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【短編小説】保健室のチャップス(後編)

教室で白目を剥いてぶっ倒れた私が、次に目覚めたのは保健室のベッドの中だった。

年齢も性別も不明な、見覚えのない保健の先生が、チュッパチャップスのスタンドを私に向けて、「食べる?」と聞いてくる。


「は、はあ、、、。」
断る理由も見つからず、私はチュッパチャップスのスタンドを両手で受け取る。

ぐるりと見回すと、それぞれの味が一種類ずつ残っていた。

唯一、プリン味だけがダブっていたので
それを1本取る。


「プリン味、美味いよねー」
と言いながら、先生(?)も口に入っていた
チュッパチャップスを見せる。
同じプリン味だった。


チュッパチャップスをポケットに入れて、私は言った。
「あの、ありがとうございました。
私、授業に戻らないと、、、」
「えっ!いいよいいよ、戻んなくて。
そんな大した授業、してないって。
まあ座んなよ。」

授業に戻らなくてもいい、なんていう先生がいることが信じられなくて、はあ、、、と困惑しながら差し出されたスツールに腰掛けた。


「山口さん、山口、、、」
彩加さいか、です。」
「さいか、いい名前だね。」

そうかな、、、。名前を褒められたことなんて初めてで、なんだか妙に照れ臭かった。



先生は椅子から降り、窓際のメダカの水槽に餌をパラパラ入れながら私に聞く。

「親御さんに一応連絡はしたんだけど、仕事の関係ですぐに迎えに来れないみたいだ。
多分、自力で帰ることになるかもだけど、大丈夫そう?」
「大丈夫です。」

息苦しさはもうなくなった。
少しの距離を歩いて帰るくらい、なんてことなさそうだ。

「うん、それなら良かった。
それはそうと、ついこの間、このメダカたちが卵を産んでね。
初めてだったから嬉しくて、はしゃいでいたらさ、
メダカの卵じゃなくて、ボウフラだったんだよー。だから、今年の夏は、めちゃくちゃ蚊に刺された。
授業中、具合悪くなることは良くある?」


突然質問されたので、危なく聞きそびれるとこだった。

「えっと、結構、常に具合悪くて、
みんなの心の衣擦れの音が、、、」ダメ。
私は口をつぐんで、下を向いた。
だめだめ、危ない。大人にこんな話をしたって、信じてもらえるわけないよ。



「その話、詳しく聞かせて。」



いつのまにか机に戻ってきていた先生が、ぐいっと体を前のめりにして聞いてくる。


キリッとした黒い目に見つめられて、私は視線をどこへ向けていいやらわからず、しどろもどろになりながら話すしかなかった。




「それはしんどそうだね。」
私の話を一通り聞き終えた先生は言った。

「もう慣れました。全部私の思い込みとかなんで、しんどいとかはないです。」

ふーん、と気のない相槌をしながら先生は私を横目で見た。




「そうだ!もう一本、あげるよ。選んで。」

また、チュッパチャップスのスタンドを向けられる。もうこの中には、ダブっている味がない。

「さっき、もらったんで、大丈夫です。」

「ほんとは、何味が好き?」
「えっ?」


「さいかが一番好きなやつは、どれ?」


ええっと、、、、私は、何味が好きなんだっけ?


右手を出して、選ぼうとしたけど、1本が選べない。
私がここでどれかを取ってしまったら、先生が食べたいものを食べられないかもしれない。
他の人が食べたいものを選べないかもしれない。

だったら私は食べなくてもいい。



私が、なかなか選べないのを見て先生は机の下から何かを取り出した。


それは満タンにチュッパチャップスが刺さっている、新しいスタンドだった。

「どれ選んでも、誰も、困らないよ。」

そっか、、、。
じゃあ私は、、、、、


子どもの頃から好きだった、コーラ味を選んだ。

「コーラ味も、美味いよねー。」
先生が笑顔で言った。




「自分の心の衣擦れに、集中してみるといいかもしれない。」

先生が言った。
「そしたら、人の衣擦れが気にならなくなるかもね。分かんないけど。」


なるほど。



帰り際に私はずっと気になっていたことを、満を持して尋ねた。
「あ、あの、、、先生のお名前は、、、?」
「名前?うーん、なんでもいいよ、なんかつけて。」

まさかそうくるとは、、、
つけるってなんだろう、あだ名みたいなものかな、、、?

チュッパチャップスが好きだから、、、


「、、、チャップス、、、とか?」


「チャップス!!いいね!外国の人みたいだ。」


その日以来、私は先生のことをこっそりチャップスと呼ぶことにした。



それから私は自分の心の衣擦れに集中しながら過ごすことにした。

嫌なものを我慢してやろうとする時に、衣擦れの音が大きくなることに気づいた。
衣擦れを少なくするには、自分の好きなものを、ちゃんと選ぶ必要がある。

自分は何が好きなのか、
今、本当は何がやりたいのか、
すぐには分からなそうだったけど、
そのことに集中していると他人の衣擦れの音に意識を向けることが少なくなっていった。

ちょっと、いいかもしれない。
少し、生きやすくなったかもしれない。
足が心なしか軽くなったみたいだ。



ある朝、登校しようと歩いていると
校門が見えたあたりで、ビタリっと
両足が止まった。


??


進もうとするが、足が動かない。

上半身だけが無理に進もうとするので、
バランスを崩して、私はアスファルトに膝をついた。

どうして?
なんで、進めないんだろう??


どうにかして進もうと、手を前に出すたびに、
『ごわっごわっごわっごわっ』
と心の衣擦れの音が耳の奥で鳴り響く。


周りを歩く生徒たちが
何事だろうと横目で見ながら歩いていくのを感じる。

息が苦しくなる。


チャップス、チャップス、、、

こういう時、どうすればいいんだっけ。
自分の心の衣擦れの音を聞こうとしたら、体が動かなくなっちゃった。

やり方、間違えちゃったのかな。




その時、トンっと後ろから
背中に手を置かれた。

衣擦れの音が消えて、息苦しさが遠ざかる。


「よ。」


後ろを振り返ると、チャップスがいた。


カーキ色のジャンパーのポケットに片手を突っ込んだチャップスがなんてことないように私を抱き起こした。

「チャップス、なんか、体が動かなくなっちゃったんだけど、、、。」



「偉いじゃん。」

偉い?こんな私のどこが偉いのだろう、、、。

「偉いよ。ちゃんと自分の心の衣擦れを聞こうとした証拠だよ。
だから、体が答えを教えてくれたんだ。




学校、行きたくないだろ。」




ぶわあっと両目から涙が溢れてきた。
なんで私、泣いてるんだろう。
冷静な自分を軽々と追い越して、どんどん涙が出てくる。


泣きじゃくる私とそれを小脇に抱えるチャップスは、周りの目も気にせずに、ゆっくりと保健室に向かって歩いて行った。


(公式の表記はチュッパチャプスでしたが、語呂が好きなのでチュッパチャップスにしました。笑笑)

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