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【短編小説集vol,13】鎌倉千一夜〜早蛍

第65夜 早蛍

何故急ぐ
ゆっくり時を刻みたいのに
東勝寺橋からの水面はすっかり木々に覆われ
5月であるのにすでに初夏の陰影
君たちまで舞い始めたのでは時が進んでしまう

告げられた余命はふた月
振り返るばかりの日々 
それでも進む
記憶には音はない
君たちのようにあっちに飛び点滅する
静かに

呼べど
迎えど
念じれど
手を差し伸べれど
君たちはこちらにはやって来ない

寝着のまま
裏の滑川に出てみたものの
小糠雨に引き返す
私はこれまでとしよう
君たちまた夢で会おう

第66夜 縁側の女時(めどき)

 富貴子はリタイア後に田舎に移住した娘夫婦の新居を1泊2日で尋ね東京郊外の家に戻ると、小旅行ながら疲労した身体を縁側で休ませていた。さすがに80半ばの身には堪える。膝を立て3里のツボを中指薬指を使って圧すると、疲れで感覚が鈍っていた筋肉がやがて我に返りその刺激に張っていたコリがわずかな悲鳴をあげ、やがて楽になる。ここから目に入る庭は小さいながらも手入れを怠らず維持してきた。いつの間にか一番面積を占めるようになった数種の紫陽花はあと半月ほどで三尺玉のような大輪を咲かすだろう。毎年満開の頃、冷酒をここで乾杯していた夫も一昨年他界した。座布団にあぐらをかき、茗荷味噌を舐めてはチビチビとガラスの盃を口に運んでいた横顔が今でも蘇る。夫は“千世は元気かなあ”を繰り返していた。一人娘を嫁に出してからは庭を眺める時間が長くなった。“母さん、あそこに紫陽花を植えないか? 手入れは私がやるから“。それからは毎年新たな品種を植えここまで広がった。

「お父さんが転勤ばかりだったから千世が羨ましいわあ。こんな立派なお家建てちゃうんだもん。私はお父さんの定年後にあの中古住宅に落ち着くまでは社宅や借り上げ住宅しか知らないのよ。だから、キッチンを一番明るい場所に作ったり、リビングよりダイニングを一番眺めのいい場所に置いてこんなに大きな窓を付けたりするなんて夢のようだわ。お料理好きのご主人も素敵じゃない」
「おかげさまで第二の人生は毎日が楽しいわ。それだってお母さんがいつも丁寧にお家を綺麗にしてくれていたのを見ていたからよ。古いお家だったけどいつも柱を磨いたり障子を張り替えたり手をかけたから見違えるようになったわ。それにも増して、とくにお庭は大事に手入れしていたよね。紫陽花は満開を過ぎたらすぐに剪定して家に飾っていたから枯れた花は見たことなかった。庭は明月院みたいにいつだって見事だし、家の中もいつも花があふれていて華やかだったわ。私もそんな風に暮らしたいって思っているの。それなのにお母さんを東京に置いて私はこっちに来ちゃってひどいよね、ごめんね。お母さん、ひとりで寂しくない?」
「ううん、ちっとも。お天気の日に縁側でお庭を眺めていたらそれだけでいいの」 

 ひとりは解放と放棄を併せ持つ。巣を出た後、伴侶を一度でも得たものは一人に戻ることをそう感じる。束縛からの自由かつ看護なき浮遊。身体に不安を抱えた場合は後者の念が心を占拠する。朝目覚めた時に隣にいてくれる、身が重くどうにも動かせない衰弱時に支えてくれる、迷う時に導いてくれる、ふたりでいることのそんな何気ないことは、実は人生の貴重な時間なのだ。冨貴子は庭を見ながらそんなことを思っていた。
「あの時が私にとっての男時だったのね」
能を好む冨貴子はふと世阿弥の言葉を思い出す。勢いのある状態、それが男時。逆が女時。人生これを繰り返す。
「衰弱が女だなんて失礼しちゃうわ」
夫と植えた紫陽花たちは昨年多めに剪定した分、今はこうして盛大に蕾を備え今にも咲き誇ろうとしている。三尺玉のように大きく周囲を照らし、それを上書きするかのように新たな大輪が花開く、まさに梅雨時の色彩の競演。そんな中で山紫陽花の花はとても華奢だが古来の野生種なので半日陰の方で涼しげにしている。
「派手で粗野なのが男時…、だとしたら繊細な状態が女時よ。そうよ、この花たち、陰に追いやられても決して衰弱なんかしてない。勢いがいいなんて見た目だけのことで、実は目立たないものほど着実に何かを蓄えてるの。お父さんがいなくなってひとりになった私は、愁いを蓄えてる。寂しい、辛い、不安、苦しい…、でもそれは必要なもの。男時には決して思い至らないもの。でも身につけなくてはいけないもの」
千世がお土産にくれた信州そばを茹でることにし富貴子は腰を上げた。 

第67夜 葛西が谷 祇園舎

 葛西が谷から腹切りやぐらを抜け山道を行くと祇園山となる。京都祇園神社、つまり八坂神社に由来する八雲神社の鎮守の山であることからこの山を祇園山と呼ぶようになった。山道への道づたい、東勝寺橋のたもとにかつて仏文学者が暮らした民家がカフェとして存在し続ける。文学者は平安の皇室からエロティシズムまで、滑川のせせらぎのようなペースで執筆を続けた。民家を借り受け引き継いだ定岡丈二は間取りをそのまま活かし、縁側のソファ席、畳のちゃぶ台席、台所を向いたカウンター席を設えた。和の古民家へカフェの居心地を融合させた空間は若い世代やインバウンド客に支持され平日も賑わっていた。2階には4畳半の二間があるが、丈二はここを書斎と寝室で使うため、階段の1段目に茶庭の関守石と同じものを置いていた。その意味は記さなくとも欧米人は理解したようで先へ登るものはいなかった。
 先住の文学者をリスペクトする丈二は書斎に多くの遺作を集め、接客の合間に読み進めていたが、ある比較文化論に気になる記述を目にした。
"祇園とは神の園、その音はシオンから来ており、同じユダヤ教始祖ヤハウェは日本で転じて八幡となる"
店名の祇園舎は釈迦が教えを広めた祇園精舎から命名したものだ。精神行為は釈迦のなすことで、自分はただ喫茶で人々の心を鎮めてもらいたい気持ちを込めて精の文字を外し店頭に掲げた。
「この地にも何か込められた意味があったりするのだろうか?」
丈二は閉店後、明日の仕込みを終え品書きにかかる。
#干し柿と鶯きな粉のパフェ
#ダッジオーブンの大納言小豆炊き
#新潟立川屋の玉露
祝日の明日は多くの来客が予想されるので、早めに休みたいところだが、先程の記述が気になり書斎へ向かい、周辺にまつわるいくつかの気になる書籍を順に開いていく。仏教、沙門、バラモン教…、文化や教えが地上の往来により伝わることに不思議はないが、科学なき世にもかかわらず到達し得た量子力学的思考には驚きを隠せない。八雲神社への巡礼の道は、ちょっと見ではただの山道だがもちろんそれは参道で、森の空気を吸い歩みを進めるごとに人、自然、宇宙へと意識が凝縮してゆき、境内に入る時到達する。それは大吾でもなんでもなく摂理の確認作業に過ぎない。眼前の世界は量子結合からなる像であって、それを成しているのが摂理だと。
 いにしえの新嘗祭が転じた祝日、多くの客がやってきて思い思いに席で寛いでいるが、縁側の座布団に座り黙々とペンを走らせる外人がいる。洗いざらした麻の白シャツに黒のサリエリパンツ、長髪をまとめ上げ髭を伸ばし放題にした年齢不詳の西アジア人だ。近寄ると何かのスパイスの香りがし、それが清涼なせいで不潔感は一切なく、むしろ知性を醸成している。茶を継ぎ足す際に覗くとA4ほどのスケッチブックにひたすら文字を書き込み、隙間に図を入れている。文字は馴染みないものなので何を書いたものかはわからないが、図は星の位置のようにも見える。
「stars?」
さらっと聞いてみる。
「quark」
そう返ってきた。
「Can you see it?」
私は冗談のつもりで聞いてみる。
「No.But I feel it.」
そう言うと何枚か書き終えたページを見せてくれた。そこにはペン先で記した無数の点が紙一枚に広がっており、それらを見続けているうちにある像が結ばれてくる。すぐに認識できる点描画とは違い、徐々に姿を現すところがなんとも不思議な点たちだ。男は私に聞いてきた。
「Can you feel it?」
そう言われれば像の出現は感じることができたので軽く頷くと、
「Good!」
男は満足げにスケッチブックを閉じ会計を要求した。

第68夜 奥の舗装みち

 一人旅は気楽。どこで道草したって、いつ昼寝したって、何を食べたって自分の自由。還暦過ぎてからは、家内にも予告なく旅立つ。行く先はどこでも良い、思いたった瞬間の気分で決める。そもそも平日の昼間に行き来する旅人など少ない。1日が移動で終わるからだ。だが私は家から離れてゆく過程も楽しいので、そんな時間をもったいないとは思わない。電車内ではネットで宿を探す。書店でエリアガイドを買い、数日の家族会議を経て宿へ電話予約していた以前に比べたら格段の便利さだ。しかも当日となるとたたき売りの安さだ。旅館なら2食付き、ビジネスホテルならなるべく街中のものにし、夕食は土地の物を出す店を探し朝食だけ付ける。その土地では観光はしない。いや名所名跡には訪れるが、それは物見遊山ではなくブログの素材集めのためなのだ。フリー素材にはない画像は自身で撮るしかない。
 今、山形新幹線に乗っている。山形市内のビジネスホテルを予約した。朝食付き4500円のシングルルーム。価格はもちろん、大浴場がついているところに惹かれた。夕食は駅前の『最がみ』という小料理屋の評価が高いので芋煮を地酒でいただくことにする。いつもそうだが、この旅のブログも山形ガイドではない。新聞で山奥を修行地とする山伏の自然観、人生観、宇宙観を紹介する一般人からの投稿を読み刺激されその磁気に惹かれ足が向いた。投稿した地元の方は毎週末に出羽三山へ登り、山伏の見た世界を辿っているのだそうだ。山岳信仰羽黒修験道の地である三山はそれぞれ、月山は過去を、羽黒山は現在を、湯殿山は未来を表し、山伏はそこで地上から果ては宇宙の摂理にまで意識を巡らす。机上ではない迫真の探究だ。それに比べたら私はどうだ。月山八合目の弥陀ヶ原まで舗道を車で行こうとしている。では登るのか?装備もなければ体力もない。だが車なら行ける、撮れる。迷いはない。明日はレンタカーを借りることにする。
 芭蕉は山寺に耳をそば立て、最上の流れに心揺るがせ、三山から宙を見上げた。それは眼耳鼻舌身意、それぞれの生理的機能に即した速度によるものであった。だが私は現代の速度で生きている。生理的機能も芭蕉の歩いた1689年から三百年強の年月を経て変化しているはずだ。そのこの身、人生を百年としてもとっくに折り返している、もはや自分のために万事を蓄えていくような齢ではない。明らかに蓄えたものを放出するステージなのだ。知恵も物質も惜しみなく放出する。誕生で備わった物質である肉体は願わくば生き得た土地に横たえ、虫、動物、草花木、一切衆生の蓄えに使い切ってもらうことを願う。骨の髄まで。
 かつての難所は舗装された花道となり、空調の整った移動空間の中で瞬時に通過してゆく。車窓の景色はモニター画面のように流れてゆく。冷んやりした谷からの微風も、擦れ合い発する草いきれも、会話するように呼応する鳥たちの鳴き声もなく。私はひとつの句も浮かばず、山伏の足跡も見ることなく山野草蔓延る野原に佇んでいた。

第69夜 月下独酌の大石

雲隠月の闇にため息を吐く
傍の酒甕は丸まった寝猫の如く動じず
私の強張った手のひらに弄ばれている

打坐ほど空せず 研鑽より深い 
独酌の微睡みは
宙を超え須弥へと漂泊する

雲間に月が覗いても
座した大石は温みはしない
ただこの身を微塵に帰すのみよ

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