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蓮という人(の、素描) 上

【あわせて読みたい:これは短篇『大人の領分⑤澪里』の付録です。シリーズラストにつき特盛!なにやら複雑な事情を感じさせるこの人に、さまざまな角度から光をあてるこころみ。の、上巻。穂南海という人(の、素描)、誰が悪い訳でもないんです、頑張り屋さんの中にはたまに結果が出すぎて結果的に苦しい思いをする人がいます、答えは自分で出すものです、続きます ほか】

蓮くんの素性というのは実は、よくわかっていません。実母は教育系NPO運営者、現在東欧で活動中の穂南海さんでおそらく間違いないと思われますが、この穂南海さん、蓮が1歳になる直前に当時結婚7年目だった歯科医の男性と、穂南海さんの有責で離婚してまして、親権はこの時に穂南海さんが完全引き取りしてます。詳細は明らかになってませんが、「真面目だけが取り柄の、弱っちい、つまんない人だった」と、苦笑した穂南海がモヤっと話すのを聞いた人は、それなりにいるようです。穂南海は離婚後ほどなくして遊具メーカー営業部のタカラくん(当時25)と年の差電撃婚。2年くらいは、忙しいけれども波風のない共働き世帯だったようですが、穂南海さんの実家の方々が年齢的なところもあって相次いで体調を崩したりして頼りにくくなり、さらに穂南海さんの団体が南アジアに手を広げたところ大ウケし、ホワイトを装いつつも穂南海さん自身はかなりブラックな時期に突入。追い討ちをかけるようにこの時期、タカラくんの会社もそこそこ大きくなり、課長と部長のあいだのエグゼクティブナンチャララみたいなそこそこの地位に上がったタカラくんも、多忙になってしまいました。この時期の蓮に温かく接する人は週末のタカラくんとシッターさんたちになり、実態としてはもはや父子家庭。とはいえ、タカラくんが一生懸命面接して探したシッターさんたちはまさに精鋭部隊、気立てのよい、経験豊富で元気のある人ばっかりでして、なんか入れ替わり立ち替わりだなあと思いながらも蓮は遊び相手に困ることはなく、そうなんです子どもって結構強いところもあるんです、時々はわがままを言ってシッターさんを困らせることで愛着不安を宥めつつも、基本的にはその理性的な判断能力と、恵まれた容姿と、人誑しな性格で、シッターハーレムを形成、つつがなく幼少期を送ったのでした(蓮のハーレム形成能力については、追い追い)。

ご紹介しておきますとこの時期のシッターさんは、自分の子どもが三人とも片付いて寂しくなったおばあちゃんと、蓮と同い年の下の子がいるけど親に任せてパートでお金を稼ぐことにしたおかあさん、幼稚園で働いてたことのある現主婦妊活中のおねえさん。蓮くんのお気に入りはおばあちゃんでしたが、おばあちゃんは夜に弱いため、寝かしつけが必要な日はだいたいおねえさんが担当してました。繁殖適齢期の女性の体が夜になると放つ、むせ返るような性の匂いを吸い込んで眠るのが蓮くんには普通だった事情というのは、こういうところにあります。まさにハスの花のような、美しく安らかな蓮の寝顔を、おねえさんは大変愛でてましたが、それは寝る前、寝転がった上に向かい合わせに乗ってきた蓮くんが、他愛もない話をむにゃむにゃしながら、突然「心臓の音、聴きたいな…」などと頭を胸の谷間に埋める、濃密な時間があったから、という話もあるようです。どっちも羨ましいですねこれ。私なんかは幼少期の蓮くんの頭を胸の谷間に埋めるのも、熟してきたおねえさんの胸の谷間に頭を埋めるのも、どっちも垂涎もの、一生ものの大事件です。はい。

あ、脱線してしまった。私の俗っぽい欲望の話はさておき、一方、穂南海さんはというと…ええ、ここは穂南海には大変難しい局面でした。というのも、実は、熱したのと同じ速度でどんどん、タカラくんへの気持ちが冷めていた、けれど、蓮のことを考えると…。穂南海は決して欲の深いタイプの人じゃないんですね、自分なりに、自分のできる限りのことをして、夢とか人生とかの調和を図った結果、色んな道が同時に通じてしまい、破綻しないのが奇跡みたいなギリギリの状況に陥ってしまって、でも、もう、どうすれば「正解」なのか、わかんなかった。頑張って人のために働きながらも、そして着実に感謝と評価を得ながらも、自分の私生活を顧みて、教育関係者のくせに、とか、産み捨て、とか、お金つぎ込んで解決してるふり、とかいった言葉を、自分で思いついて自分に浴びせ掛ける、非常に苦しい精神状態でした。

一度二人きりを経験しているだけに、あれをこの地でというのは、ない。けれど…。ある停電の夜のこと、真っ暗な部屋で、穂南海さんは初めて一人で泣きました。不甲斐なくて。色んな人に迷惑をかけて、挙句、守り切れないものを口先でだけ守ると言って、結果も、出てるのか、出てないのか、たったひとりで…美辞麗句で誤魔化しながらも結局、団体の意思決定者としてはひとりで…立ち向かい切れない大きな何かに立ち向かおうとして、本当に、そんな資格は自分にあるんだろうかと自問自答もしました。答えなんて出ないんですよ、自分で、出すしかないんです。穂南海は、自分の人生というものがあまりにも自分のものだ、という側面と、自分は一人では自分を支えられない、という側面の、苦しい部分に同時に苦しんでました。きっとこれ以外のあり方がどこかにあったはずだ、と自分を責めながらも、自分でいたいというこの気持ちをどうして殺さなきゃいけないの、と悲鳴をあげる心を、どう収めていいか、わからなかった。

簡単? 日本に帰ればいい?

いま、日本に帰って、蓮くんのいる生活と折り合いをつけて、自分はじゃあどうなのか?…そう、結局わからないんですよ、一緒にいても可哀想、一緒にいなくても可哀想、どうせどこに行っても、頑張ってる「けど」が待ってる。生命に対して責任があるのはわかる、穂南海さんは蓮くんが気軽に「可哀想」と言われるのを誰よりも辛い気持ちで聞いてきて、いつも、もっと頑張れるはずだという気持ちがあって、ずっとそれに追い立てられながら、自分の心の訴えや、自分の体の声に耳を傾け、自分の夢のために、必死にやってきた。蓮というひとつの美しい命をこの世にもたらしたことは、穂南海のそういう、健全に自己肯定しながら生きたいと願う、真っ当なひとりの人としての気持ちをズタズタにするものだった。けれど、同時に、蓮がいない世界なんて、穂南海には考えられないわけです。だって穂南海は、蓮という人に会うためにたぶん、生まれてきた。穂南海は穂南海なりに、蓮に自分の背中を見せたい想いがあって、色んなことに融通つけながら、ズタズタになりながら、頑張ってきました。穂南海はずっと頑張ってきて、糸が切れそうな時もどうにか踏ん張ってきて、やっと、タカラくんの存在が、穂南海の選択肢の幅を広げてくれた。穂南海は、それを、とても幸運なことだと思った。それに対して、タカラくんに対する小娘みたいなふわふわした気持ち、そんな、自分のなかでどうにでもなるようなものを戦わせることは、果たして…?  あるいは、タカラくんだって聖人君子じゃあるまいし、いいんだよ、いいんだよなんてどうして、そんなわけがあるでしょう…?

そう。タカラくんだって、聖人君子じゃ、なかった。穂南海が想像していたのとは方向は違ったわけですが、タカラくんはタカラくんで、葛藤に直面してました。タカラくんは穂南海さんと結婚したのはむしろ、蓮と親子として暮らしたかったからだったんじゃないかと考えるようになるほど、蓮という人の人となりにどハマりしてたんです。穂南海と連絡を取るのがだんだん億劫になり、穂南海が帰ってくるのが次第に面倒になって、会ったってお互いなんとなく疲れてて、そこはかとなく食い違いがあって…二人は、蓮を大事に思う気持ちだけはそのままに、互いを大事に思う気持ちだけが、会うたびに薄れているようだった。かつ、ついにハルカさんと出会ったタカラくんは、穂南海とたとえ利害は一致していたとしてもそんなこと言えるはずもない、同じくらいに閉塞した状況に陥ってたのでした。

…長くなってきたようです。書くのをやめて、つづめてしまうことも考えましたが、せっかくですから、ここから先も端折らずに書き残すことにしましょうか。


続きます:


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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。