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【小説】『白い卵で叩き割れ』

 「この作品はエモい古語辞典コンテストのお題
『探驪獲珠(たんりかくしゅ)』を利用し創作したものです。
 https://www.pixiv.net/novel/contest/emoikogo

 分かってます。エモくないです。
 私の中のエモをギュウギュウに詰め込みましたが、
 今時かつ企画主様が求めておられたエモではないです。
 しかし書かずにはいられませんでした。

 それ以前にTwitterアカウントが必須の企画でした。
 知ってはいましたが書かずにいられませんでした。

 しかしおかげさまでpixivの4年間中最も読まれましたので、
 noteにも移行して成仏させます。

(約5000文字)


白い卵で叩き割れ

 養子縁組なら済ませてあるので、戸籍上、自分の父親になっているその男は、右側の半分しか残っていない顔でさも楽しげに笑いながら聞かせてくる。
「オイたちゃニワトリにゃ足ば向けて寝られんとばい」
 戸籍上の父親でしかない事など、この村の連中は、皆が知っていて毎日顔を合わせる度に、頼みもしないのに言い聞かせてくれるのだが。
「どこの家でんニワトリは飼うちょらすじゃろもん」
「そがんじゃなぁ。あいたこら。しもたどこん家にでん、足ん先ゃ向けられん。オイは立ち尽くして寝らんばならんごた」
 母はキセルをふかしながら呆れ顔でいる。


 父親に、なっている男はこうも言う。
「いっち偉かとはニワトリじゃいけんな」
 村の者達にも笑われる、継ぎ当てだらけのボロをさも大事の一張羅のように、羽織り続けている。母が吸っていたキセルに、葉を詰め直して、火は母に点けてもらう。左側半分を焼いた顔に、火が近寄るのが恐ろしいから。
「他所んどこの家にでん飼われておって、卵ば毎日産んでくれるニワトリさんじゃニワトリ様々じゃ。金ば受け取れたってんオイたちゃあ、ただ我がたちで使おうち思うたらいけん。まずニワトリに良かエサば、たいて食わせてやらにゃ」
「エサば食わせっとは他所ん家じゃろもん」
「そがんじゃ」
 焼けた半分の中でも生き残っている目玉を見合わせて、一つ頷いてくる。
「そいやけんでエサば食わさせてん構わんごと、思いよってもらわんば」
 頭が弱い分気が優しいと、村では評判の父親だ。腐ったような卵でも、気付かず値を付けてくれると。
 もちろん気付いている。売りに出したならこちらの信用が損なわれるだけだから。親に言われてその、見た目から色の良くない卵を、おそるおそる震える手で差し出して来る、その子を飢え死にさせないためだ。親たちの因果など、考えはしない。


 馬小屋の火事から馬たちを、救い出した結果顔を焼き、誰も同じ床になど入れまいと、奉公先で子を作り戻って来た女を世話された。これが、そもそも身持ちが悪いくせに無作法極まりない女で、朝も寝床を離れず、仕事に出る夫を送り出しもしない、とどこから見られているのかも分からないままに語られていたが、その通りだ。
 強いて付け加えるなら、母としても侮って嘲笑うばかりの村の内に、夫を送り出したいものか。
「あたしん名前は死に装束ばよ」
 シエ、という名前を母はそう自嘲する。
 自分の名前は自分でも、ただぶら下がっている記号のようで、自分のものには思えない。村の中では「卵売りの息子」で済む。
「血は繋がっちょらんばってんな」
 すぐそのひと言が添えられもする。
 奇妙な事に家の中でも父親は、「オイが息子」と呼んでくる。
「血は繋がっちょらんじゃろもん」
 というひと言は、自分の側では飲み込むのだが。
 実感も無い、記号で良ければ一応は、乙吉(おときち)という。甲が他にある事が知れる名で、父親も呼びたくはないのだろう。


 竜神様を祀る御社は、村から半日ほど掛かる湖のそばだ。海が近いというのに山あいで、その山も時折火を噴き灰に毒気に侵され、実りが少ない自分たちの村にまでは、何の御利益も届いていないに違いないが。
 父親が卵を卸す町に近く、数えで十五にもなったのだから、無事にここまで育った御礼でも述べて来いと送り出された。
 竜神が育てたわけでもあるまいに、と腹の底では侮っていたが、要は物見と心得れば、湖の深さには決して気が洗われないものでもない。村辺りの土は荒れていても、山裾は緑が濃く、湖を縁取るばかりか湖面まで色付けている。
 水の色と重なって更に深く、吸い込まれて底に沈んだとしても気付かれなさそうに思う。
「シエさん」
 首筋がざわっとしたのは、自分の名前を「死に装束」とぼやく、母の声色がこびり付いていたからだ。
 身を引きつつ振り向いた右傍らには、腰の曲がった老婆がいて、その先の遠くに御社も見えた。
「あんたさんの母親さんはシエさんて言わっさんな」
 さん、がやたら多い、と普段付けられる事も無いので気にかかる。
「いやぁ下ん坊っちゃんの、まぁだ若か頃によぉ似とらぃ」
 父を、知っているんですかと、歯の裏まで出かかりながら出せなかったのは、自分にとっての父親は血が繋がっていないにせよ、卵売りだからだ。
 坊っちゃん、などと呼ばれた事は一度も無いだろう男だ。
 黙ったままの自分を見上げて老婆は、シワに埋もれた目に涙まで浮かべながら話し続ける。
「シエさんの、働きよらした時に身ごもらして、旦那さんはたいって腹かかしたないどん、坊っちゃんの亡くならしてしもうたなら今は」
「亡くなったとですか」
「いん。つい先頃、身体ば壊さしてなぃ」
 衝撃が次々と、あっさり流れるように片付けられて、見た目の上では湖面のような凪にしかならない。
「せめて忘れ形見なっとおりゃせんかて、屋敷ん内ではいっしょけんめに探しよる。ほれ」
 老婆は袂から取り出した袋の、ヒモを解いて中から奇妙な色合いの、珠を取り出してきた。
 一見どす黒く、薄汚いようにも思えるそれは、良く見れば細かな色の輝きが寄り集まって、更に言えば人の手でなど作れそうにない真球だ。手のひらに乗せられたその感触に引き込まれる。指先に一切の、チリ一つ分の引っ掛かりも無い。
「坊っちゃんの、ここん湖で拾うてからずぅっと大切に持ちよらした」
「湖に、潜らしたとですか?」
 知りもしない事であるのに「いんやぁ」と、老婆は歯も少ない口を開けて笑っている。
「岸で、あん、御社のそば近くで拾うたげなばぃ」
 振り向きもしたようだが自分は、手のひらの珠に気を奪われていて、目も上げなかった。
「こいば持って屋敷ば訪ねたなら、旦那さんもまぁあ喜ばして迎え入れてくれようで」
 老婆は何者で、実父とどういった繋がりがあるのか、どうして老婆自ら屋敷まで案内してはくれないのか、訊きもしなければその場では、頭に浮かびさえしなかった。


 日が暮れ切ってから家に着き、母屋に入る前に離れを覗き込んだ。父親だけが中にいる可能性が高い。
 果たして父親はその中に、ロウソク一本を灯しただけの明かりの内に、あぐら座りでいた。ロウソクだけの明かりとは言え紙の覆いをかぶせてあるので、二畳ほどの部屋には広がっている。
 いつも天秤竿の両側にぶら下げて歩く、網を張ったカゴいっぱいに盛られた卵を、一個一個手に取って、布で拭いては選り分けている。
「何か」
 作業に集中しているので自分に目を向けては来ない。上がり込み、襖は端まで閉め切って、父親に膝を詰めてから口にした。
「こん村ば、出よぃ」
 卵を拭く手を止めて父親は、半分崩れた顔を上げて来る。
「出てそいから何ばするな」
 まずは珠を見せて父親に、湖であった事を話した。聞きながら父親はキセルに葉を詰めて、この場に母はいないので、火も父親が点けた。煙を一度吐き切ってから、呟いてくる。
「そん屋敷に、行きたかか」
「いんにゃ」
 焼けた半分の中でも生き残った目玉を向けてくる。
「誰が。母ちゃんは、好いてもおらんかった者とに」
「そがんじゃな」
 一つ、頷いてくる。
「こいば、売り払うて金ば作ろ。母ちゃんと、父ちゃんとオイと三人ぐらいでやったら、どこぞで暮らせもされんもんかて」
「そがんまでの金にゃならんじゃろ」
「ならんでも! オイは、こいばもらえたとじゃ。オイのもんじゃ!」
 手のひらの、感触にばかり気が行って、父親を見ていない事になら気付いていた。目は向けていても、頭には入って来ない。
「今までいっちょん回っちゃ来んかった分の、ようやっとで、受け取れよるとじゃ! もうバカにされんでん、頭の弱かごと笑われんでん良か。好きで顔ば焼いちゃおらんもんを。ワイたちの馬ば助けられておってから!」
 ん、と父親は息を詰め頷きはしなかったようだ。
「オイは、こいば手の上に乗せてから、何でんやり切れるごた気のしとる。腹ん立つ者にオイたちば、笑うて済ませよる者ばみんな、地べたに張り付かせて、顔ば踏んつらかしても構わんごと……」
「白い卵で叩き割れ」
 言葉に詰まったのはその声が、土地の訛りでは聞こえなかったからだ。父親の声でありながらどこか遠くから来たようで、父親の意志とは思えない。
「……卵ん方が割れるじゃろ」
「やってみらんば分からん」
 卵ならそれは、卵売りなのだから、手を伸ばせばそば近くのカゴにあふれるくらいにはあるのだが、その中でも色の良くないヒビが入っているような一つを選び出した。
 それを選び出せる程度には、自分も日頃の手伝いに慣れてはいた。
 コツン、と当てた瞬間に、ありとあらゆる色味が散った。その寸前まで確かに手の内に、指先にあった感触が、音も無く消え失せ色の粒になり、ロウソクの明かりに滲むように溶けるように、紛れ込んで行く。
「ほい見れ」
 と父親は、恐ろしさをひた隠しにするような声で笑った。
「良うなかもんは良かもんに、敵い切らん」
 右の手に残っているのはヒビが入り、中は腐り始めているだろう、卵だけだ。
「良かもんか? こいが」
「見た目はどげんあってでも、オイたちゃ毎日周りから、よぉさんのもんば受け取れよる」
 伸ばされた手に頭が、撫でられると言うより抱き込まれる。
「そいの分からんままどこなっと行ったってん、身の残らん」
 母が継ぎを当て続けるので、父親が着続ける羽織の袖が、首筋を撫でる。
「オイが息子」
 奇妙にも感じず腹の底に落ち切った事を、奇妙に思った。
「よぉ戻った。無事に、戻り切れて良ぉあった」
 好んでもいなかった者から、作らされて、母は望みもしなかった子を、頭が弱いものだから、引き取らされて、養わされて気の毒にと、村の中での言い様は、軽口であればあるほど身に刺さって、
 刺さり続けているその間は、痛みも感じず抜けもしない。だから何事も受け取れずにきた。
「顔は、拭かぃでも良かろうや。痛かじゃろけん。傷ん入ったなら血は流れるもんじゃいけん」
 卵売りの息子が、何を言ったところで、泣こうが腹を立てようが、笑われるばかりだと、飲み込んで隠し沈めて、見た目ばかりはどうにか、必死みたいに整えて、
 だから引き込まれて、試される。深い水の色に。一つ一つの葉の動きは、決して穏やかでもない緑色に。沈み切る覚悟はある者かと、いや、
 竜神でもない限りは、要らぬ覚悟だと。
「母屋に、入らんな。帰ったごたるばってんまっすぐ顔ば見せに来んて、家ん中でシエの気ば揉んじょるじゃろ」
 おい、や、お前、で済ませられる、この村の他所の母親たちとは違って、母は名前で呼ばれている。もちろん死に装束の意味など無く。


 村での評判通り、父親は頭が弱い者で、養鶏場が出来て卵の値など落ち込んで崩れていったものを、金は家々に渡し続け、
 町から帰る途中の山道で、倒れて一人きりで亡くなった。
 葬儀にも出ず母は村の者たちを呆れさせたが、ただ心に入れたくなかっただけだ。息を引き取るその日まで、
「あん人は町さん出かけらした。帰って来らす。あたしの死んだ後にでん帰って来らす」
 と呟き続けていた。
 自分たちでは世話してもいないニワトリが、産み落としてくれた卵を渡すだけで、金がもらえる旨味に慣れ切っていた村の男どもは、卵の代わりを求め、自分が商う役目にもなったが、本音を言えば好都合だ。
 何としてもこの村を離れ出たい者なら、自分と同世代以下の中にはいくらでもいた。

    了   

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