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追憶(ついおく)

 私は大型のショッピングモールにきている。
    買い物が目的ではない。この場所が、自分の中で、毎日の散歩コースになっているからだ。
 妻と死に別れて、早や10年。私は今年、78歳になる。
 
 ここは、衛生的(えいせいてき)で綺麗なトイレがたくさんあってよい。公園よりもショッピングモールの方が、散歩コースとして私に合っている理由をあげれば、この点が1番であろう。
    2番目には、飲食店に入らずとも、自動販売機がある便利さだろうか。まあ、自分であたたかい麦茶を水筒(すいとう)にいれてくれば、その出費さえなくてすむのだけれども。
 3番目には、適度な距離で設置されているベンチがあがってくる。気の向くままに腰をかけて、買い物客のすくない平日の昼間などには、そのまま読書をしたりしてのんびりと過ごすのがよい。

 だれか顔をしかめる人がいるだろうか? いくら広々としていても、ここは公園ではないし、図書館でもないのだと。あくまでも買い物をするための場所なのだと。
 
 しかし、私の存在は他のお客の購買意欲(こうばいいよく)を高めている。害になるどころか、利益をもたらすばかり。人が人を呼ぶのだから。
 閑散(かんさん)としたショッピングモールなんて、想像してみただけでもつまらない。こういうところは、なるべく人が大勢いて、にぎわっている方がよいのだ。
 屁理屈(へりくつ)だろうか。私とこの場所とは、まさしく共存共栄(きょうぞんきょうえい)の関係にあるということ。そこは認めてもらいたいと思う。
 
 
 いつもは1階の洋服売り場を歩いてまわるだけなのだが、今日はちょっと冒険心がわいていた。
 なにやら催し物(もよおしもの)があるらしい。人が人を呼ぶ。だから、私の方でも、他の人に呼ばれていた。
 私は、その会場のある、5階のフロアまでエレベーターでのぼってみることにした。このショッピングモールの最上階である。

 「ゴリラいるよ~!!」小さな子供が、お母さんの手を引いてよろこんでいるのがみえた。
 着ぐるみでもいるのかと思いながら、その子のいるところまで足をはこんでみた。
 「おお!」思わず、私もうなってしまった。
 それは最新のホログラムという技術をつかった、本格的で立体的なキングコングだったのだ。
 孫たちといっしょに、3Ⅾの恐竜と戦うゲームをしたときは、機械のゴーグルで両目を完全にふさいでいた。視野を映像の世界にあずけてしまうのだから、ジュラシックパークに行けてしまうのもうなずけるというものだった。
 けれども、これは、そんな仕掛けの準備もなくて、そのまま見ているだけなのに、すばらしい完成度であった。
 近ごろの技術がここまで進んでいたなんて……。

 「あっちにもいるよ!!」窓の外を指さして、その子が私に教えてくれた。
 「おおっ! 本当だね~!」隣にみえるビルに、なつかしい映画のワンシーンさながら、あのキングコングがよじ登っているではないか。
 
 いや~、すばらしい!
 私はこの光景に感動をしていた。
 もちろん、キングコングはなつかしい。
 それと同時に、若かったころ、百貨店(こうしたモールではなく、いわゆるビルだった)に遊びに来たときの、あの、なんとも言えない非日常的なワクワク感を思い出していたのだ。
 
 私は、当時、すでに母親に連れられてくるような幼さではなかったが、子供たちにとっては、デパートがあこがれの空間であったことはまちがいないだろう。
 そうだ。振り返れば、ウィンドーショッピングは、入場無料の遊園地。夢のようなキラキラした世界の扉を開けながら、はてしなくつづくおもちゃ箱の中を探検して歩くことだったのだ。
 ちびっ子たちの、贅沢なお楽しみのコースといえば、洋風のレストランでお子さまランチをいただくことか。それに、クリームソーダ。あの緑の炭酸水の、シュワシュワとした爽快(そうかい)な色のときめきは、大人になってもずっと忘れられない。
 私には、バニラアイスとシロップ漬けのさくらんぼの造形までが愛おしく感じられる。まさに、どんなときでも変わらずに、しっかりと思い出すことができる極上の飲み物といえるだろう。

 いま、目の前にいる子供にも、あの‘’ときめき‘’があるのだろうか?
 このゴリラの思い出が、この子の人生にずっと輝いていくかもしれないと思うと、私は底知れない感慨(かんがい)を覚えていた。
 
 ゆたかになった時代。インターネットで好きなものを購入できる世の中。
 しかし、どんなに時代がすすんでも、変わらない子供のよろこび。
 こうして、あたらしい体験をすることだ。
 
 最新式のホログラムに、私は深く感謝をしていた。あたらしい体験に、老人だって、おなじように‘’ときめき‘’を味わっているのだから。 
 そして、ふと、その子の母親に、亡き妻の姿を重ねてもいた。
 「そうか。そうだったのか」私はつぶやいていた。
 入場無料の遊園地—―。
 いまごろになって、急に、彼女がしていたウィンドーショッピングというものが、グッと胸に迫ってくる。

 当時の私は知らなかった。
 高度経済成長をになった企業戦士だったから。
 家庭をかえりみずに、仕事だけに生きていたから。
 
 あるとき、息子が小学生になるというときに、大型の百貨店にランドセルを選びにきたことがあった。ランドセルばかりは、妻と子供に対して、私のお財布から出してあげようと考えたのだ。6年間も(毎日)使い続けるものだし、父親として格好よくふるまいたかったのだと思う。

 ところが、彼女も幼稚園児だった息子も、デパートの中をくねくねと無駄に歩きまわるばかりだった。
 いっこうに、ランドセル売り場に到着しないものだから、私は館内の案内図を参照(さんしょう)しながら、「なにをやっているんだ! こっちだ。早くしないか」と、彼女たちに指図(さしず)をしたものだ。
 「せっかく、3人で来たんですから、こうして楽しまないとねえ……」
 「うん!」 
 お母さんと子供の、しめし合わせた笑顔を見せられると、ひどく居心地が悪くなる。こちらは大事な休みの時間を割いて、家族サービスをしてあげているというのに、息子の笑顔は私に向けられることはない。
 「さっさと買って、帰ろうじゃないか」
 始終、彼女に文句を言っては、効率的で論理的な自分の方を称賛(しょうさん)していたことを覚えている。
 
 あの日、ランドセルを買い終わったあと、私は、結局、途中で帰ってきてしまった。そのことも、我ながらスマートな対応に感じていたものだ。
 用事がすんだら、さっさと帰る。時間を無駄にしない。これぞ、仕事のできる男のあり方。そんな風に思い込んでいたのだ。
 
 「クリームソーダはお母さんといっしょに飲んでおいで」
 本当は、3人で行く約束だったファミリーレストラン。しかし、あの日の私は、その予定をその場で急にキャンセルしてしまった。
 あの時のことを、いま振り返ってみると、やはり気が重くなる。おそらく、子供の目からみれば、一方的で、身勝手な、約束を破る父親でしかなかっただろうから。
 
 あの日、私は、もともと仕事で疲れていた。それにくわえて、あれ以上は妻子の無意味なダラダラした行動に、つき合いきれないと正直に思った。
 男は外で仕事、女は内で家庭。わが家の場合は、それで成り立っていたから。
 私は、いつだって仕事に穴をあけるわけにはいかない。そして、疲れたからだを休めることも仕事の内だった。つぎの仕事に備えなければいけないのだから。
 つまり、ウィンドーショッピングにはつき合いきれない。一般的にみても男とはそういうものだ。とにかく、少なくとも、わが家の場合は、子供のことは家庭の業務にふくまれていた。
 お金だけを渡すようなことはしなかった。ランドセルをいっしょに選びに行った。あれでも私は、かなり良心的な夫であるし、親近感のもてる父親だと満足していたくらいだ。

 その息子も結婚をして、高校生と中学生、2児の父親である。孫たちの成長は、私にとって宝物だったが、それ以上に、息子の父親としての成長を眺めることが貴重な時間であった。
 おかげで、子育てや家庭の雑事。仕事のやり方から、妻との接し方など、さまざまな分野において、自分の考え方を変えてみることができた。
 当時の私には、思いもよらないような態度と方法で、息子はあらゆる物事に対処(たいしょ)をしてくれたから。
 
 私の思い込みは、あの息子を前にして、もろくも崩れ去るしかなかった。そんな言い方はやめておこう。時代がちがうとも思わない。
 息子が、つまり、私とはぜんぜんちがう種類の人間だから。彼ならば、たとえ世の中がいまではなかったとしても、いまのように暮らして、いまのように生きただろうから。
 「秀男(ひでお)は、文字通り、優秀な男だな。名前負けしていない」私は、こんなトンチンカンな台詞(せりふ)をぼそぼそと言って、気を紛(まぎ)らわせるしかなかった。
 
 
 ひさしぶりに、クリームソーダでも飲んでいくか……。
 宝石のようにうつくしくきらめく、あのエメラルドグリーンのジュースを、ひさしぶりに私は飲みたいと思った。
 私がひとりでファミリーレストランへ入って、クリームソーダを注文して、子供みたいにストローで吸って飲むのかと思うと、ちょっと、おかしくなってしまうけれども。
 
 「これも、あたらしい体験かな」亡き妻の面影(おもかげ)はみえなかったが、私は彼女にそっとささやいていた。
 
 退職後だからだろうか。先立たれたからだろうか。
 妻とはめだった会話もなく、何十年も普通に暮らしてきただけなのに。それなのに、いまの自分はよほどの愛妻家だ。そして、彼女が頼りで生きている。
 息子夫婦や孫たち。ご近所や親せきとの距離感。すべてが、こころの中で教えてくれる、彼女のアドバイスが指標(しひょう)となっている。
 思えば、よくできた妻であった。まさしく、良妻賢母(りょうさいけんぼ)であった。
 
 「気がつくのが遅すぎたよな?」
 それでも、支えになる思い出の女房がいることが、どれほどありがたいことか。
 いまを生きている。これからも生きていく。そして、いままでを生きてきた。
 だから、今日は、ひとりでクリームソーダを飲もう。
 ウィンドーショッピングも、これからは楽しむとしよう。
 
 4番目が見つかった。ここが散歩コースとしてよい理由である。
 極上の飲み物に入場無料の遊園地。それは妻との大切な思い出を感じられる場所だから。
 
 息子のことはよくわからない。クリームソーダもいっしょに飲まなかった。
 そして、私はこの散歩コースを失いたくはない。
 けれども、もうじき、私はここを離れて、秀男の家へと移り住む。息子夫婦と同居することになったのだ。
 屁理屈でも、認めてもらいたいことだらけの私——。そんな私だけれども、いままでを生きてきた。そして、いまを生きている。もちろん、これからも生きていく。
 ときには不安もあるだろう。いまのように、気が重くなってしまうことも……。
 
 今日の‘’ときめき‘’、キングコングの思い出が、これからの人生にずっとかがやいていくのは、あの子供よりもむしろ私の方かもしれないな。
 「ふふふっ……」私は、思わず、笑ってしまった。
 なにしろ歳をとって、涙もろくなるというよりは、いろいろと笑いやすくなっている私なのであるから。
  

                          おしまい

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