聖書読書記録(45週目315日間)

2023年11月11日~11月18日
  ガラテヤの信徒への手紙
  エフェソの信徒への手紙
  フィリピの信徒への手紙
  コロサイの信徒への手紙
  テサロニケの信徒への手紙(一)
  テサロニケの信徒への手紙(二)

  巻末地図「パウロのローマへの旅」、
  巻末資料「旧約聖書からの引用箇所一覧」中の、
  「ガラテヤの信徒への手紙」
  「エフェソの信徒への手紙」部分も見比べながら。

内容:
  ガラテヤ、で、ガリラヤ、じゃないからね。
  (分かっている人は鼻で笑うと思うが、
   私を含めかじった程度の人は、
   「ホンマや(汗)」てなると思う。)

  書かれた時代順ではテサロニケが最初。
  エフェソ、フィリピ、コロサイは獄中から書き送ってる。

ざっくり感想(実にざっくり):
  「ガラテヤの信徒への手紙」が、
  わりとコンパクトにまとまってくれていたおかげで、
  パウロが考えるキリストの磔刑に復活の意味合いと、
  つまり当時どういった事が起きていたのかが、
  わりと整理立てられて分かってきた。

  つまりキリストって何なん?
  って思った人や、
  調べすぎてワケ分かんなくなってきた人は、
  ガラテヤに戻ってみた方が良いな。

  ペテロを筆頭とする12使徒は、
  すでに割礼を受けたユダヤ人への布教に携わり、
  私、パウロは割礼を受けていない異邦人、
  (つまり手紙を書き送った人たち)への、
  福音を伝える使徒として、
  キリストから直接選ばれたのです。

  ……という立場での主張をくり返していたんですね。

  そして12使徒は許可してくれたけど、
  元来のユダヤ人だけでなくキリスト教徒の中にも、
  「異教徒は絶対に救われない」と信じ込み、
  「信者と認められたければ割礼を受けろ」とか、
  強要してくる人たちが結構多くいたので、

  「割礼受けなくていいよ」
  「ってかむしろ意地でも受けるな」
  ってわりとしっかりめに否定している。

  形式だけ戒律を守ってどうすんだ。
  福音を信仰したなら要らないだろ。
  ……って事ですね。

  だからキリスト教は世界に広まったし、
  割礼も不要になった。

  わりかし重要なファクターだな。
  この時代のユダヤ人とキリスト者との対立が、
  結局解消などされないまま現在に至っている。

  更にはアブラハムに生まれた二人の息子、
  ハガルを地上のエルサレム、
  イサクを天上のエルサレムを継ぐ者、
  と捉えた事によって、

  ハガルの子孫だと主張する、
  イスラム教との対立構造も表現されている。

  しかし
  「主は、
   アブラハムの子孫たちにこの土地を与える、
   とは言わず、
   アブラハムの子孫、と(単数形で)言ったのだから、
   この子孫、とはキリストの事だ」
  という主張と論旨の展開は苦しくないか。
  そりゃユダヤ人の中には認めない者もいそうだ。


  エフェソやコロサイもまぁ、
  コンパクトにまとめられてていいんだけど、
  それぞれの立場が明記されているはずなのに、
  一部分だけを切り取った説教がされそうで微妙だ。

妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。(中略)夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。(中略)妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。

『エフェソの信徒への手紙』4−22〜28

 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。
 奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。(中略)あなたがたは主キリストに仕えているのです。不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう。主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。

『コロサイの信徒への手紙』3−20〜4−1

  ところで
  『「キリスト再臨の日が来る」と言ってるのに、
   いつまで経っても来ないじゃないか。
   うちの爺さんは待ってるだけで亡くなっちまったぞ』
  という苦情は当時から非常に多かった様子で、

  亡くなった方からキリストは復活させるから大丈夫、
  とは言っているけど、
  正直信じ切れない人は信じなくなるよね。

  しかもその日の直前には「偽キリストが現れる」から、
  騙されてはならない、とも言っているのに、
  「心からの信仰があれば見分け切れるはずだ」って、
  そんなの精神論で片付けられたって。

 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。

『テサロニケの信徒への手紙(一)』5−1〜2

  だから常に備えとけ、って話なんだけど、
  主に対してこの例えってどうなん?
  これまでの預言書にも見られた記述だけどさ。

実際、あなたがたのもとにいたとき、私たちは「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

『テサロニケの信徒への手紙(二)』3−10

  貴様か(怒)。

  この一文のせいで公然と辱められつつ、
  飯を与えられない事が小学校2、3年の頃に幾度かあったが、
  しっかり読むとここは、
  「自分たちが他所の土地で世話になっている間」
  である事くらい分かるよなぁ(怒怒怒)。
  

  パウロ様、
  ワタクシ偏光は、
  人それぞれに異なる揺らぎの部分こそ、
  大事に思って接したいのです。
  

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