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『唱え奉る河内國春乃井学園御詠歌部』第9話

第1話(末尾に全16話分のリンクあり)
(文字数:約10400文字)


9 かまど山 思わぬ所に 落とし穴

 安請け合い、をしたつもりなんかもちろん、なかったんだけど、
 男3女3の、高校生計6人を泊めるとなったら、二階建ての家の内のどの部屋を使ってもらおうか(どの部屋を開かずの物置にしてしまおうか)、
 たまに叔母さん達がいとこを連れて訪ねに来るけど、泊まる事までは滅多に無いから、長く使われていなかった部屋は風通しだったり天日干しだったりが必要で、あとお風呂とかトイレの掃除は毎日ある程度やってるけど、当日前はやっぱり普段よりも念入りにやっとかなきゃだろうし、
 おばあちゃんは「大丈夫」って言ってくれるけど、僕も手を貸さないわけにいかない、と言うより僕がメインで動くべきだと思う。僕の友達なんだから。
 友達、って言っちゃっても笑って許してもらえるのか、本当を言うと今の僕には、まだザワザワ不安がよぎる事があるんだけど、言っちゃっても、良いんだよな、うん、って口には出さないまま、自分の気持ちだけでうなずいている。半分以上が先輩だけど。全体をひと言で言おうとしたら。
 おばあちゃんにも僕にも大体の、作業に工程はイメージ出来ていたから、楽とは言えないけど無理でもない。おばあちゃんに友達を会わせるなんて、思いっきりはしゃげる話じゃないけどそれでも、ふわふわした楽しみみたいなものがふくらんでいるのを、押し潰してしまうほど大変でもない。
 夏休みに入って電話をかけてきた、両親からは思いっきりで呆れられたけど。
「弓月のお友達が遊びに来てくれる」
 って口を滑らせたおばあちゃんを責める事なんか出来ない。そりゃ家の事なんだから話すだろうし、「ああ。古和で元気にやっているのね」って、そりゃ思ってくれると思うだろう。
「何その子達どこで知り合ったの? おばあちゃんまで働かせて、家中好きなように使われるだけじゃない。それで何? 他の子は彼女連れで、あんたは仲間外れ。そんなの、友達なんかじゃないわ。向こうには、ただの使用人よ」
 勝手に飲み込んで腹を立ててくるから、僕の説明はもちろんおばあちゃんの話だって聞いていない。適当に聞き流しながら相づちを打っておくしかなくなる。
 本当はこんな相づち、打ちたくもない。打つ度に胸の中が少しずつ、苦くなっていくんだけど。
「だけど僕、別に利用されたって構わないんだよ?」
 ってつい口からこぼれ出てしまって、そこからは、量も速さも圧力も十倍くらいになった言葉が襲ってきた。
「ごめんやでぇ弓月」
 コーヒーを飲みながらおばあちゃんも、コーヒーのせいじゃなく苦い顔をしている。
「いいよ。僕も結局部活の話とか、出来てない」
 変な感じだけど、ちょっとホッとした。御詠歌部とかおばあちゃんも、お母さんには言いにくいんだ。
 誰に対しても堂々と話すべきとか、思えないもんなんだ思えなくても仕方がないんだって。
 お母さんが子供の頃には、関東で、宗教団体だって言い張る組織がかなりひどい犯罪を起こしたみたいで、宗教っぽい事を言われただけでお母さんは怖い気味が悪いって思ってしまう。あの組織は本当には宗教なんて言えない、テロリストだったと思うんだけど、怖いと思ったら似たもの全部が嫌になる感覚は、僕だって理解できる。
 お父さんだってまだ若い頃、今の僕くらいの年に、もう嫌だって飛び出して、出来るだけ離れよう遠ざかろうとしてきた所に、戻っただけじゃなくそこそこ入り込んでいる僕を見るのは、はっきり言っちゃうと不愉快みたいで、それまでの生き方や選んできたものを、否定されたみたいに、一生懸命頑張ってちょっとずつ進歩させてきたものが、僕の分だけ退化したみたいに思っている。
 それだって僕には、仕方ないなって分かる。田舎暮らしだって良い事ばかりじゃない。合わない人にはどうやったって、合わせ切れないんだ。だけど、それだってだから、
 ただ方向が逆なだけで、なんだ僕と同じだ。

 利用されたっていい、って思えるのは、高校に入る前の、無理矢理みたいに作らされてお互いに言わされてきた「友達」とは、何かが違うから。
 何が違うかって僕が、無理してない。と言うより無理が出来なくて、合わせ切れない僕をダメだダメだって、責められたり自分でも責め続ける感じが無い。
 ギクシャクしていた神南備と幸さんも、ちょっとずつ話し出すようになって、夏休みに入る頃には前みたいな感じに戻ってくれたし、
「普通からは、かけ離れていて申し訳無いが」
 って気恥ずかしそうに部長は、ケータイのメールアドレスを教えてくれた。
「ああ良かった。僕もガラケーです」
 って取り出して、僕のアドレスも返す間お互い仕方なさそうに笑っていた。
 学園の最寄り駅で、神南備は部長と幸さんと待ち合わせて、「無事合流した」って部長がメールで知らせてくれた乗車時間に、合わせた電車を僕は無人駅で待っている。
 深見駅で合流する、林さん廣江さんも乗り換えて、そこから先は進行方向を前にした二人席が並ぶ、どんなに多い時間でもせいぜい二両編成の列車だ。それだって埋まったところを見た事が無いから、夏休みでも昼近くのこの時間なら空いているだろう。
 山頂までの観光客は大抵、三鈷の荘で特急に乗り換える。山頂に近い音谷からだったらそっちの方が早い。幸さんがいつも降りていたわけだし、今日も神南備を迎えに行けるわけだ。
 お父さんにお母さんの反応も、仕方ないかなって思えるのは、古和に住み出した頃の僕に逢えて「二年後にはこうなってるよ」って教え切れたって、気休めを言うなって、赤いブツブツだらけの顔でちょっとすねた感じに笑って、ちっとも信じやしなかっただろうから。
 今だって、全部ウソなんじゃないかだまされているんじゃないか、自分に都合が良いように思い込んでいるだけじゃないのかって、疑い続ける両親を、説得できるだけの根拠なんか見つけ切れずにいるんだけど、
 ホームに向かって滑り込んで来る電車の、窓際に座って外を見ていた神南備と目が合って、

 あっ。弓月くんだ!

 って、窓の向こうから聞こえてくるみたいな笑顔を見せられた。
 寄合バスみたいにこの車両は、降りる人が一番前、乗る人が一番後ろの扉って決まっているから、乗り込んだ僕からは並んだイスの背もたれに、人の後ろ頭がまずは見えるはずなんだけど、
「おはよう。弓月くん」
「張山くん、今日はありがとう」
「よろしくお願い致しますぅ」
「ありがとう。その、お世話に、なります」
 横一列分の背もたれから、みんな振り向いたりちょっと立ち上がったりして、笑顔にお辞儀まで並べて見せてくれる。
 これが全部、ウソだったりだまされているんだとしたら、かえってすごいなって、みんな、僕の事少なくとも嫌いじゃない、近寄っても嫌な顔とか嫌な笑い方とか見せてこないって、思い込ませてもらえる時点で、利用されたって、いいくらいの価値はあるんじゃないかな。僕がただうれしいとか、おばあちゃんが喜んでくれるとかだって、言っちゃえば利用しているし、
 この先何がどうなったって僕は、きっと「だまされた」とか、「裏切られた」なんて思わない。だって僕の方から思いっきり今、信じ込んじゃったから。
「ひさしぶり」
 って神南備が言ってきて、夏休みに入ってまだ一週間くらいしか経ってないよって、思ったけど僕の口から出て来たのもやっぱり、
「ひさしぶり」
 で、神南備とは通路を挟んで林さんの後ろ、ななめ前に部長が見える席に座った。神南備の隣でも良かったんだけど、全体のバランスが崩れそうな気がしたから。
 信号待ちでしばらく停車するって、アナウンスがあって、神南備が自分のバッグを開いた。
「深見駅で、飲み物とか買ってきたよ」
「ああサンキュ。助かる」
 古和にだってそりゃ自販機くらいはあるんだけど、種類は多くないから僕は、かまど山駅で買おうと思っていた。
「水で良かったよね」
「うん。水が良い。ありがとう」
 通路越しに向けられた、ペットボトルを手に掴んだ時、

   ビクッ

 って音が聞こえてきそうな感じに、ななめ前で部長の身体が大きく跳ねた。
 僕だけじゃなく林さんに廣江さんも、背もたれがあるから頭の先しか見えなかったはずの神南備も、黙り込んで一斉に注目してしまった中で、顔を押さえて背を丸めた部長の、今見えているだけの頬が耳が思いっきり赤くなっている。
「何ですか部長、挙動不審」
「分かっている。自覚はあるからその、構わないでくれ」
 とか言われても、栓を開ける時、ひと口分を口にふくんだ時飲み込む時、キャップを閉める時に合わせてうつむいた頭が、こっちを見てもいないのにビクビク動いてくるものだから、申し訳無いけど気持ちが悪い!
「説明が欲しいです!」
「構わないでくれと言っているだろう!」
「いや無理ですって気になりますって!」
「二人ともうるさいよ! 今電車の中!」
 神南備からそんな分かり切った事言われちゃうのも情けないけど。
「ペットボトル」
 幸さんが後ろの神南備に渡して、神南備から僕に回って来たのは、カーキ色のボトルカバーだ。
「手に取った人の、心の声が聴こえるの。晃は」
「へ?」
 って出た声がおじいちゃんおばあちゃんにちょっと似ていた気がして飲み込んだ。
「何ですか。いきなりその特殊能力」
「特殊能力、って言うのかしらね。単なるクセみたいなものだって、私は思っているんだけど」
 ボトルカバーをかぶせたら、部長は顔から手を離して、背中もまっすぐ起こしてきた。何事も無かったみたいな落ち着いた感じを作っているけど、正面を向いた頭を動かさない。
「山を下りたら雑音の方が多いから、気にしていられないけど、山を上り出してから聴こえるようになって、音谷に着いたら持っている人の隣にいるだけで聴こえる」
 聞きながら「どうぞ」って、マジックで書かれた貯金箱とか、そこに向かって手を合わせて頭を下げていたおじいちゃんなんかが浮かんできて、
「私も今ペットボトル、持ちましたけど……」
「まだふもとだから大丈夫よ」
 神南備に微笑みながらうなずいた幸さんが、
「弓月くんの声は前に、音谷で聴いた事があったのよね、晃?」
 って言った時に、僕の頭も全体が首筋からガッて熱くなった。
「何弓月くん、挙動不審」
 ちょうど電車が動き出して、神南備の声も聞こえてくるけど、
「分かってる。自覚はあるからその、放っておいて」
 うつむいて顔を手で覆って、落ち着くまで周りは見ないでおくしかない。

 山を上って行く路線は緑の中を抜けたり谷を渡ったりして、ひと駅分でも移動時間は平地の路線より長く感じる。
 僕も晃もかまど山駅に着いた時には、ぐったり肩を落としていて、ちょうど良い所にあるみたいにみんなは、僕達の周りに荷物を置いて駅構内にあるおにぎり屋さんに向かった。
「二人の分も適当に選んどくから」
 って神南備に幸さんはやけに仲良さげだ。充分に、遠ざかって行ってからゆっくりと、息を吸う。
「こっちばっかり聞かれてるってそれ、ずるくないですか?」
「聴きたくて聴いているわけじゃない! そっちこそ、去年の神楽は見ていたんじゃないか!」
 それを言われてしまうとだから、顔も名前も知らない、多分同い年くらいの男の子が気になって、わざわざ音谷まで見に行ったって、どんな新種のストーカーだよとか、
 結局何も見つからなくて帰っただけ、とかそんな話、したくもないから実はわりと近くにいたってのに、これまで神楽見てたって事も言って来なかった流れが全部、押し寄せてきて、
「無事で良かった」
 って諦めて、ずっと言えてなかった事を口にした。
 そしたら晃の方でも、何かを諦めたみたいに一つ、ため息をつき切って、
「ありがとう。助かった」
 って笑顔も作らないで言ってきた。
「実を言うと飲み込まれるところだった」
 そうだろうなって、詳しくは分からないなりに思った。観ていた僕も飲み込まれそうになったんだから、演じた本人とか多分、もっとだ。
「認めるしかないな。うん。去年は失敗だった」
 失敗、って言葉がやけに、浮き上がって聞こえた。
「しかしそれが分かっている。だから大丈夫だ。今年は去年とは、同じものにはならない」
 笑顔になって言ってくるけど、「失敗」とか、「正解」みたいな感じ方でいて良いものなのかなあれって。善くはなかった、感じはするけど、って思っていたのが聞こえたみたいに、
「幸に渡すわけにはいかないんだ」
 って、おにぎり屋さんの方を向きながら言ってくる。
「ウツワの役目は女性には、負担が大き過ぎる」
 そうなんだ、って僕は、相づちを打ったけど、晃はそう思ってるんだなって認めただけだ。

「音谷に暮らしていると、他所に出る度他所から誰か来る度に、色んな音が聴こえ過ぎて」
 買ったおにぎりをみんなで食べている間に、幸さんが話し始めた。
「人によっては具合が悪くなっちゃうから、私達はまず『聴かない』事を覚えるの。聴く必要がある音と、それ以外を分ける」
 おにぎり2つと漬け物に、味噌汁のセットでお昼はちょうど良い。山裾を見渡せるテラス席の、六人掛けテーブル二つに分かれて、僕の隣が神南備で向かいは部長、通路を空けて隣のテーブルには、部長と鏡合わせに幸さんが座っている。
 幸さんの隣は廣江さんで、幸さんの向かい、通路を挟んだ僕の隣は林さんだ。
「じゃあバイクの音とか迷惑ですか?」
 二輪の免許を取ったら上る気でいたから(多分おじいちゃんも時々上っているから)、気になって僕は訊いたんだけど、
「ううん。そっちはかえって楽」
 って幸さんはちょっとホッとするみたいな笑顔になった。
「機械だから次はどう流れるか、予想出来るから。人が来る合図にもなってくれるし」
 聞きながら、ちょっと野生動物みたいだなって、イノシシとか、鹿なんかに話を聞けた事は無いけど、車とか動物とかよりも人の方が、怖く感じるみたいな。
「晃は音谷の中でもちょっと、聴こえ過ぎる方で、子供のうちは切り分けもそう得意じゃなかったから」
 みんな幸さんに注目して、黙ったままおにぎりを食べ進める部長には、目を向けないように気を付けている
「『一番しっかり聴こえるタイミング』だけに集中したの。そうしたらそれ以外は『聴こえない』事になってくれた」
 日除けの傘の下で山裾に向けた風も通るから、そりゃ7月だし暑いんだけど、居心地は悪くない。
「ペットボトル、じゃなくても材質は何でも良いんだけど、透明な液体を手に持っている間」
「じゃああのペットボトル、音谷に置いてあったのは幸さんが?」
 部長が? って訊いても良かったんだけど、今ここにいる「部長」とは、違う人みたいな感じがして。
「ううん。あれは、音谷の人達が持ち寄って」
 そう答えられてどこかホッとした。目的があって置いたわけじゃないし、そうあってほしい気がしていたから。
「迷い込んで来たり時々は、山道を歩いてみようって人もいるから。だけど音谷って、本当にお店も何にも無いし、飲み水くらいは置いておかないと大変よねって、みんなで」
 そこで言葉を切って、セットのお茶をひと口飲んでから幸さんは、また僕達に顔を上げた。
「少し、安心してもらえたら嬉しいんだけど、テレパシーとは違うの」
「あ。違うんですか」
「そう。今頭に浮かんでいる、気持ちや考えが伝わる、って話じゃなくて、その人の、中心でずっと鳴り続けている、『声』が聴こえるってだけ」
 そう言われてもそんな『声』、聞いた覚えが無いしイメージが湧かないんだけど。
「それって『声』になるんですか? 心臓の音とかとは違って?」
 訊いたら幸さんは、言葉を詰まらせて、
「私も、聴いた事は無いの。晃がそう話しているのを、聞いてきただけだから」
 って部長を向いたから、みんなの注目も部長に移ってしまって、先に食べ終えていた部長はお茶を飲み干してから、
「言葉で説明するのは難しい」
 ってそれ言われちゃうとどうしようもない事を、まずは言ってきた。
「音や言葉に変えられそうな部分もあるが、聴こえている内の、ほんの一部しか表せていない気がする。私は『声』だと認識しているが、色に光に、質感も伴った、ほとんど物質のようだ。手に取る事は出来ないし、物理的に衝突するわけでもないが」
 話しながら部長は右の手を、形のある何かを掴み取りたいみたいに動かしていたけど、ピタッと止めてテーブルに落としてから、僕に目を向けた。
「張山くんの『声』は珍しい。他の誰からも聴いた覚えが無いくらいに、整っている」
「いやどこがですか。いっつもふらふら固まってない感じがするんですけど僕、自分では」
「『自分では』そうだろうが、ここにいる皆には、なんとなくにでも察してもらえるんじゃないだろうか」
 言われて見回すと林さんも廣江さんも神南備も、幸さんもそれぞれ表情は違うけど、みんな小さくうなずいている。
「張山くんは自分で気が付いている以上に、自信たっぷりなんだ」
「誉められてる気がしないんですけど」
「気はしないだろうが誉めている」
 しっかり目を見合わせながら言い切られると、照れたりするのもどこか違うみたいな。
「だから言葉での説明は難しいんだ。違和感があるどころか違和感しか無いだろう。直接聴かせられるものなら良いんだが、実は本人の耳に、最も届きにくい。自分の内側で鳴っているものだから」
 堂々と、言ってくるけど呆れた。安心して、ってさっき幸さんは言ってくれたけど、自分に分からないし使いこなし切れないんじゃ、安心も何も聞かれたところで仕方ない、って言うより、何をどう出来る気もしない。
「じゃあ何のためにあるんですかそんなの」
「何のため、といった性質のものじゃない」
 小学校跡に並んでいたペットボトルを、今更みたいに思い出した。
「生まれたその時から常に、外に向けて鳴り続ける。止まる事も、離れる事も有り得ない」
 だからそれって僕には、心臓の音みたいに思えるんだけど、
「分かりやすい形では届かないがしかし、誰の内にも必ず、存在する」
 早見表の、中央の丸も思い出して、あれが直接聞こえちゃったら、どう八つの方向に分けたら良いのか、かえって分からなくなりそうだなって気はした。
「実を言うと音谷でも、はっきり聴こえてはいない。おじい様の隣にいただけでおじい様も、緑茶か何かを選んだようだから」
 おじい様、って呼び方を僕は普段しないから違和感があったけど、そう言えば幸さんもおばあ様って言ってたなって、
「それでも聴こえたんだ」
 だけど仏には「様」付けないよな、部長も林さんもって思い出して、
「もっと聴きたかった」
 音谷での話はあまり、頭に響かせないようにしていた。音谷での彼は、部長の「中の人」みたいな感じがする。
「同い年程度の男性でまず、そこまで整った者はいない。私は女性だとばかり思っていた」
「それは御愁傷様ですぅ」
「妙な言い回しだな林くん」
「何やらそのようにしか言えない気がしましてぇ」
 ふっと目が合った神南備が、長くほっとかれてすねたみたいに目を逸らして、ごめん、ってつい口から出たけどこれだってどこか変な感じがした。
 家族とおばあちゃん、どっちが大事なのって、電話口で言われた時みたいだ。

 伝承館は道の駅の、別館みたいな扱いなんだけど、小さな川を渡る橋の先にあるし、トイレだったり休憩だったり物産品を買うとかの目的があって寄る本館と比べると、人の気配がほとんど無くて入って良いものかためらいそうだ。足助も高校からは、「地域ボランティア」として許可をもらってるって話してた。
 お屋敷みたいに造られて塗装されてもいるのに、質感はコンクリートで、自動ドアを開けて中に入った途端細身の忍者が現れて、僕の足元にひざまずいた。
「猿飛、佐助に御座います」
「って、誰?」
 つい言っちゃったら忍者さんの肩がカクンって揺れた。
「関東なら服部半蔵みたいな人」
 神南備が教えてくれたけど、知らない人の説明も知らない人で、もっと分からない。
「服部殿は実在の人物だが、猿飛殿は架空だろう」
「実在は認められております!」
「実在はしているけど活躍ぶりは、伝記にしか残されていないのよ」
 部長と神南備に挟まれて、目元しか見えていない忍者さんの顔がイラッとしている。案内に出てくれた人なのに、詳し過ぎるのも考えものだ。
 六人全員が、中に入ったところで忍者さんは立ち上がってきた。
「ハルヤマ様、と伺っておりますがお間違いは?」
「ああ。はい。そうです」
「女性の方々には差し支えなければ、お名前をお伺いしたい」
 女子三人がちょっとだけ、顔を見合わせて、
「幸です」
「廣江、です」
「みくり、ってちょっと、変わってるけど」
 目元だけだけど忍者さんが、「おや?」って聞こえそうな顔になって、
「ハルヤマ、ユヅキという方はこちらには?」
「あ。僕です」
 って答えたら「お前か!」って聞こえてきそうな目つきになった。だけど、すぐに気を取り直したみたいで女子三人に向き直る。
「それでは、みゆき姫、ひろえ姫、みくり姫」
 って聞いた途端に神南備は吹き出して、
「屋敷内では、そうお呼びしてもよろしいか」
 サービスの一環なんだろうし喜ぶ人もまぁいるんだろうけど、御詠歌部の三人には、ええ、どうぞ、ご自由にって感じで、どうも響いていない。
「お館様の元へ、案内致す」
「え。私中の資料とかすっごく見たいんだけど」
「お館様がご案内なさるゆえ!」
「お館様はかまど山では、蟄居の身であったような」
「我々が殿のそのような姿をお見せ出来るはずがなかろう!」
「すごいな勇士の一人に成り切っている」
 はっはっは、って部長は面白そうだけど、相手するしかない立場の面倒臭さって僕知ってる。
 館内を通り抜けて出た展望テラスに、真っ赤なヨロイ姿で赤いカブトは手に持った足助がいたけど、待たされていたというより暇をもて余していた感じだ。
「弓月!」
 僕を見つけて呼んでくれるけど、僕は館内では名前を呼ばないでほしいと言われている。
「うわぁ。本当に武将の格好でやってるんだ」
「来てくれて有難い。ご覧の通り来る人もそういないんだ」
「お館様、お立場をお忘れにならぬよう」
「『良いではないか猿飛。客人をもてなす事こそ本義であろう』」
 忍者さんに向かって話している間にもう苦笑している。
「みたいなしゃべり方を、なるべくしておくように言われているんだが、普段を知られている相手だとどうも気恥ずかしい」
「だろうね」
「『お目に掛かれて光栄に御座る』」
 そういうの、好きそうな人がそう言えば近くにいた。
「『此方こなたは小石川 晃と申す者。お館殿のお噂はかねがね』」
 思いっきり造り込んだ雰囲気で、成り切っていたけど、
「あ。部長さんですね。初めまして」
 武将の方がずいぶんと腰も低くお辞儀している。
「すみません今日は自分まで、参加させてもらって」
「それは構わないが武将みたいに、返してほしかったんだが」
「とっさに気の利いた返しとか、思い付かないですよ。弓月から、聞かされてはいましたけど本当に、男前ですし」
「ありがとう。良く言われる」
 でしょうね、って感じで僕も足助も、何とも言えない。
「しかしまさか六文銭を足助氏が身に帯びてくれるとは」
「そこは言わない約束なんです。それだから本家は断って、分家の自分に」
「甲冑の細工が細かいですねぇ」
 林さんが実はヨロイ好きだったみたいで食い付いている。
「こだわって作ってくれる人達がいるんです」
「暑くないの?」
「実は紙で出来ている」
「え。ホントに?」
 それを聞いたら僕も興味が出てきたんだけど、
「各々方!」
 忍者さんの、男性にしてはちょっと高い声が響いた。
「先ほどから、姫君たちを置き去りにしておられるが」
「ああ神南備。ごめん」
 って呼んでる間に足助からは、「姫呼びシステム発動中ですか?」「システムとか言うな」とか小声で聞こえてくる。
「みくり姫……っ!」
「笑っちゃってるじゃない」
「悪い。どうも神南備は神南備だ。弓月の前というのもちょっと」
 廣江さんは林さんに呼ばれて、近付いて来たけど、
「ひろえ姫」
 って呼ばれても、「え。あ、その、ごめんなさい」って僕を見たり、林さんを見たり、赤くなってうつむいたりで、このシステム合わない人もいるよなやっぱり。
「幸」
 部長に呼ばれて幸さんは、微笑んで一旦首を振っていたけど、仕方のない付き合いみたいに顔を上げて、足助に向き合った瞬間に、
 あれ固まった、って感じたくらいに身動きしなくなった。
「ごめん、なさい。私ちょっと……、気分が……」
 長い髪をひるがえしながら背を向けて、早足で施設の中に戻って行く。
「僕行ってくる! みんなは観光続けてて!」
「いや私が。私の妹だ」
 部長が言ってきたけど僕の足はもう、駆け出していて、
「大丈夫! 僕歴史とかちっとも興味無いから!」
「うわぁ。カッコ良い感じにカッコ悪いこと言った」
 って背中の方から、神南備の呆れ声が聞こえてきた。
「確かに張山殿はそうだな。良し! ここは任せよう!」
 部長の笑い声も続いて、向こうはそのまま流れてくれそうだ。
 僕は幸さんを追いかけて、途中スタッフの人に頭を下げたりしながら、入り口に戻って自動ドアを出て、
「幸さん!」
 小さな川にかかる橋の、手すりに顔を伏せて、苦しそうな息を整えていた幸さんに駆け寄った。
「どう、したんですか? 急に……」
「ダメぇ……」
 髪の間から覗いた耳が、端まで真っ赤になっていて、
「あの人から……、『姫』とか呼ばれたら私……、死んじゃう……」
 あ、ってものすごく納得したような全身から力が抜けたような。
 幸さん、武将系が好みのド真ん中だったんだ。

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