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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 21.キリスト教がやって来ました

1820年、キリスト教の船がハワイへやって来ました

第1話で少し紹介させていただいてますが、オアフ島には、ロイヤルモザリウムという王家の墓地があります。

カメハメハ1世だけは、昔からのしきたりに従い、誰も知らない場所に葬られました。どうして、それ以降の王は墓地に眠ることになったのか。それは、ハワイ王室がキリスト教になったから。なんと!

それはなんとも絶妙なタイミングでやって来ます。カメハメハ1世が亡くなった(1819年)の翌年1820年でした。アメリカのキリスト教宣教師団の船がハワイに現れたのです。

The Brig Thaddeus/ブリッグ・タデウス号

キリスト宣教師団とは、キリスト教の布教活動を行っている団体です。これを書くと叱られることがあるのですが、事実として知っておかねばならないので書きます。

植民地を取り合っていた欧米各国は、宣教師団を先に送り込むことが多かったです。例えば、当時、世界の領地争いをしていたのはイギリスとフランスでした。この2つの国は、違うキリスト教の布教活動をしていました。

イギリス/イギリス国教会(プロテスタント系と言われています)
フランス/カトリック

この2つは同じキリスト教なのに、分かりやすく言うとルールが違います。簡単に説明します。

もともとあったのがカトリックです。カトリックが持っている細かいルールに反発して生まれたのがプロテスタントです。例えば、ハワイの教会でいえば(一般的に)

カトリック/伝統を重んじるキリスト教。聖書を解釈するのは聖職者。聖職者が神の教えを語ってくれる。教会にいる聖職者は神父さん
プロテスタント/聖書が一番。信者は聖書から自ら直接学ぶ。教会は解放されてる。教会にいる聖職者は牧師さん

人々を救うはずの宗教ですが、当時、カトリックの国とプロテスタントの国は殺しあいをしていました。なんともやり切れません。

あ、それよりハワイの話。

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この時、ハワイ王国の参謀的役割を果たしていた、アイザック・デービスとジョン・ヤングが動いています。このアメリカからやって来た宣教師団がハワイ王室とやり取りするのを助けているのです。彼らはキリスト宣教師団と内通していたのでは?とおっしゃる方がいらっしゃいますが、わたくしはそうは思いません。純粋に、ハワイを(彼らが考える)先進国にしたかったんやと思います。

そうそう、これも書いておかねば。1821年、カアフマヌ(カメハメハ1世の奥さん/第15話参照は、カウアイ島の王やったカウムアリイと結婚しています。え?どういうこと?と思いますが、カアフマヌは1768年生まれなので、カメハメハ1世よりは若かったのです。といっても53歳ですねえ。ちなみにカウムアリイの生まれた年ははっきりしませんが、カアフマヌよりも10歳ぐらい年上やったそうです。

そんなことよりも、カアフマヌはどうしてカウムアリイと結婚したのか? ラブラブやったわけではありません。当時のカウアイ島の王カウムアリイは、カメハメハ1世が亡くなってチャンスだと思っていたようです。で、なんとかしなくちゃ!と思ったカアフマヌが無理やり結婚した、と記録されています。もひとつついでに書いておくと、カアフマヌはカウムアリイが亡くなった後、カウムアリイの息子とも結婚しています。カウアイ島を守るためです。

カアフマヌってすげえ!と思いますが、カウムアリイの息子、かわいそうかも。。。。

ハワイ島に、最初の教会、モクアイカウア教会がつくられます

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ここからの歴史は、文字を持つ宣教師団によっていろいろ記されています。1823年、カイルア・コナに藁葺き屋根の教会が造られ、ハワイでキリスト教の布教活動が始まります。カアフマヌが認めた、と記されています。カメハメハ2世じゃなくて、カアフマヌなんですね。彼女はすっかりハワイ王国を仕切っていました。

この宣教師団は、プロテスタントのキリスト教でした。ややこしいから、もう一度書きましょう。

イギリス/イギリス国教会(プロテスタント系と言われています)
フランス/カトリック
アメリカ/プロテスタント

イギリス国教会とアメリカのプロテスタントは何が違うんや?と思われるかもしれません。宗教に興味がない人にはどうでもええ話やと思いますが、ハワイの歴史に影響があることなので、超簡単に書いておきます。

イギリス国教会はカトリックではないためにプロテスタントと言われていますが、内容はカトリックに近いです。イギリス国王が、カトリックで禁止されてる離婚をしちゃったために、カトリックから抜け出すことになりました。

ハワイに最初にやって来たのは、アメリカのプロテスタントでした。聖書が一番のキリスト教です。以降、どんどん教会を増やしていきました。キリスト教徒じゃない日本人が、教会で結婚式を上げる事ができるのは、そこがプロテスタントやからなんですね。

さてさて、カイルア・コナに造られた最初の藁葺き屋根の教会は燃えて無くなっています。火事です。その後、木造教会が造られましたがそれも火事。その次に建てられたのが、現存するモクアイカウア教会です。造られたのは1836年やそうです(完成したのは1837年)

モクアイカウア教会は、キングカメハメハホテルから歩いてすぐの場所にあります。プロテスタントなので開放されていて、散歩の途中に中へ入ることができます。ハワイ島へ行かれたら、覗いてみてください。そうそう、今回の記事で一番上にあるブリッグ・タデウス号の写真は、このモクアイカウア教会で撮ったものです。ブリッグ・タデウス号に関することもいろいろ書かれています(英語なので、へなしゅんはほとんどわかりませんでしたが)

オアフ島のカワイアハオ教会ができたのは1842年です

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ついでに書いておきますと、この宣教師団が次に造ったのが、オアフ島のカワイアハオ教会です。時々ウエディング会社の広告なんかで、「ハワイで一番古い教会」と紹介されていたりしますが、それは間違いです。ハワイで一番古いのは、ハワイ島のモクアイカウア教会で、カワイアハオ教会は、オアフ島で一番古い教会です。

この教会の特徴は、壁が全て、サンゴ礁の岩で造られているところ。近くに行かれる事があったら、ぜひ、立ち寄って壁を触ってみてください。ボコボコしていて、ちょっとびっくりします。1836年~1842年の間に、オアフ島南海岸の沖で集められたそうです。

キリスト教の話になったので、関係することを書いておきます。

実は、カトリックもハワイで布教活動をしています。カトリックの宣教師たちがいつ頃やって来たか、詳しく調べきる事ができなかったのでいつからか分かりませんが、プロテスタントが上陸して間もない頃みたいです。が、ハワイ王朝は、カトリックの活動を認めていませんでした。多分、プロテスタントの宣教師団がハワイ王室と仲良くなっていたので、カトリックの布教活動を認めないように進言していたと思われます。なので、カトリックの宣教師たちは捕まって牢屋に入れられたりしています。

後の話になりますが、カメハメハ3世は1836年にカトリック拒絶令みたいなものを発行しています。日本のwikipediaで、「カメハメハ3世は1836年にカトリックに教会を建てる許可を与えた」みたいな事が書かれていますが、これは間違いやと思います。なぜなら、1839年に、カトリック拒絶令に怒ったフランス王国が軍艦を送り込んできているから。

カトリック信仰の自由を認めないと戦争する、と言うのです。当時のフランスは、イギリスについで世界に植民地を持っていた大国です。そんな国の軍艦が怒ってやってきたので、ハワイ王国はビビってしまいました。その要求に応じ、それ以降、ハワイにカトリックの教会が造られていくことになります。

平和の生母大聖堂はダウンタウンにあります

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ハワイのカトリック教会は、気軽に入ることができません。信者だけみたいです。そんなわけで、ハワイで結婚式を挙げていい教会のほとんどはプロテスタントです。

ハワイにカトリックの教会はないのか?というと、あります。ワイキキのど真ん中にもカトリックの教会はあります。マリオットホテルの目の前にあるセントオーガスティン教会です。ご存知の方は多くないかもしれませんが。

それよりも古い、一番古いカトリック教会についてご存知の方はもっと少ないと思います。一番古いカトリック教会はダウンタウンにあります。

Cathedral Basilica of Our Lady of Peace/平和の聖母司教座バジリカ

1840年から建設が始まっています。ちなみに、1839年にフランス王国が送り込んできた軍艦がハワイ王国に要望したのは以下の5つ。

1.カトリックの信仰の自由
2.カトリック信仰を宣言したため投獄されていたカトリック信者たちの釈放
3.政府がカトリック教会を建てる土地を提供すること
4.ハワイ王国が将来、良いおこないをするしるしとして、2万ドル以上をフランスに引き渡すこと
5.フリゲート艦アルテミス号を歓迎する意味で、21発の祝砲を撃つこと

4と5は、なんだかよう分かりません。いじめというか、威嚇というか。

。。。。つづく


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