見出し画像

心を癒してきてよかったこと

妊娠が発覚した時、「あ、私はこのために癒してきたんだな」って、直感的に人生の次のステージが始まった感覚がした。
「癒す」という意図から、「育む」という意図に移行し始めた。

でも、つわりが始まってから、世界から切り離されたかのように、家族以外には会えず、大好きな学びへの投資もお預け。いつもだったら、2ヶ月に1回は愛媛まで飛んでいたのに、それも出来なくなり、当たり前のように高い周波数に身を置いていたことが、当たり前じゃなかったことに気づいた。高い周波数にいることが当たり前になっていた自分の成長とも言えるけれど、それが減ってしまったことで、「今まで私が癒してきた道は無駄になってしまうのだろうか」という一抹の不安もあった。

でも、それは違ったんじゃないかな。と思う。

心置きなく愛せる

つわりが終わって、動けるようになってからは、稼ぎたいモードで燃えていた私。
だけど、「稼ぎたい」というエゴの声に従い続けることへの違和感も同時に抱えていて、それはだんだんとしんどくなっていった。

そう。エゴの声に従うと、だんだんとしんどくなる。

そして気づいた。

私は、

自由でありたい
やりたいことへの制限をかけずにいたい

でもそれは私自身のニーズであって、「子供のために稼がないといけない」を原動力にすることは、自己実現の責任を子どもに押し付けることと同じ。

私の母は、多分、自由になりたかった。
子どもから離れて、1人でストレスフリーな時間が欲しかった。
でも、そのやり方として、自分勝手に振る舞うことを選択した。

私の中にも、取り込まれた母のエネルギーがあって、そこと同化していたことに気がついていなければ、私だって母と同じように、子どもを理由に自分勝手にエゴを優先して、どのように自分のニーズと子どもへの愛を持ち分ければいいか分からなかったかもしれない。そして、自分のニーズをそのように子どもに責任を取らせるフリをして、自分の人生に責任が持てなくなっていたかもしれない。

このものすごく微妙な感覚の違いは、やっぱり癒しを深め、繊細な知覚を養ってきたからこそ分かるものに他ならない。
思考で色々考えて同じような答えに辿り着いたところで、自分がやってしまったことへの胸の痛みも、本当に感じていたことが分かった時のホッとする感覚も手に入らない。
感覚、エネルギーを理解して内観する必要がある理由がこれだと思う。

母のエネルギーと自分のエネルギーを分離し、自分の内側を感じた。
その時、ただ赤ちゃんを迎えること、もうすぐ会えることへの幸せや愛を感じた。
すごくピュアなエネルギーで、そう感じた。

それと同時に、私には私の、広げたい世界観や伝えていきたい感覚があって、それをやることが私にとっての喜びである。という、自分のニーズを自分で持つこともできた。

誰のせいでもなく、この世は間違いなく自分が創造している。
自分が何をしているのか?にエネルギー的に気がついていくことは、自分の見ている世界を如何様にも優しく平和にしてくれる。

何より、心置きなく、私の中にある「愛したい」というニーズが叶う。
純粋に愛せること。癒していなかったら、色々な私のエゴを引っ付けてしまってただろう。

だから、癒してきてよかったと心から思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?