「ぼくはね、食べようと思ったら野菜を食べられるの。食べようと思わないから食べられないの。」
友人と遊んできた。この話の登場人物は3人。
元職場の同僚のAちゃんBさんと、Bさんの息子Dくん。
Aちゃんは新婚で、旦那さんが極度の偏食で野菜をほとんど食べないらしい。食べられる野菜は玉ねぎやキャベツなど、ごく限られているとのこと。Dくんと一緒だね~。と、盛り上がった。
するとDくんは言った。
「ぼくはね、食べようと思ったら野菜を食べられるの。食べようと思わないから食べられないの。」
この言葉の意味がさっぱりわからなかった。
Dくんの保護者であるBさん含め、みんな「なんじゃそりゃ~。笑」となっていた。
その日の夜、私はBさんの家に泊めてもらった。せっかく泊めてもらうのだし、晩ごはんを作らせてもらった。
Dくんは肉にかじりつき、炊き込みごはんの中身を丁寧により分けて、「これは何…?」と確認しては避けながら食べていた。副菜の和え物は元々、彼の前には用意されていない。
栄養士という職業柄、こういう時は食べる方向へ促す仕事をしてきた。けれども、それがすべてでもない。本人の偏食の度合い、食事をしている時の状況(お腹の空き具合・体調…)、保護者の方針など、鑑みるべき要素は非常にたくさんあり、毎食いずれも食べるように促すのが良いかというと、そんなこともないように思う。この時 私は、彼の食事風景を眺めるに徹していた。
今の私は栄養士の仕事をしていない。それゆえ、従うべき職場の理念だって無い。気楽なものである。野菜や家庭料理の良さを知ってもらえたらいいなあという、個人の理念はずっと持っているけれど。
翌朝。朝ごはんも作らせてもらった。
昨日の夕飯で、Dくんの食べられるものがなんとなくわかったので、それに倣いつつ本人に確認を入れつつ用意を試みる。フレンチトーストは食べられると言っていたのでそれと、サラダはハムだけなら食べられるかな?と独断で、入っていたほうれん草を取り除き、Dくんに渡した。するとじーっとお皿を見てひとこと
「これは何?」
そこには、ハムにくっついて取れなかったほうれん草の小さい葉っぱが1枚。めちゃくちゃ小さい葉っぱだったけど、彼にとっては小さな問題ではないのだろうな。私はDくんに謝った。
「ほうれん草。ごめんね。取ろうと思ったんだけど、くっついちゃった。置いといていいよ。」
私は次のフレンチトーストを焼くためにキッチンへ。すると後ろからDくんの声がする。
「あれれ、見てみて!」
Dくんは私に、お皿を見せて言う。
「ほうれん草が、なくなっちゃったよ!」
なんと、食べたらしい。私は驚く。
「え!すごいやん!!食べたの!!」
すると、Dくんは得意げに言うのであった。
「だから言ったでしょ。ぼくは、食べようと思ったら食べられるの。」
それに対して私は、どういう時に「食べよう」と思うのかとたずねたけれど、答えはもらえなかった。
後から思い返して、Dくんの本当の気持ちはDくんにしかわからないのだけど、もしかしたら、来訪者である私が作った料理に敬意を払ってくれたのかもしれない、と私は思った。それならもう少し、ていねいにお礼を言ってみるべきだったなあと、反省をしたのであった。
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