今年春頃の問題提起1/3:私の根幹
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
先日の御詠歌教室中に去来した想念。
(文字数:約600文字)
私ももちろん、
誰もが隠し持っているだろう、
「(有形無形を問わずあらゆる要素を)
持たざる者への軽侮の念」に、
私はもちろん、
人の心はどのように対応すれば良いのだろう。
理論や学識ではなく、
現実に即した行動として、
どのように対応できるだろう。
金銭(現金とは限らない)は、
その最も分かりやすい指標に過ぎない。
愛情あるいは道徳は、
その最も分かりにくい指標に過ぎない。
この世に自分の血肉が存在している間は、
今現在より多少なりとも、
深刻ではない様相に移行させたい。
(変えたい、
とはあえて思わないようにする。
他者を変える事は、
不可能であるばかりか、
他者・他集団に対する無礼であるから。)
まぁ偏光らしくざっくり言ってしまえば、
我々とっくに相当しあわせを実感して良いはずだぞ?
いつまで不幸なツラしてやがる。
そんでその不幸がどこかの誰かのせいだと思ってやがる。
「そうだろ? ソイツの思い込みだよなwww」
じゃねぇって。
全人類の全社会階層に言ってんだよ私は。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
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