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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 34.1年だけのハワイ王ルナリロ

ハワイ王国初めての選挙で選ばれた王、ルナリロ

カメハメハ5世が亡くなった翌年、1873年1月、ハワイで初めての「王を選ぶ選挙」が行われます。戦ったのは以下の3人▼

・ルナリロ
・クイーン・エマ(カメハメハ4世の奥さん)
・カラカウア(のちの7代目ハワイ王)

その選挙でルナリロ王は圧勝したそうです。

※初めての選挙と言っても、投票者は国会議員みたいな人たちだけでした。国民総選挙ではありません。アメリカ人が多いこともあって、アメリカ好きのルナリロが選ばれたのは当然だったと書いてある資料もあります。

前回も書きましたが、ルナリロはカメハメハ1世の子孫ではありませんが、甥です。なので、血族として王位を継承することはできたような気がします。なぜ、そうならなかったのか。ちょっと調べてみたのですが、はっきり書いてある資料は見つけられませんでした。でも、カメハメハ5世はルナリロに王位を継承させようとは思っていなかった、ということは資料を見ていたらわかります。っていうか、ルナリロの母は、カメハメハ王族から外されています。なぜか?

・ルナリロの母の位が高すぎた?
・ルナリロの母の位が低くすぎた?

ルナリロはロイヤルスクール出身者です。カメハメハ3世が、ハワイ王国を仕切る人材を育てるために造った学校で、ハワイ王国の歴代王はこの学校の卒業生です。ルナリロもここの卒業生なので、位は低くなかったように思われます。が、調べてみると、ルナリロがそこに行けたのは、カメハメハ1世の甥だったからのようです。カメハメハ1世にはたくさんの奥さんがいましたが、カメハメハ2世も3世も、ケオプオラニの子どもです。カメハメハ1世が、ずっとひれ伏して接していた、という位の高い女性に産ませた子なのです。

が、ルナリロは、カメハメハ1世の親族の子です。つまり、ケオプオラニクラスの人からすると、平伏させるような地位の子どもかもしれません。いや、それは違う、と、逆のことを書いてる資料もあります。ルナリロは、カメハメハのお父さんが違う奥さん(昔は偉い人はたくさん奥さんがいました)に生ませた子どもの系列で、位は高かったと。ちょっとわかりにくいと思うので、家系図で見てみましょう▼

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家系図を見てびっくりです。昔のハワイアンは重婚しまくりやったのは聞いていましたが、ルナリロのおばあちゃんはカメハメハ1世の奥さんの1人になっているし、ひいおじいちゃんはカメハメハ1世のお父さんです。もうワケわかりません。

カメハメハ5世が、ルナリロに王位を譲ろうとしなかった理由、わたくしの見解は以下に▼

ルナリロは、カママルと結婚できませんでした

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ルナリロの位が(上か下かわからないけど)違ったと思うもうひとつの話がこれ。カメハメハ4世と5世には、ビクトリアカママルという妹がいました。ビクトリアカママルは、ルナリロと恋愛関係にあったみたいですが、カメハメハ4世と5世に大反対されて結婚させてもらえませんでした。カメハメハ4世と5世が、ルナリロのパワーを恐れたから、とか書いてある本があったりしますが、どうなんでしょう。とにかく、カメハメハ4世と5世は、ビクトリアカママルとルナリロとの結婚を許しませんでした。

ルナリロの位が高かったとしたら、妹がそこに嫁ぐことは嬉しいことのように思います。やっぱり、ルナリロの位は、カメハメハ5世より低かったのではないか。あ、これはわたくしの見解です。

カママルは27歳で亡くなっています。ちなみに、ルナリロは、後にハワイ王国の女王となる、リリウオカラニとも結婚する話がありました。が、これもボツ。他にもいくつかありましたが、全部ボツになっています。ずーっと1人でした。

それが理由かどうかわかりませんが、ルナリロはアルコール中毒になっていきます。

ここで、ちょっと脱線して、カママルの話。上の写真右に、成人したカママルの絵を入れさせていただきましたが、左の若い頃の写真と見比べても同じ女性に見えません。これはどういうことか? ちょっといろんな写真を引っ張り出してきて、検証してみました。

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左5枚は写真です。右の1枚だけが絵です。やっぱり、この絵は事実とはちょっと違うように思います。そもそも、肌の色が違います。西洋人が描いたのでは?と思うのですが、ご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。

ハワイ王国とアメリカ合衆国の取引が始まろうとしていました

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カメハメハ4世と5世はイギリスが大好きでした。その反動かもしれませんが、ルナリロはアメリカ派でした。ルナリロが王になることで、ハワイ王国は一気にアメリカよりになります。そして、親米派の政治家を増やしました。

カメハメハ5世は、権力を王に復活させていましたが、ルナリロはこれを民主的な政治に戻します。

この頃石油が見つかり、捕鯨船がハワイへやってこなくなっています。ハワイ王国は製糖業にシフトします。そうなると問題なのは、アメリカ合衆国の関税問題です。ハワイの砂糖は高い税金をかけられているので、商売がどんどん厳しくなってきています。この関税をなんとかしてもらうよう、ルナリロは、アメリカ合衆国に対して、いろいろ交渉を始めます。

アメリカもこれをチャンスと思ったのでしょう。太平洋の軍事拠点としてハワイに軍事基地を造ることを考え始めます。

ここで、パールハーバーをアメリカ合衆国へ売る話が出ます。が、売ってしまうということは、そのままアメリカのものになってしまうということなので、これに対しては、ハワイ側から反対意見が出ます。結局、この時はこの話は進みませんでしたが、最終的にパールハーバーはアメリカ軍の基地になります。

※ルナリロも反対派だったとする記事があったり、ルナリロは賛成派だったと書いてある記事があったりします。どっちなんでしょうかね。

リナリロがハワイ王国の王だった期間は1年です

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ウソみたいな話ですが、ルナリロがハワイ王国の王だったのは、約1年です。肺結核で1874年2月に亡くなってしまうからです。

・ルナリロが王だった期間/1873年1月~1874年2月

欧米人がやってきてから、免疫のないハワイアンは些細な病気で亡くなることが増えていました。ルナリロは肺結核なので、ちょっと違うのかもと思いがちですが、免疫がないことでここまで悪化したんやと思います。

ルナリロの母は、カメハメハ王族から外されているので、ロイヤルモザリウムには眠っていません。ルナリロは、そんなことをするカメハメハ王族とは、一緒に眠りたくなかったようです。

自分が死んだら、ハワイの人々に近い場所、カワイアハオ教会に葬ってほしい、という遺言を残します。カワイアハオ教会にルナリロのお墓があるのはこのためです。

※この墓地ができた時、ルナリロの葬儀が行われました。王族の葬式では、銃を21発撃つ敬礼が行われますが、このお葬式でそれは行われませんでした。が、突然の嵐で21発の雷が起きた、という言い伝えがあります。ほんまかどうかは知りません。


。。。。つづく


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