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おまけの岡本太郎(縄文土器と八重山の歌)

 帰りの電車の中で、

 旅のお供に携えていた、

   岡本太郎 『沖縄文化論 ーー忘れられた日本』
   1996年初版 中公文庫

 の中で紹介されていた、
 八重山諸島に伝わる歌の歌詞に、
 一泊二日の高野山で感じた全てよりも、
 衝撃を受け打ちのめされてしまったわけだ。

片乳から樫の木が立ち
片眼からドシヌ木が立ち
樫の木から舵を取り
ドシヌ木から船体を取り
どうあっても乗るのだと
あのお役人が乗り込んだ
こうなってまで乗るんだね
船になってまで乗るんだね
命を棄てれば乗られまいと
(思い定めて死んだものを)

「八重山の悲歌」100p『ぬすげまじらば』の歌詞を、併記された訳文を参照しつつ、九州出身者なりに伝わる雰囲気を元に、偏光訳。


 岡本太郎ももちろん衝撃を受けたからこそ紹介したわけだが、
 なんて圧倒的に率直な嘆き様だ。
 これはこの島でしか生まれ得ない。
 この悲しみを日々身に染みて味わった土地からしか出てこない。


 岡本太郎の別の文献では、
 縄文式土器と弥生式土器との間の、
 連絡性の無さは一体どうした事か。
 異なる民族であったという説は承服できない。
 自分たちにも縄文の血脈が存在しているはずだ。

 といった疑問が提示されていた。
 (ちょっと今手元に原本が無くて記憶頼み。)

 また点訳ボランティアで聞かされた話だが、
 聴覚による声の文化から、
 視覚による文字の文化へと、
 移行するタイミングが存在し、
 その際の変化が甚だしいという。

 更にNHKの番組で見たややうろ覚えの話だが、
 かつて古代の祭祀には銅鐸が使われ、
 実際に音が鳴らされていた。
 鏡が御神体となり光が崇められる以前の話で、
 今やその響きなど忘れ去られてしまったが。


 現時点では私の連想に過ぎないのだが、
 そこで起きていたものは、
 女性性の崇拝を基本とする社会から、
 男性性による支配への転換ではなかったか。

 どちら側を悪とは言わない。
 どちらにも利点はあったのだろう。

 すなわち過ぎ去って、
 見向きもされなくなったと思われている側も、
 悪ではなかったし、
 今現在に対しても利点はある。

 両者は並び立って然るべきだと私は言いたい。

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