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鈴木大地のルーティンと祈り

鈴木大地が守備につく時のルーティーンが好きだ。本当にたまらんよね。ファンの方はご存知だと思うけれど、ホームの試合では、試合前に自分の守備位置で地面に直にすわりこみ、顔をグローブへ埋めて、グラウンドに向けて祈るように目を閉じた後、自分の腿を拳で何回か叩く。その姿にグッとくる。

175センチ79キロ。プロ野球選手としては体格に恵まれたわけでもなく、肩が強いわけでもない。お世辞にも足が速い方でもない。綺麗に引っ張った打球は予想外に伸びることもあり、二桁本塁打を打ったこともあるが、基本的にパワーに溢れるタイプではない。恵まれた身長もなく、抜群の運動神経を持つわけでもない大地が、アスリートの集合体であるプロ野球の第一線で戦い続けている事は本当にすごいことだと思う。そんな大地のあのルーティーンは、特別な力を持たない自身が選ばれし者の世界で戦うために、グラウンドに祈りをささげ、戦いに向けて自らを奮い立たせているように思う。

鈴木大地を語るときに一番多く使われる言葉はキャプテンシーだと思う。実際、チームのムードを高めようと一番声を出しているのが大地であることは多い。厳しいというよりは、いつも明るく、楽しもうとしているように見ええる。ただ、そんな大地があのルーティーンで見せるのは、これから始まる試合への畏怖と、少ない武器でその大きなものへ立ち向かうべく自分の勇気を駆り立てていく姿に見えて仕方がない。

思えば2017年、マリーンズは記録的に打線が凍り付く時期が続いた。その連敗中、孤軍奮闘していた大地が、凡退してベンチに帰ってきた時。うつむくことなく顔は前を向いているものの田村から声をかけられるまでベンチから立ち上がれなくなっていたことがあった。その姿を見た時、ああ、いつも明るくチームの中心を担っているこの選手は、しかし根がポジティヴなのではなく、自身に対する期待も批判も全て分かった上で自分を奮い立たせて前を向いているんだなと思った。


鈴木大地はその背番号や元々いたショートのポジション、そして長らく務めてきたキャプテンとしての役割から、一時期よく西岡と比較される事があったと思う。西岡に比べて、物足りなさがファン同士で語られることもよくあった。しかし、個人的には、鈴木大地が選手として、野球人として西岡に劣っているとは思ったことがない。それは、僕が選手を成績よりも物語として見る傾向があるからだと思う。

西岡剛の物語は、天才が、その天才性ゆえにぶち当たった壁を乗り越えていく物語だ。チームメイトの中での葛藤や、ファンとの関係性、挫折との戦いもそうだ。一方で、鈴木大地の物語は、持たざるものが自らを奮い立たせて力のある者といかに渡りあって行くかの物語だと思う。ドラフトでは、同じ東洋大の同級生でBIG3と言われた藤岡貴裕のおまけ…とまで噂を立てられたこともある。けして目立つ選手ではなかったし、大きな期待をされていたわけでもなかった。だが、結果的に、ここ5年間で最も多く試合に出ているマリーンズの選手は鈴木大地だ。前述のとおり、頑丈さは類を見ないものの、特別な何かがあったわけではない。それでも、魂一つで立ち位置を築き上げてきた、持たざる者の物語を紡いできたのが鈴木大地だ。

どちらも熱くて良い。でも、僕は大地の物語が好きだ。


大地 力の限り 踏み出せ魂を震わせて

鈴木大地の二つ目に作られた応援歌の歌詞は、大地という選手を的確に表現していて好きだ。この歌詞の通り、大地は自分自身で、試合前にはグラウンドへ祈りを捧げ自らの魂を震わせながら、自分で自分を奮い立たせながら前に踏み出している選手だと思うのだ。

例えベスト9の翌年にコンバートされ、GGの翌年にコンバートされ、外野が埋まっていないのにサードを補強される逆風が吹いても「風を超えて突き進」む。それが鈴木大地という選手であり、あのルーティーンには、その魅力がぎっしりと詰まっている気がしてならないのだ。



*当noteに書いたことのほとんどは、わたくしの主観であります。本当に鈴木大地選手がそう思っているか、僕にはわかりません。わかりようがありません。ただ、いちファンからはそう見えている…と感じていただければ幸いです。

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