主人公「○○になりきって」は、このゲームでしか味わえない
「ネガティブを潰すのはポジティブではなく没頭」
これは、僕の大好きなある方が著書にて述べた一文である。何かを読んで本当にその通りと実感できたのはそれが初めてで、今もその方を尊敬している。
生まれてこの方ゲームはずっと趣味だったが、その中でも出会ったって良かったと思える物が僕にはふたつある。
ベセスダ・ソフトワークス社の「fallout 4」と
ロックスターゲームス社の「レッド・デッド・リデンプション2」、通称「RDR2」だ。
今日はこのRDR2について書いていこうと思う。なんだろう、レビューではなく、個人的な意見をただぶつけるだけなので、お手柔らかにお願いする。
本当に、アーサー・モーガンとして1日を過ごす
このゲームは、主人公アーサー・モーガンとして1899年、ギャングの時代の終わり掛けをプレイする。それは、よくゲームの帯などに使われる「○○として生きる」の範疇を裕に超えている。
アーサーは朝起きればヒゲや髪が伸びている。綺麗に整えるもよし、伸ばして格好よく決め込んでもよし。それはアーサーに委ねられる。
ギャング団「ダッチ・ギャング」の大幹部であるアーサーは、キャンプで仲間と過ごす。それはただ笑い合うだけの仲ではなく、共に生活をする家族なのだ。起きてからは行動は自由。キャンプの設備投資のためにお金を稼ぐ(動物を狩って毛皮を売り、肉は食料として提供する。他にも釣りや宝探し、賞金首探し、銀行強盗だって可能だ)、キャンプの雑務をする(干し草を運んだり、水を汲んで運んだり)、街へ行き自身の買い物をしてもいい。何なら、朝から酒場で酒を煽り散らかしてもいいのだ。
何故なら、アーサーは、いや、このゲームにある世界が生きているからである。
僕も毎日起きると、「今日は銃を買いに行こうか」「いや、コーヒーとタバコで朝を済まして釣りに出かけよう」等と考えたものだ。
圧倒的リアルの追求
とにかく、このゲームは「リアル」に尽きる。
ファストトラベルというのをご存知だろうか。いや、これを読んでいる人達なら知っているだろう。このゲームにはファストトラベルは厳密に言えば存在しているのだが、それも酷く不自由なものになっている。だが、それでいいのだ。リアルを追求しているからこそ、そういった作りになっている。
そして、このゲームが評価が分かれる原因となっているのが移動時間である。広大なマップを馬で駆け抜けるのだが、当然馬にもスタミナはあるし体力もある。スタミナ切れで足は遅くなるし、銃弾の雨が降れば息絶える。愛馬が殺された時の怒りは、震えるほどだった。
だがそんな移動時間は、美しいアメリカの景色を眺めるのにうってつけである。さらに、道中ドラマだって存在するし、馬に乗りながら明日は何をしようかと考えるのだ。馬上からラム酒を煽り、瓶を地面に落として次の街まで駆け抜ける。爽快なことこの上なかった。
泥を被れば服は汚れるし、敵に打たれて倒れれば帽子が脱げて見失ってしまう。武器も使えば劣化してくるし、弾も勿論無限ではない。良いことをすれば喜ばれるし、悪い事すれば嫌われる。
犯罪を犯せばたちまち指名手配になる。リアルについてはもっともっと語り尽くしたいが、ここまでにしておく。
自分は「ダッチ・ギャング」のメンバー
本当に、このゲームをやっていると自分も「ダッチ・ギャング」の一員なのかと錯覚が起こる。
保安官に終われキャンプを転々とする日々。キャンプで唯一の子供に釣りを教える日々。
この物語は、そんなギャングのリーダーである「ダッチ」(アーサーの相棒)が、徐々に崩壊していく内容になっている。
「家族のため、仲間のため」を筆頭に思う気持ちは同じだが、アーサーとダッチも次第に意見が分かれていく。そして、物語終盤になれば、あれだけ尽力をしてきたキャンプが、居心地の悪い空間へと変わってしまう。ダッチに着いていく者、裏切る者、仲間内での殺し合い。崩壊していくキャンプを見るのが、こういった結末に至るのが、悲しくて仕方がなかったのを覚えている。
もし、可能なら記憶を消してもう一度初めからプレイしたい。何度もそう思える作品に出会えて、良かったと思う。
プレイしていた時間、体はここにあれど心は完全に「RDR2」の世界に住んでいた。これを没頭と言わずになんと言うのか。ネガティブな現実における思考を全て抹消してくれる時間だった。
今は「没頭」が、ゲームより読書の方がより簡単に、より強制的に行われるのでこちらを趣味としている。もうこのレベルのゲームに出会うことは無いのだろうと、思いながら文字を打つ手を止めた。
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