−1〜7−25
  
  巻末地図「パウロの宣教旅行」3と、
  「パウロのローマへの旅」、
  巻末資料「旧約聖書からの引用箇所一覧」中の、
  「使徒言行録」部分も見比べながら。

内容:
  「ルカによる福音書」を書いたルカさんが、
  「使徒言行録」も書いたそうです。

  結局アポロさんの活躍があんまり無かった。
  (記録されていないだけでパウロと別行動)

  パウロはエルサレムに着くなり、
  かつてのキリスト教徒を迫害していた頃の、
  仲間たちから捕えられて収監されて、
  取り調べを受けまくったのでローマ皇帝に上訴。

  まずはアグリッパ王に謁見した後、
  皇帝に上訴したのでローマに向かう途中で、
  船が暴風雨に襲われ漂流。
  マルタ島に上陸した後ローマ到着。

  ローマに着いてからは宣教しまくりで、
  「ローマの信徒への手紙」に続く。

  手紙の随所に、
  神を讃える度に「アーメン」が記されるように。



ざっくり感想(実にざっくり):
  いや単純に漂流記としてちょっと楽しいけど。

  あとごめん「ローマの信徒への手紙」は、
  パウロさんの思いの丈が強すぎて、
  後世の異教徒である私には何だかよく分かんない。
  (読書感想に「分かんない」はあり得ない、
   っての本来の私の基本スタンスなんだが、
   これはあくまでも初回通読時のメモなので。)

  後世の異教徒である私にしてみれば、
  実に人間らしい言動の数々に対する、
  嫌悪感が容赦ない。

  「割礼」にこだわるな、
  というこだわりが半端ない。
  しかし、
  「律法ではなく信仰によって
   義と認められる」
  という認識は分からない事も無い。

  ただ申し訳ないが、
  後世の異教徒である私自身の価値観と、
  どうにも今のところ相容れない。

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。(中略)わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。(略)
 従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(略)
 (略)つまり、あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです。

『ローマの信徒への手紙』6-4、6、12〜13、16


  私にとっては奴隷であるという大前提が耐え難いのだが。

  民族的に奴隷であった事を理由にされても、
  私も集落内で奴隷であった以上納得するわけには。

  

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