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赤、青。金、銀。 七緒栞菜

 赤色は私にとってチャンピオンの色で、憧れながらもずっと苦手な色だった。

 空手道の形競技では、2名がそれぞれ赤帯と青帯を身に着けて演武を行う。私が小学生の頃は、トーナメント方式、且つ、フラッグ制だった。5名の審判が上手だと思った(本当はもっといろいろな減点方式の審査基準がある)選手の色の旗をあげる。上がった旗の本数で勝敗が決まる。赤の旗が上がるか、青の旗が上がるか。自分の帯の色が3本以上上がれば、勝ち。

 帯の色は、1試合ごとにトーナメント表で上に書かれた選手が赤、下に書かれた選手が青と決まっている。だから、第1シードはずっと赤帯。第2シードはずっと青帯。トーナメント表を見ると、1番上にある名前はいつも同じあの子。私は一番下。ずっと青帯。

 青帯の方が好きだった。大会会場では赤帯・青帯を借りることもできるのだが、私はマイ帯をもっていた。自分の帯には刺繍が入れられるので、銀色の糸で道場名と名前の刺繍を入れた。シルバーの爽やかな輝きには、青色の方が似合っていた。あの子のマイ帯は金色の刺繍だった。煌めくゴールドには、赤が似合っていた。

 私も、金色の刺繍にすればよかったと思った。シルバーも、青色も、2番目の色だ。なんだか、戦う前から負けているみたいだ。そんなことを思っていたからかはわからないが、小学校5年生のときも、6年生のときも、青色の旗は1本も上がらなかった。決勝でいつも同じ子に同じように負けた。

 小学校の頃から、今までずっと、その子には勝てなかった。彼女が第1シードではなくなって、私が第2シードではなくなったときでも、彼女と戦うとき、私はなぜかいつも青帯で、青い旗は2本までしか上がることはなかった。

 赤色を思い浮かべると、青色と金色と銀色が想起される。悔しさと憧れで、それらの色が混ざり合う。懐かしい記憶の断片。


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