肯定も否定もしない、繊細な僕の親友はそういう奴
年々、付き合いがある人が変わっていく。
武田友紀さんの著書「繊細さんの本」によれば、心の鎧を着て、自分を偽っている時は同じ鎧を着ている人間と親しくなるが、本当の心をさらけ出すと、親しくしてくれる人間も自分と同じような感性の人間になっていくらしい。
読んだ時、その通りだなと思った。
年々、付き合いがある人の人数が減っていく。
昔は地元の人間、前の職場の同期や後輩、関東で出会った友人、おおよそ何10人と接点があったが、今年はほとんど3人くらいになっていた。
それは、自分が繊細でHSPであることと向き合い、理解し、その上で対応をしていったからだ。
自ら切ってしまった関係もあるし、切られた関係だってある。
でも1人、Aという友人とは何年も付き合い続けられている。
馴れ初めから見て貰えるだろうか。
Aは、前の職場で出会った後輩で、とにかく最低な奴だった。
余裕に100kgを超える体型、部屋はテレビでやってるゴミ屋敷の如く汚く、風呂にも入らない、時間も守らない遅刻魔、ギャンブル好きでお金がある時は全然無かった。
会社寮で隣の部屋だったAと、仲良くなった。
…というか、懐かれた。
周りの同期や先輩たちは、Aと仲良くするのは辞めろと言ってきた。
あいつは仕事にも来ない、部屋も汚い、お金も無い、最低限の生活すら出来ない奴だと言われた。
僕は、Aの面倒を見るのを辞めなかった。
理由は1つで、僕はAに何もされた事は無かったし、最低限の生活すら出来てないけど、嫌な奴じゃなかった。むしろ、こんな僕を慕ってくれるいい後輩だった。元より、噂だなんだで判断するのは昔から好きじゃなかった。
何度、Aをご飯に連れていっただろうか。
何度、Aとカラオケでオールしただろうか。
何度、都内へ出かけていっただろうか。
Aと親しくなってから、約1年後だっただろうか。
突然ある日、同期が僕の部屋にやって来て言った。
「A、昨日仕事バックれて、地元へ帰ったらしいよ」
突然だった。
でも、こいつとの別れはいつかは来るだろうなと思っていた。
寮の隣の部屋に行ってみると、いつもと変わらぬゴミ屋敷だったが、いつもいるはずのAはそこにはいなかった。
Aは、そこから1度も、寮に帰ってくることは無かった。
ギャンブルで携帯代を滞納し、携帯を持っていないAへの、連絡手段は断たれていた。
季節は巡りめぐり、Aが消えた日から約2年後まで話は進む。
もう僕も寮を出て転職しており、全く別の仕事をしていた。
かつての同期だった友人から、連絡が来た。
「SNSで、Aの妹を見付けた。メッセージしてみたら、Aの連絡先を教えてくれるらしい」
奴が居なくなった日から、仕事も変えたし、住む場所も変えたし、環境もたくさん変わった。
Aを忘れた日は、1度もなかった。
あんな奴でも、「地元へ帰ります。お世話になりました」の一言を言えないようなあんな奴でも、また会える日は来ないのかと毎日思っていた。
結果、寂しかった。
仕方なく面倒を見てると自分に言い聞かせていたが、
Aへ、情が入っていた。
寂しくてしょうがなかった。あの日々が無くなったことが、寂しくてしょうがなかった。
その日の夜、AのLINEを教えて貰い、
通話をした。
Aは泣いていた。
あんなにお世話になったのに、別れの挨拶も出来なかった。職場から逃げる事に必死で、出来なかった。何度もご飯に連れて行って貰ったのに、ご馳走様ですの一言も言えなかった。本当に反省していると言っていた。
僕は怒りもしなかったし、本当にまた繋がれたことが嬉しかった。心配でもあった。僕は関東、奴は東北に住んでいたが、通話出来る関係にでもまたなれたことが嬉しくて仕方なかった。
僕は友人が極端に少ない。
誘われればどこへでも行くが、自分から人を誘ったことは無い。通話だってそうだ。
でも、Aだけは今でも、
週1回は必ず自分から通話する。本当に何でもいいくだらない会話でもするようにしている。何故、奴にはそれが出来るのか、よく分かった。
寮で隣の部屋だった時から今まで、Aは僕の話や意見を、肯定も否定もせず、ただただ聞いてくれた。
これでいいんだ。これが心地良いんだ。
だからこれからも付き合っていけると思うし、正直、メンタルを保てない僕にとってAはかけがえのない存在になっている。
こんな事を言う日が来ると思わなかったけど、Aは僕の親友だ。
いつかまた、こっちに遊びに来いよ。
色んな遊ぶ場所があるよ、こっちには。
でも、次会えた時は、
7年前と同じように、三軒茶屋の温野菜で食べながらくっちゃべって、カラオケ行ってオールしようぜ。
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