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ハワイ移住生活記12 19歳の頃の話

前回、トマトラーメンを作った話を書きました。で、料理が好きな理由を書きたくなったので、今回はその話を。

わたくし、高校生の頃からドラムを叩いておりました。田舎では上手いと言われたりしていたので、調子に乗ってバンドマンになることを夢見てしまいました。で、大学を1年で退学し、東京へ行ってしまいました。

東京に、高校時代の先輩がいたんです。先輩は大学生で、学生仲間とバンドを組んでいました。そこにドラマーとして加わらせてもらいました。練習は週2回。月に数回、ライブハウスに出たりしておりました。他のメンバーは大学生です。わたくしだけ、バイトして生活費を自分で稼いでおりました。

バブル時代で、世の中の人々はお金をバンバン使ってる時代なのに、わたくしはバイトで稼ぎがめっちゃ少ないです。いろいろ考えて、食費を節約する事ができるよう、料理人の仕事を選ぶようになりました。料理人は自分たちの食事のために、あり合わせの料理を作ってランチにいただいたりします。「まかない」と言われるものです。

大阪で大学生をやっている頃は飲み屋でバイトをしていました。そこで調理場へ入らせてもらうことがあったので、少しは調理経験がありました。それだけなのに、よく調理人に挑戦したな、と思います。アホです。

有名なレストランや喫茶店の厨房で働きました。バンドの練習は夜なので、早朝から働いて、夕方前には帰ります。ライブがある時は休ませてもらいました。

わたくし、田舎者なので、ライブハウスに出るなんて夢のような話でした。月に数回でも、出れたら大躍進です。うひょー!と思っていたのですが、東京にはライブハウスが山ほどあり、どこでもバンドが出まくっていました。それに気が付いたのは、この生活を1年近く続けてからです。ほんまにアホです。

ある日、カブ(原チャリ)で国道を走っていた時のこと。信号は青やったのに、なぜか前を走っていたクルマが停車しました。そして、そこに軽トラが現れました。え!

わたくしの先を走っていたクルマが、曲がろうとしていた軽トラに道をゆずったようです。そのクルマは大きなクルマでしたし、けっこう先を走っていたので、わたくしには曲がろうとしている軽トラは見えていませんでした。普通にスピードを出して直進していたら、軽トラが現れたわけです。わたくしは、軽トラのフロントに衝突してぶっ飛びました。正面衝突ですが、軽トラはハンドルを切って曲がろうとしているところやったので、斜面にぶつかる感じでした。で、わたくしの乗ったカブはスコーンと空を飛びました。

一瞬のことなんですが、死ぬと思ったせいか、いろんな風景がはっきり見えました。脇の歩道にあるコンクリートの壁が近づいてきます。横に電柱が立っています。あ、電柱に激突する!

いやしかし、何度思い出しても不思議でしょうがありません。わたくしの乗ったカブは、コンクリートの壁と電柱の間に前輪を突っ込ませました。そして、わたくしが乗っていたカブは昔のタイプでした。前輪のカバーがプラスチックではなく、鉄やったのです。すんごい勢いで激突したのに、前輪が上手く挟まり、ビヨヨーンと衝撃を吸収してくれました。

なんと!無傷でした。ほんの少し、指の先に擦り傷みたいなのがついてしまいましたが、それだけでした。カブもハンドルが少し歪んだだけで、普通に走ります。

軽トラの運転手は農家のおばちゃんって感じの人でした。真っ青な顔で口をぶるぶる震わせています。直進してくるカブがあるのに、ハンドルを切ったのですから、おばちゃんが悪いです。でも、道を譲ったクルマがあったせいで、おばちゃんは後ろからやってくるカブを見逃してしまったのでしょう。っていうか、国道の大きな道で対向車に道を譲るというわけのわからないことをしたクルマがいけません。おばちゃんを見ていたら気の毒に思えてきました。そして、その日はバンド練習がありました。

「無傷ですから大丈夫です」

おばちゃんに笑顔でそれだけ言いました。そして帰ることにしました。おばちゃんは口をぶるぶる震わせながら、フロントがへこんだ軽トラに乗って帰っていきました。

あ、料理が好きな話を書くつもりが、関係ない話をいっぱい書いてしまった。ごめんなさい。でも、もう少し。

バンド練習のためスタジオへ入り、ドラムを叩いていたら急に怖くなってきました。自分は死にかけました。ライブハウスには出ていますが、バンドマンになれるかどうかはさっぱりわかりません。もし死んでいたら、誰にも認識されないまま世の中から消えていったわけです。

その頃、お金に困って親にちょろっと仕送りしてもらったりもしていたこともあったのでしょう。根性なしのわたくしは激しくびびってしまったようです。バンドを辞めて、大阪へ戻ってきてしまいました。生まれ故郷ではなく大阪やったのですが、友だちや知り合いがいたから逃げ帰ったって感じでしょうか。大阪で心機一転、一からサラリーマンとしてやり直そうと思いました。

就職情報誌を買って、いろんな会社へ面接に行きました。が、大学を辞めていたのでわたくしは高卒です。特殊な経験があるわけでもありません。東京で何をしていたか聞かれるので、バンドをやっていたと答えると、即不採用となりました。数十件面接を受けましたが、どこへ行っても同じです。

やばい。社会人として再出発できない。。。。

と、料理の経験があることに気がつき、レストランの面接を受けてみました。

即採用。

え!まじで!やったー!

こうしてわたくしは、バンドマンを辞めたあと、調理人としての人生をスタートさせたのでした。

。。。。。。。つづく

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