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【短編小説集vol.1】鎌倉千一夜〜魑魅魍魎跋扈躑躅の躊躇 

1 馬蹄形の夢

頼朝は完全風水による難攻不落を目指してこの地を選んだ。
地図の通り幕府を置いた土地は三方を山で囲まれ
攻め込むには北西の巨福呂、北東の朝比奈、東の名越、西の長谷を抑えたらあとは海からしか攻めようがない。
これが風水的には完璧で、北に玄武(六国見山の山)、
南に朱雀(由比ヶ浜の海)、西に白虎(長谷の丘)、
東に青龍(滑川の川)をすべて備える。
鉄壁なこの姿は馬蹄に例えてもいい。
この馬蹄の中では都に必要な衣食住が展開し、
開幕以降次々に開基され一級の僧を招いて開山された寺社へは
師を訪ねて材木座の和賀江島船着き場を使い沢山の渡来僧が
修行にやってきた。
当時なりの極彩色を施した寺社はいわば留学生の活気ある
異国語が溢れ今の小町通りのようにさぞ賑やかだった
のだろうと察する。

冬の暖かい日、コーヒーカップとともに外に出る。
バルコニーから見える馬蹄形の奥深いところ、
鶴岡八幡宮の上を白鳩の群れが旋回を繰り返す。
甍の連なりはいつしか視界から薄れ、
千年昔のいち僧への妄想が去来してきた。

僧・明薫は宋の港から20日間かけて鎌倉にやってきた。
建長寺開山・蘭渓道隆を訪ねての来日だ。
途中何度もシケに合いやっとの思いで鎌倉の地を踏んだ。
行李ひとつに身の回りのものを詰め脇に抱え門を叩く。
まだ木肌新しいがしっかりと拭き磨き上げられた床を歩くと
気が引き締まる。
来る日も来る日もこの床を磨いた。
鉢を持ち家々を托鉢で廻った。
仏の教えを唱え、自身の意識とのズレに何度も向き合い、
眼には見えない真理に発熱するほど考えをめぐらし、
未達の自分に嫌気を塗り込みまくり、
ある日、笠より上に視線を上げることもできず
うなだれながらも経を唱えながら歩き続けると、
いつしか砂利の道は砂に変わった。
数時間ぶりに視線を上げるとそこは夕日を写した由比ヶ浜だった。
鎌倉の地を踏んだあの日以来久しぶりの海だった。
海原に太陽から一筋、橙色の道が自分に向かって伸びてきていた。
それは迎えるように差し出された如来の細やかな
腕のように感じられた。
その瞬間、明薫の意識は蒸発する水のように昇天した。
大悟である。
これまでの挫折も拘りも焦燥も嫉妬もすべて無に昇華した。
自身は頭から足まで存在するが、これはかりそめの姿である。
微小な根本が身を構成し、周囲を構成し、宇宙を構成する。
かりそめは葛藤を持ち続ける宿命だが、
根本は自由にたゆたう。
夜空の星の更にその先へ、
あの日の祖母の温かい手へ、
昨日の寝床での絶望へ、
いくらでもたどり着くことができる。
そして仏の教えへも。
目を開けると太陽は稲村ヶ崎に落ちようとしていた。

バルコニーから見える太陽も長谷の山に近づいている。
12月の17:00はさすがに肌寒い。
日に当てていたシクラメンの鉢とコーヒーカップを持って
部屋へと戻った。
妄想の僧は誰だったのだろうか?

2 桃源郷俯瞰

まさかの迷子、林をさまよう羽目になった。
今どき少し歩けば民家に当たるはずだが、
さっきからこの砂利道を歩いても同じような景色の中を
うねるように歩き続けてるばかりなのである。

道の脇の斜面はたいして高くないが垂直の岩なので登って見渡そうという気になれない。まあまだ午後1時なので焦ることもない、
しばらくは里山歩きを楽しもうか。
そういえばスマホがあるじゃないか。
GPSで居場所はあっさりわかったが、
この岩山は航空図には映らず濃い緑の森となっている。
等高線画面に切り替えると火山の外輪山のようにドーナツ型の
地形になっているようだ。
それは周囲数百メートル足らずなので自然地形ではなく
人の手にかかった感じだ。
鎌倉山中に縦横に続くハイキングコースとは隔絶されたこの山。
気がつけば迷っているのではなく、
外輪山に沿って歩いていたようで、先程通った場所に戻ってきた。ずっと斜面は急な岩だった。まるで難攻不落の城壁かのような…。
難なく林を逸れ、家につくとデスクトップの大きな画面に今日の
あの場所を映す。googleマップが備える最大の拡大画面に合わせくまなく見ていくと、常緑樹の繁茂した木々の僅かな隙間に家屋の
屋根のような直線を見つけるに至った。
外輪山に囲まれた土地はおそらく300坪くらいだろう。
建坪の大きくない家屋を太く育った樹木が囲んだらおそらく
あの航空写真のように森のように映りそうだ。
他人の住まいに執着するような趣味はないが、
あの城壁めいた岩の中に家があり、
一周しても門などないとなるとそこはどういった土地で、
あの直線は何なのか気になってしょうがなくなった。
あの岩を越えるには?木々が阻んでドローンも無理である。
どこかに中に続く道があるに違いない、
再度航空図を地図に切り替えると、
森へと流れ込んでいる細い水路があることがわかった。
今日歩いたときにそういえば渡った気がしたが、
歩きを阻むほどの流れではなく、軽く飛び越えただけかと思う。
他には何の手がかりもないので、明日その流れを見に行って
みることにしてPCの電源を落とした。
その流れは衣張山のほうから続いてるようだが、
水量はほんの僅か。おそらく雨水の通り道なのかと思う。
肝心なのはその流れがどういう形で外輪山に流れ込んでいるか
である。昨日のルートをたどると確かにその流れがある。
しかも時が穿ったものとは違う手掘りの穴の中へと流れている。
さらに全く気が付かなかったが、
繁茂した蔦に覆われたやぐらがその脇にあるようだ。
一応持ってきた軍手をはめ蔦を引っ張りどかすと、
人が立てるほどの高さ、そして奥が見えないほどの奥行きがある。この辺はマムシも多いので気をつけながらスマホを
懐中電灯モードにし照らす。
やはりだ。やはりこの城壁は城壁なのだ。
やぐらの奥には木を打ち付けて塞いだと思われる場所がある。
城壁内への入り口に違いない。
しかしこのガードを攻略するのは独りでは無理だ。
今来てくれる人…、こないだ定年を迎えた原さんだ。
原さんならこういったミステリーにも興味を持ってくれるはずだ。運良く家にいて来てくれることになった。
到着まで周囲をもう一度観察する。
暗いやぐらは野生動物の格好の住処となっているようで、
最近のものと思われる糞があちこちに見受けられるが、
人間には気が付かれなかったようで、
塞いだ木材以外に人工物はない。
30分ほどすると大きな懐中電灯や鎌を手にした原さんが到着した。
「いやあ、結構近所に住んでるけどこのやぐらには
気が付かなかったなあ」
「そりゃそうですよ、ただの蔦の壁のようでしたもん」
「しかしここはただの小山かと思ってたんだけど、
言われりゃ城壁みたいだねぇ。
中が気になるわ、早速取り掛かろう」
木材は容易に撤去できた。
しかしそこには一抱えほどの大石が積み上げられている。
その隙間から中が伺えるが見えるのは背の高い雑草だ。
「まあ一つづつどかすしかないな」
先程の木材から太めのを選んで二人がかりで上の石から
突き崩していくと、這いながらでもあちらへ行ける空間ができた。
「まさかの景色ですね」
「想像もしてなかった…」
外輪山のような山は確かにドーナツ型に連なり、
その山を超える高さまで育った木々が点在し
全天候型ドーム球場のような形状になっている。
その枝葉の隙間からしっかりと木漏れ日がはいるので
この空間は明るい。
予想通り300坪ほどの土地には母屋と納屋と池がある。
やぐらが封じられたのはいつなのであろうか?
そのままにされたそれらには現代を感じさせるものはなく、
時の経過の分だけ朽ちているが、決して見すぼらしくはない。
池には先程の流れが注ぎ、落ち葉に覆われてはいるが
その水は枯れてはいなかった。
母屋に近づくに連れそれが茶室であることを確信した。
草に覆われた足元には平らな飛び石が母屋へと続き、
茶室特有の躙口へと導いた。
「おいこれを見てみろ」
「何か実ってますね」
「桃だよ」
茶の庭に果樹は珍しいが、鎌倉の地には向いており
住宅開発が進むまでは好んで植えられていた。
「こんな空間を切り開いてまで茶の空間を作った人は、
相当の数寄者だったんでしょうねぇ。
器や掛け物や香や裂れ…好きなものを難攻不落の繭のような中に
すべて収めて、物思いにどっぷり浸かる毎日…」
「まさに桃源郷だな。
しょうがない、またあの石積んで閉じて帰ろ」

3 鶯谷のビシソワーズ

森は眺めるより入り込んで身を置くのがいい。
湿気や虫など鬱陶しいこともあるのでなるべくはからりと
晴れた日を選んで向かう。
そこは日が昇ってからも木陰を作り続けているため
ひんやりとしている。
木々が光合成ではなく呼吸を行っているため
自身が持つ成分独自の芳香を放ち、その空間に充満している。
その圧倒的な包囲網に本能的に防衛心が働き、
逃げ場を探すように天を仰ぐ。
たくましく張り巡らされた枝葉の隙間に空を見つけ
まずは心が落ち着く。
次第に空間に慣れてくると細部に気が至るようになる。
古株に繁茂する苔に纏わりつく朝露、
こちらを気にするかのように高い枝で
周囲をキョロキョロする小鳥、
空から遮るものなく差し込んだ一条の光に
浮かび上がらされた水蒸気、
森の案内人が如く目の前でホバリングする羽虫。
そこでは自分も野生の動物と化すのが正しい。
ただひたすらに生を求める。
朝の生まれたての空気、芳香を胸いっぱい吸い込み
全身に巡らせる、落ち葉を踏みしめ逍遥し血流を促す。
やがて糧を求めだす。ここからは森での採取、殺生は一旦控え
人知の恩恵に任せたい。
さて妄想。空想のテーブルは八幡宮の東、東勝寺跡地にある。
かつては関東十刹に数えられたこの寺も、
鎌倉幕府終焉の地として新田義貞においつめられ
800人が自害し廃された地となり、後は桃の木が林立する果樹園とされ、やがて放置地となった。兵どもの夢の跡である。
この夢の野原を整備し、野原に隣接した朽ちた洋館を
徹底的に磨くことですっかり様変わりさせ、南仏アヴィニオン帰りのシェフの住まい兼キュイジーヌ(台所)となっている。
人が歩く地面にのみ白い砂利が敷かれ、そこに長さ10mの大きなテーブルを置き、直射日光を避けるようにほのかな木陰を作った。他の土地は風や鳥が運ぶ種子から芽生える植物をそのままにし、
間に様ざまなハーブを植えたことで鑑賞と実益のあるガーデンとなった。三浦に至るまで南関東屈指の農園と相模湾が広がる鎌倉は
食材の宝庫。日々季節のメニュー作りには苦労しない。
その日の食材を得意の水彩スケッチにしているが
独特のタッチも好評だ。
今日は初夏なので今年初の冷たいスープを選んだ。
関谷の契約農家から春植えのポロネギと新じゃが出た
との連絡が届いたから迷うことなくビシソワーズだ。
今日は一日中雲ひとつない天気になるとのこと、
ランチの予約もキャンセルなく、
いつもの20人きっちりの仕込みに取り掛かる。
まだ朝露のついたチャイヴを摘んでいると
葛西が谷一帯に響く鶯の一声。
それは皆がイメージする通りの完璧なものだった。
今年も3月を過ぎて鶯たちが発声練習を始めたが
始めは聞けたものじゃなかった。
最初の「ホー」だけを繰り返すもの、
全フレーズを通すが妙に尻つぼみになってしまうものなど様々。
それが毎朝ルーティンとすることでこの美声に至ったのだ。
さぞ、喉も酷使したことだろう。
今日のビシソワーズはいつもより冷やしておくから、
後で飲みにおいで!

4 躊躇コロッケ

揚げ物専門のこのお店は材木座から逗子マリーナへ向かう道から
酒屋脇の小道を入ったところにこじんまりと佇み、
小道に面したガラス越しにいつもフライヤーが
ぶくぶく泡を貯えていた。
トンカツ、コロッケ、メンチ、ハムカツ…、
お馴染みのオールスターがこんがり色で泡から顔を出し
芳ばしい香りを漂わせている。ここでコロッケを買ったら、
角の酒屋で缶ビールを買い材木座の浜へ向かう。
陽の長い夏は仕事終わりの帰宅途中でも十分日没に間に合うから、
2日に一回ほどのペースでこのサンセット晩酌「浜ビール」
を楽しむわけだ。それは私だけではなく浜に似たようなシルエットがポツポツ並んでいたりする。
皆了解事項として揚げ物は肌身離さないようにし一口ずつ袋から齧るようにしているから頭上のトンビのひったくり対策も万全だ。
稲村ヶ崎に日が沈みあたりが暗くなる頃、
申し合わせたように晩酌は終了し三々午後家路に向かう。
材木座の浜から国道134号下をくぐるトンネルで
久しぶりの顔に出会う。
「あれ、稲田さんご無沙汰してました。
いらっしゃってたんですね、やっぱり浜ビールでしたか?」
「何年ぶりかなぁ、来てみましたよ。
ちょっとは昔のことを思い出すんじゃないかってね」
「なにかお忘れになったんですか?」
「すべてをね」
聞き捨てならない内容なので詳しく聞きたく、
もう一度トンネルを戻り浜に突き出たコンクリート提に
並んで腰を下ろす。
「お恥ずかしいのですが、お顔は見た気がしたので会話を合わせたんですが、実はあなたのお名前も忘れてしまっていて。
去年の冬に脳梗塞で倒れた時頭を打ったようで。
一命はとりとめられたんですが、
いろんなことが記憶から消えてしまったんです」
「そうだったんですか…。私は坂田です。
以前稲田さんの書道教室に通ってました。
おかげさまで会社の定年後も浄明寺で
御朱印書きやらせてもらってます」
「おお、私は書道教室なんかっやってたんか。
このところ字も書かんようになってなぁ」
「お書きになってみますか?」
いつも寺で書く字は同じなので凝り固まらないよう、
参拝客の少ないときは持ち歩いている筆ペンで
いろんな字を書くようにしている。
「こんな紙しかありませんが」
半紙を何枚か丸めた筒から一枚取り出して
コンクリの上の砂を手で払い、半紙を石で重しした。
「ずいぶんと握っておらんが」
稲田さんは中字の筆ペンのキャップを取ると
当時のままの筆さばきで半紙に一画目を置いた。
予想とは全く違い、半紙をはみ出るかの勢いで画数を重ねていく。半紙の元の白い隙間がほぼなくなるかというところで
筆は止まった。みごとな「躊躇」という二文字だった。
稲田さんは疲れたといい書を残し去っていった。
秋分を過ぎると日に日に日が短くなり、
11月では材木座海岸にさしかかる頃にはすでにあたりは真っ暗だ。そんな中、小道の先のフライヤーのガラスは
煌々と明かりを灯している。
引き寄せられた蛾のように自転車のハンドルを小道に切ると
あの芳香が鼻腔をくすぐり寒いにもかかわらず
浜コロッケを決め込むことにした。コロッケを二つ、酒屋で保温庫からワンカップ酒を買い浜に出る。人の姿はほとんどなく、
遅めの犬の散歩をする人くらいだ。
あの日稲田さんと話したコンクリート堤に腰掛ける。
尻は冷たいが風はないので何とかいられる。
冷めないうちにワンカップの封を切りひと口含むと
何とか温まってくる。
稲田さんとこうして話した数日後、
書道教室のあったところへ行ってみたが
更地で放置された感じになっていた。
隣家の庭に老人がいたので聞いてみると、
確かに稲田さんが書道教室をやっていたが、
10年以上も前に救急車が来て稲田さんを乗せていってから
家屋は誰もいないまま放置され、
ある日業者が更地にしてそのままだという。
どこかに引っ越していたからあの時は何年かぶりの材木座海岸だったのか? それとも…。
リュックの中からいつも持ち歩いている半紙の筒を取り出して
稲田さんの書を見返してみてもあの日のままだ。
しかし記憶のないまま反射的に持ち前の筆力で記した字が、
よりによって難解なこの二文字になったことも気になっていた。
その時お腹の上のほのかな熱を感じ、
コロッケを買ってあったのを思い出した。
夜に鳥目が効かないトンビのことは気にせず、
しかし冷気にさらして冷めないよう袋から出さずにかじりつく。
あの日が蘇る。達筆に気が行ってしまい、
二文字を書いたわけを聞かなかったことが悔やまれてきた。
記憶はないがしっかりと浜まで向かってきた稲田さんには
何かを躊躇する事情があったに違いない。が、もはや迷宮入りだ。夏とは違い海岸を通る国道も車の往来は減り、それに反比例して海上に見える星の数は増える。
正確に言うと星のほかにもひときわ輝く人工衛星、
そして神奈川の基地を行き交う軍用機の光たちだ。
「きっとこの光の中の稲田さんがこうしてここに
呼んでくれたんじゃないかな…」
ワンカップが空いたので腰を上げ、
コンクリートの砂を手で払い、あの日のように半紙を広げ、
もう一つのコロッケをその上に置いた。

5 躑躅宿

雨の季節を彩るのが紫陽花なら、
桜の後の鎌倉に色を添えるのは躑躅(ツツジ)。
紗栄子にとっても異論はなかった。
つてをたどりどうにか借りることのできた
この大町の古民家ではあるが、
あまりに開放的すぎて日当たりのいい縁側に腰掛けていても
どうも落ち着かない。
行き交う通行人が結構な割合でこの古民家を眺めていくのだ。
いずれはこの空間を多くの人にも味わってもらおうと
思っているが、この落ち着きのなさは自分の価値観では許せない。そんな悶々とした生活の末、一年を経てこの視界問題を
解決するべく動きだした。やはり目隠しが必要だ。
が、金属やコンクリートの塀は選択肢にはない。
黒焼の杉板、竹枝、いや四季を感じることができ、
通行人にも楽しんでもらえる生垣がいい。
それもどうせなら思い切り華やかなものにしたい。
鎌倉は生垣の宝庫。
ひとしきり街を巡り、マサキ、マンサク、ツゲ、コニファー、
サザンカ…、家々の主張を目の当たりにしたが、
大町安養院の見事な躑躅に惹かれそれに決めた。
躑躅の漢字はつい足を止めてしまうことから
当てられたというだけに咲き誇る姿にはくぎ付けになる。
さて、安養院のように斜面に配し壁の如く植え込むと
目にも楽しい躑躅壁を築けるのだが、
この古民家にはそんな斜面はないので、
通行人の目線より高く伸ばすしかないが、
それでは相当間伸びした印象になってしまいそうだ。
紗栄子は土を盛りそこへ躑躅を並べ植え、土には苔をしつらえた。ことのほかこの作戦は功を奏し、鎌倉の路地を引き立てることになり鎌倉の景観賞ももらう結果となった。
鎌倉の観光客はほぼその日に帰ってしまう。
電車なら北鎌倉で降車し円覚寺~建長寺~鶴岡八幡宮のルートをたどると大体ランチタイムどきだ。では午後をどう使うか。
大抵は長谷の大仏へ向かい江ノ電で鎌倉か藤沢から帰途に就く。
大町観光に訪れる人はごく少数。
ここはほぼ地元の人たちの生活の町なのだ。
が、躑躅が包むこの古民家は違った。
人々が抱く鎌倉のイメージである古都の落ち着き、
文豪好みの空気、潮の香漂う緩やかな時間がここにはある。
紗栄子がカフェを始めたら居心地の良さが評判になり、
自分の居場所を見つけたとリピート客がここでの時間を
目的にやってくるようになった。大抵は一人客だ。
縁側から足をぶらぶらさせながら文庫本を読む女性。
ひたすらノートPCに何かを打ち込む若者。
畳に横になり肘枕で生垣上の空を日がな眺める初老の男。
自分の家のように思い思いの時間をここで過ごしている。
なにかこんな居候みたいな人たちを養う気分も
悪くないと思いつつ、紗栄子は新たな構想を練っていた。
「日帰り観光地なんて鎌倉くらいじゃない。
もっと長い時間過ごしていただだきましょうよ」
近所の友人茜を巻きこんで宿泊を始めた。
ハイランドの桜トンネル、安養院とこの宿の躑躅、明月院をはじめとする紫陽花、滑川とその支流にぼんやり舞う蛍、
報国寺竹林の葉音、銀杏とモミジの混生する獅子舞の紅葉、
鶴岡八幡宮源氏池の牡丹、
半径数キロの鎌倉ビオトープに身を置くと
嫌でも自然の動植物に意識がゆき空や宇宙が身近になる。
東京からわずか1時間のこの土地が特別なのは
間違いなく海の存在だ。
鎌倉幕府の風水では朱雀に位置するこの海が街に
波動というサイクルを与える。大波の日は街も昂る。
はるか太平洋の先の風が水面を叩き
何キロものバトンタッチを経て由比ヶ浜に大波をもたらすのだ。
月の明るい夜、海面の反射光が自分に向かって
ゴールドカーペットを延ばすと、
普段穏やかなこの由比ヶ浜では地球規模の舞台が上演される。
照明、音声、演者全て正真正銘自然界のものだ。
この夜を初めて目の当たりにした者はしばらく釘付けになる。
さて翌朝。夜通し波の砕けた飛沫が大気に残り潤う。
からりとした空気も爽やかで気持ちがいいが、
肌に何か湿ったものが接するような感触は
自身の体も細胞内外の水分で成り立っていることを
改めて気付かせ、さらに地球も大気が包んでいることで
水分が維持され成り立っていることに思いが行き着く。
細胞を構成する原子、さらにその元の素粒子は
そもそも宇宙の元…つまり梵我一如に意識がたどり着く。
朝のビーチのヨギーやヨギーニもウパニシャッドの探求は
より容易なのかもしれない。
自然界の上演がない夜は紗栄子が上演を催した。
三味線も三線もウクレレもボンゴも胡弓も尺八も
鎌倉の夜の波動にぴったりだった。
評判が評判を呼び、紗栄子の宿泊客以外にも湘南地区の住民や
観光客がこれを目当てにやってきて、
先々の上演リクエストに応じるうち規模は拡大し、
バリからガムランを招聘することになった。
ガムランは鉄、銅、錫などの金属系のほか、
自然素材である竹からも作られる鍵盤打楽器を大小幾つも使った
合奏で、ヒンドゥーマンダラのような宇宙観をも思わせる
深く壮大なスケール感なのだ。
さすがに紗栄子の宿では狭すぎると、
材木座の禅寺が境内を解放してくれることになった。
本場のバリでは20名ほどで行うが、絞りに絞って最低限の3人でやってもらうことにした。
晩夏とはいえ鎌倉の夕刻はまだまだ残暑厳しいが、
バリからやってきた3人は涼しい顔で
境内の地面に並べた楽器の調整を進める。
日没の開演を前にうちわを片手に観客が続々と集まり、
ガムラン隊を囲むように円座していく。
紗栄子と茜、そして手伝いを頼んだ近所の友人たちは
バリに倣ってオイルランプを所々に配していく。
禅寺はまさにウブドの寺院の様相だ。
「サマになったわね。もうすぐ日没よ、いよいよ始まるわ」
いくつもの炎が人々、樹木を浮かび上がらせると、
銅鑼が始まりを告げた。
いつもはお鈴と木魚のこの禅寺に新たな音色とリズムが刻まれる。根源の追求に決まりはなく、過程に方式はない。
単打の余韻も連打の波動も宇宙の先への意識を刺激する。
瞳を閉じるとそこはもはや鎌倉でも地上でもなく、我をも超えて、根源が取り囲む梵の中なのだ。
演奏が進むにつれ意識は次元の旅をする。
音が消え目を開く、そこからは鎌倉の新たな夜が始まる。

6 和賀江島小唄

未だ見ぬ遠き国より
流れ着く小舟一艘

故郷のもやいを解いた時
身も心も洋上の浮草に化した
「乗せてけ」
せがむ小さき妹が岬に溶けるころ
舳先に千鳥が降りた

灼熱枯渇の幾夜
朧な灯りはやがて近づき
浮草は入江へと運ばれる
玉石で築かれた船着き場
連なる甍と寺院の鐘が心を震わす

故郷で心を決めた時
故郷は地図の模様と化した
「体には気をつけろ」
それだけを繰り返す母が握らせた
わずかな小銭を卓に残して

大乗の袈裟に替えても
根本への道程は変わらない
ただそこへ向かうのみ
そう信じて

未だ至らぬ遠き夢へと
己の躯を這い引摺って

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