『石狩挽歌』が大好きだ
『石狩挽歌』が大好き過ぎて
たまらないというだけの話がしたい。
それも今急に思い付いたから今したい。
あのイントロが耳に届く度に、
エディット・ピアフの『パダン・パダン』同様、
「この歌は私のものだ」と宣いたくなるのだ。
北原ミレイの歌唱力に遠く及ばない事は承知しているが。
♪ダダダダダーン
のリフレインに、
いやが上でも気持ちが高まり、
握り込んだ拳を裏拳で突き出すかのように、
♪ごめぇが鳴くからぁ ニシンが来るとぉ~~~
と歌い出したくなる。
この場合口では「ごめ」と出しつつも、
頭の中ではルビの付いた「海鳥」が、
群れ飛ぶ様子にやかましいほどの鳴き声まで、
思い浮かべ切れていなければならない。
「赤いツッポのヤン衆」も同様。
赤の色味に魚の油や磯臭さが染み込んだ様子まで、
鮮明に思い浮かべ切れた上でだ。
「雪に埋もれた番屋の隅」はさすがに、
九州生まれの私には体感し得ない厳しさだとしても、
♪あたぁしゃ夜通し (♪ズッチャン)
飯を炊くぅぅうぅうぅぅう
この泥臭さ!
しかし力強さ!
自分が食えるわけでもない飯を、
男衆の腹を満たすためだけに、
自身も蒸気で蒸され続けながらの一晩中、
おそらく飛び抜けて美しくはないだろう娘の心意気!
しかしながらここで多少趣きを変えて、
♪あれからニシンは どこへ行ったやらぁ~
とやりたい。そして、
♪オンボロロゥ オンボロボゥロロゥ
おっといけない。
ここで聴衆から笑いが起きるようでは、
私はこの歌の世界観を充分に作り込み切れていない。
ここではどうあっても、
堂々たる、かつ切々とした、
「オンボロロ」を聴かせなくてはならないのだ。
なぜなら、
♪あたしゃ涙で娘盛りの 夢を見る
で結ばなくてはならないからだ。
つまりこの歌は、
何はなくとも美しかった若き日々を思い返す歌。
美しく懐かしくあってもなお、
この自分を欺きようもない現実味溢れる泥臭さだ。
しかし繰り返すが力強さ。
生まれた時に所は違っても、
私の骨身に染み付いた感性に精神性と、
これほどまでに合致する楽曲は、
私が聴いてきた中では他に無い。
作詞のなかにし礼さんは長崎県、
つまり九州出身であり、
この歌が生まれた経緯も知っているし泣けた。
あくまでも歌とはまた異なる世界観だと把握しているが。