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第三空間とは「匿名者の流動的界隈なのに『作法に守られるがゆえの自由』が確保された場所」。『ルポ 日本異界地図』

今朝の落合陽一さんの「Xへのポスト」より。

みなさん、こんにちは。今日は、落合陽一さんという研究者の考え方について、少しお話ししたいと思います。

落合さんは、この10年ほど「計算機自然」や「脱人間中心」といったテーマについて研究し、たくさんの本を書いてきました。「計算機自然」というのは、コンピュータと自然が一緒になった新しい自然のことで、「脱人間中心」というのは、人間だけでなく、自然界のすべてのものを大切にする考え方のことです。

でも、この考え方は、今までの人間中心の価値観とは、ちょっと違うんです。人間中心の社会では、お金持ちになることや、有名になること、かっこよく見えることなどが大事だと思われがちです。でも、落合さんはそういうことはあまり気にしないんですね。 落合さんは、人間も自然も、みんな平等だと考えています。例えば、人工知能の世界では「エンべディング」や「ベクトル」という言葉が使われます。これは、すべてのものを、宇宙の中の点のように表現する方法なんです。

落合さんのXへのポストより


還暦オバサンの私が、ここ2年ほど落合さんの発信や、コミュニティでの活動からの情報で、「この世界」の見方を教えてもらい、「新しいこの世界の文脈」から、もう一度自分がスキで積み上げていたものを、その文脈から見直していってたと思います・・noteを書きながら。

それは、歴史や仏教のお話や、新しい技術、経済、教育・・・、全ての人間の活動に関することについて・・・。

そんな変化の大きな今の時代、そしてこれからの時代を「デジタルネイチャー」をイメージしながら、私が今興味を持っているのが、「昔の日本」だったり、「中世の日本」だったり。

それは、これから未来を「力強く生きる」ため。
人間本来の「生きる力」とは、どういうもので、どんなふうにその力を持ち続けることが、これからの社会可能なのか、何か見直す必要があるのか。


日本の中世、南北朝~室町時代あたりのお話。
明治大学教授 清水克行氏のお話、とても面白かったです。
清水さんのお話のされ方が楽しそうで、とても聞きやすかったです。

この動画のキーワード(笑)。
  ・罵詈雑言の世界
  ・デスノート
  ・喧嘩両成敗
  ・多様性
  ・神隠し  etc.
気になるワードでしょ?
これらを、私たちの「生きる力になるには」という「新しい文脈」で捉えなおしたり、何かヒントになることはあるのでしょうか。

そしてこの本。

なんでこの二つを取り合わせて書いてるのかというと、まぁたまたま同時に知ったということなのですが、最近の私のテーマ「日本を知りたい」ということの一つとして、日本の祝祭、ハレとかケ、日本の古い時代の法とか掟。
人々は、どのような倫理や価値観で生活をしていたのかという疑問。

私の幼いころの記憶に、まだ少し感じられてたい、今とは違うもの?

今の私たちから見れば、とんでもない社会に見えることが、人間本来の生きる力を発揮させたるためには必要な「仕掛け」である場合も。

そして狩猟社会から定住に移ったことで、発生するコミュニティでの問題を解決するための知恵であったり。

この動画と本には、それらに纏わる歴史的なお話があるという共通点。


こういう話をちゃんと聞けたり、世代を超えて語り合える豊かな時間がもっとあってもいいのにと思うオバサンです。

第一空間は共同体(家+地域)の界隈。流動性が低く全人格的。互いは入替不能な「汝 you」です。第二空間はビジネスの界隈。流動性が高く部分人格的。互いは入替可能な「それ it」です。

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これらを踏まえて第三空間を再定義します。第三空間とは「匿名者の流動的界隈なのに『作法に守られるがゆえの自由』が確保された場所」

だから、匿名的な都会なのに感情的安全をリストアでき、流動性が高い(出入りが激しい)のにホームベースだと感じられます。これは色街や芝居街など「悪所=異界1」の機能分析で、そうした時空の再建に役立つはずです。

『ルポ 日本異界地図』(風来堂, 宮台真司 著)より

「第三空間」・・・、大切な居場所ですよね。
これからは、どんな「第三空間」サードプレイス(third place)が生まれるのでしょうね。



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