ショートショート?【行間を泳ぐ魚】

小説を読んでいる時、決まって紙面に顔を出す魚がいた。彼女は常に行間を自由に泳いでいた。
書き出しと二行目の間に決まって顔を浮かべ、彼女は文章の中を泳ぎ出した。はじめは背びれを水面に浮かべ、優雅に泳いでいたかと思うと、突然尾を翻して行間へ潜って行き、しばらくすると、金色の塊を口に含んで、水面に顔を出してきた。僕はその金色の塊を、「真意」と呼んだ。
彼女が「真意」を持ち出してきたら、すかさずペンを取り、「真意」を書き留めた。そうしないといけなかった。なんせ彼女はせっかちだ。真意を口に含むと、たちまちのうちに嬉しそうにバリバリと音を立てて噛み砕き、やがてゴクリと呑み下してしまったのだ。跡には何も残らなかった。
こうしたメモ書きが彼女の持ってきた「真意」をこの世につなぎとめる唯一の「証」だった。
彼女は気まぐれで、持ってくる真意の数も小説によってまちまちだ。作者の肩書きや、タイトルの有名さ、物語の出来の良さは関係ないようだった。冒頭の1章を読んだだけでお腹いっぱいになる程「真意」を持ってきて、「もう食えん」とばかりに太々しくゲップをしていることもあれば、小説を全て読み切ってもただの一度も行間に潜らないこともあった。その時決まって彼女は泣きじゃくりながら「もっと食わせろ」と僕に懇願した。僕は仕方なく、うまそうな小説を与えたのだった。
ところで僕には、小説家志望の友人がいた。名を小泉と言った。小泉は自作の小説を書いては、その小説を僕に送りつけてきた。
小泉の小説は、どこかの文豪を彷彿とさせる流麗な文体で、内容も彼独自のウィットに富んでいて、歯応えがあった。彼は夏目漱石に憧れていると言っていた。もちろん、彼女も小泉の文章は気に入っていたようで、行間を元気よく、すいすいと泳いでいた。
ある日、そんな彼が「自信作だ」と言う小説を、僕に送ってきた。優れた書き手、優れたストーリーテラーである彼の「自信作」なのだ。僕も彼女も心を踊らせた。書きだしの行間に顔を出した時、彼女はまるで豪勢なディナーショーにいかんとばかりに、興奮していた。
2行、3行…と読み進めていき、ストーリーの肝に当たる部位に差し掛かる。どうも彼女の様子がおかしい。顔色が悪く、明らかに苦しそうだ。しかし泳ぐのをやめないため読み進める。小説の見せ場に差し掛かろうとする時、ついに堪えきれなくなったのか、彼女は口を水面に出したかと思うと、「おえええええっっ!!」と大声をあげて、盛大に嘔吐した。あたりは未消化な文字や感情でぐちゃぐちゃになった。
我に帰った僕は、冷静に文字を追ってみた。よくよく見ると、恋文だった。それも、かなり一方的で、偏執的な、恋文だ。ストーカー一歩手前と言わんばかりの狂信的な恋慕の念が、ナルシシズムが、ドロドロとした性愛の様子が、一文字一文字から朦々と立ち込めているような、ネバネバした文章だった。
彼女は人間の汚い感情にまだ慣れていなかったのだ。
慌てて読むのをやめ、僕は綺麗な小説を彼女に与えた。しかし、どうにもならなかった。彼女は食あたりを起こしたようで、どんな美文を与えても、どんなに消化に良さそうな文章を与えても、穴という穴から言葉にならない言葉、感情にならない感情を3日3晩吐き出し続けた。あれだけ彼女が愛していたO・ヘンリーも、コナン・ドイルも、住野よるも、朝井リョウも、まるで効果がなかった。最期は、太宰治の「走れメロス」を与えた時だった。終始虚な目でゆっくり、所々止まりながら泳いでいたが、メロスが灼熱の太陽に負けてがくりと膝を折った時、同じように彼女は白目をむいて水面に横たわった。そのまま二度と動き出すことはなかった。ついに死んでしまったのだ。
この文章は、彼女が生きていた「証」として、実体のなかった彼女がもたらした「真意」として、ここに記すものである。僕は、いまだに彼女がまたひょっこりと行間から顔を出すのを願ってやまない。

#小説
#ショートショート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?