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パスポートを捨てる

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「パスポートを捨てる」 すぐに拾っちゃったけどな。 35年前の話だ。マドリードだった。 この主題の続きを書くつもり。
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美人薄情

 漢江彼岸からタクシーで旧市街まで帰還した主人公は、鐘路のYMCA前で下車する際、借り物のα7000を2台とも持っていないことに気づいた。時系列的には「ブルーライ・トヨコハマを歌えぬタイプ」の続きである。つまり、1987年12月か翌年1月のとある日の深夜だ。  「おかしいな。どこに忘れてきたのだろう」酔っ払いの頭では思い出せない。  左腕の時計をちらり見た。当時たしか、SEIKOのオレンジの文字盤のダイバーズウオッチのレディースサイズか、TIMEXの黄色いアイアンマン・イ

古の新羅の都ぞ、鄙と言うなかれ

 日本で言えばスナックに当たるんだろうか、入口の扉がバタンとやや乱暴に開くと、現れたのはメガネっ娘だった。三ッ編みのおさげに、そばかす顔。小さな肩とまだふくらみきらない胸が上下して上気した様子だ。  その胸を隠すように両手を十字に交差させてなにやら抱えている。  さっきまで主人公たち3人の席に付いていた女の子が店の奥から破顔で駆け寄ると、一言二言打ち合わせ。それから、二人して主人公たちの方に向いて、メガネっ娘が日本語で言った。  「わたしはスヨンです。えー、えー、この女の

ブルーライト・ヨコハマを歌えぬタイプ

 うとうとから覚めて気が付いたらタクシーは漢江を渡っていた。隣では韓国人の若い男がしきりに楽しげにしゃべっていたが、かなりできあがった主人公は彼の英語を真剣に聞き取ろうとはしなかった。  「★&#$△&#」  「ネー」  「+*>&$*?」  「ネー」  黙っているのも申し訳ないので、惰性でネーネーイエーイエー返事した。そして、なぜ俺はタクシーに乗っているのだろうか、この隣の男はだれなのか、思い出そうとしていた。  たしか、今宵のお清めは梨泰院のはずれにある幌張馬車から

When Drink Beer In India.(インドでビールを飲んだとき…)

  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印  押韻 呷飲 往印   ナイロビ空港を発ったときから、右前方席の頭上にある持ち込み手荷物用の天袋(ビン)がガタガタとやかましく鳴いていた。フタが付いた旧式のタイプで、おそらくフタの掛け金が甘いんだろう。ついに、なんかの拍子にバタンと上方に開いてしまった。  フタが開いてしまうことは予め分かっていたようで、搭乗時に客室乗務員はそこは使わせなかったから、荷物が飛び出してくるようなことはなかったが

コッピを食べたらもれなく婚活もらえます

 職場の同僚と酒を飲んでいて、やつがまだ海外旅行をしたことがないというので、「じゃあ、こんどの年末年始にでも行くか」と思い立って、手近な韓国を選んで行くことになった。ソウルオリンピックの前年の師走、つまり、まだハチヤマユミを僭称したままの若い女が猿ぐつわをはめられて金浦空港に降り立ったその月である。  出発までの時間も限られているので、同僚はあたふたとパスポートを申請し、主人公も当時はまだ必要だった査証を取り、たいして吟味もせずに航空券を手配した。とりあえず、最低限の準備が

北緯21度15分35秒のラビュリンス

 表題の数字は、ハワイ・オアフ島のダイヤモンドヘッド頂上展望台の南北座標である。ちなみに経度は西経157度48分42秒だが、この際あまり関係ないと書き手は考えているので、表題では省略した。  「あれ、おかしいな。そろそろ何とかアベニューに突き当たるはずなんだけど…」  レンタカーを運転しながら、主人公が首を‏ひねっている。そして、何度目かの路肩駐車をして、地図をにらんでいる。  そのとき主人公は、同僚に先駆けて7月早々に夏休みをとり、何度目かのオアフ島を楽しんでいた。  

右上端が切り取られていた都立大講師の名刺に関する考察

「右上端が切り取られていた都立大講師の名刺に関する考察」  今は知らないが、当時のスペイン人は英語ができないものと決まっていた。学校教育での外国語がフランス語から英語に替わったばかりだった。だから、背後から英語で声を掛けられたときは、用心するに越したことはないと心の内で身構えておいた。  「何か手伝おうか」  「この町の地図を手に入れたいんだ」主人公は答えた。  マドリッドに着いて一夜が明けた午前中。夜はフラメンコにでも行くとして、日中はとくに急いでやることもないから、

Lusitania espreso, or the topic of octopus shall not exceed approximately one paragraph.

蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸蛸 (ルシタニア・エスプレソ、あるいは蛸の話題は約1行) Lusitania expreso, or the topic of octopus shall not exceed approximately one paragraph.  バンコ・デ・エスパーニャ。  マドリードのシベレス門に近いアルカラ通りに構えるスペインの中央銀行の本店営業部は、日本人バックパッカーだけでにぎわっていた。みなトマス・クックの旅行

贈り物赤道国より来たるあり

「贈り物赤道国より来たるあり」  フジモリ大統領が輩出した隣国ペルーは、1899年に初めて日本人が契約労働者として集団移民して以来の有力な移民先で、現在も十万人余の日系人口を数える。しかし、ここエクアドルは国策で長く移民を制限してきたため戦前からの日系人がいない。戦後、わずかな移住者があっただけだ。口絵のエクアドルバナナの田辺農園のあるじ田辺正裕さんはその一人である。  上司に「おーい」と呼ばれて赴くと、   「エ、エクアドルに行ってくれ」といつものとぼけた声で言われた