しんでくれた
都会に一人で住んでいると、死を忘れて生きていることがある。自分の死にかぎらず、生きものの死、植物の死、誰かの死、いろんな死である。
こんなわたしだから、田舎の実家に帰ると、頬をぶたれたような気持ちになる。
父と弟は、「あすこの〇〇さんが死んだ」「明日は通夜だ」云々、と、そんな会話ばかりしている。母は「悔やみの封筒ってすぐなくなるわよねえ。」とぼやく。
誰もかれも老いていく。迫りくる死も、現在進行形の死も、過ぎ去った死も、ぜんぶがごく身近にある。
ところでわたしの家は牧場である。肉になる牛が300頭もいる。米もつくるし野菜もつくる。
両親は、虫もへびもいのししも平気である。牛は素手でつかまえる。
牛には耳に番号の書かれた札がついていて、それによって管理されている。幼いころ、「なぜ牛は番号なの?名前をつけないの?」と母に聞いたら、「名前をつけちゃったら、お別れが寂しいでしょ。」と言われた。母は幼いわたしに管理云々を説明しても、と思ったのかもしれないが、「ドナドナ」の寂しさは、嘘ではないと思う。たった数年でも、一生けんめい育てている牛だ。病気で死ぬとやっぱり悲しいし、お別れだって、そうであろう。
いい肉になって、高くで売れて、大勢の人にたべてもらいたいというのがせめてもの願いだろうが、今日、国産牛の経済はきびしい。
米も野菜も、これに同じであると思う。
こういう事実のすべてに、わたしはぶたれて帰って来る。
こんな家に生まれながら。なに忘れてたんだと。
日本では「殺生」して暮らす人々が卑しまれた時代があったが、卑しくても卑しくなくても、人間はそれを避けて生きることはできない。
しかし都会にいると、そういうことは「誰かが」やっていることであって、自分には関係ないと錯覚してしまう。パック詰めされた肉を買い、滅菌されたキッチンで調理して、何を「いただいている」かよくわからないまま食べている。
SNSやテレビは、「自分を守るために、他人もろもろは切り離して、これでオーケー」と、非常に効率的である。
ほんとうは。
ほんとうは、自分のために生きものが死に、植物が死に、(もしかしたら間接的に)人が死んでいる。
忘れるなかれ。わたし。
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