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「お花屋さんになりたい!」というありがちな夢を叶えなくて良かった話

私の初めて描いた夢は、女の子にありがちな「お花屋さんになりたい!」。幼稚園のお友達のYちゃんとお花屋さんを開くと、卒園のアルバムにはその絵を描いた。
そして私は、Yちゃんにもその同じ夢を共有(強制!?)し、Yちゃんの絵に指図までしたことをよく覚えている。(髪の毛の塗り方まで指示を出していたなあ、、、結局Yちゃんは理解しきれず中途半端に私の書き加えた部分がそのまま卒園生に渡される記念のイラスト集として載っていた、ごめんなさい。細けえんだよなー私)

そのあとの私の夢はいつも移り気。
家族旅行で飛行機に初めて乗れば「飛行機かっこいい!フライトアテンダントになる!」
ドラマの金八先生をみたら「人を感動させる先生になる!」と、ミーハーも甚だしい。

中学生の頃、職業について調べようという課題があり、婦人服のデザイナーであった叔母へインタビューをする。

高校生の頃、親との関係がよくなく、「親の老後なんて見れない。デザイナーになって稼いで老人ホームにぶち込んでやる!」と、通っていた進学校も大嫌いで、逃げるように美術系の道へ。

憎しみからのエネルギーはうまく発散させることができず、美術でも劣等生。「デザインってなあに?」そこからも迷走は続き、2年浪人する間にデザインよりも様々な芸術作品を知ることで癒されて行き芸術に目覚める。アンディウォーホルやオノヨーコに憧れ
「オノヨーコみたいなアーティストになる!」とまたミーハー魂が騒ぎ出す。

大学生の頃、その夢に向かって爆走するも、どうしても自分の突き詰めたいテーマが見つからず自分のアーティスト性の低さに悶々としつつ、大学間の共同展覧会のために渡米するも、なんか思ってためっちゃかっこいくて激しい60年代のアメリカとは違っていて、ショックを受ける。
帰国して、原付で交通事故に2回立て続けにあい、松葉杖生活を余儀なくされる。
治療や交通費などで建て替え額は50万円ほどになり、ビビる。

「フリーター兼アーティスト」を夢見てる場合じゃないと一念発起し
松葉杖で就職活動し、 和菓子職人からエンジニアまで職種関係なく100社受けようとしていたところ、飲食店のデザイナーとして内定をもらう。(和菓子職人ももらいかけた)

3年半カフェやレストランのグラフィックデザイナーとしてむしゃらに働くも(残業、徹夜たくさんしたな)、やっぱり違うなと退職。
ヨーロッパを放浪して、散々芸術をみて回り、
地元に帰ると、センスの素敵なお花屋さんができていたので
アレンジ教室を予約して何回かやらせてもらう。
すっごく癒されて、「そういえば私花屋さんになりたかったんだ」と思い出す。やりたいことが全然わからなくて、「小さな頃の夢が本当の夢」だと思い込み、花屋さんになることを目指す。
お花屋さんに「私DMのデザインとかできます!」と提案をして売り込んで働かせてもらうこと2ヶ月。
花屋としての技術を学び、DMも作る日々。
一人で店頭に立たされたクリスマスの日は、緊張しながら
お客さんの待つ前でクリスマスの赤と茶色と緑のアレンジを作ったら「上等!」と言ってもらえたことは今も鮮明に覚えている。

花屋になるにはどうしたらいいんだろうと、
他の花屋とは違う個性をつけるために花の心理学を高額払って習いに行ったり、花屋の経営のメルマガを読んだり
祖母が老人ホームに入っていたので老人ホームに花を届ける活動はどうかと考えてみたり。だけど、私の未来は、全く見えなくて、わからなくて泣いた。この時は、恐怖心ばかりだったと思う。
結果、2ヶ月後、深夜2時に出発する花屋の仕入れ、朝の渋滞に巻き込まれながらお店に帰ってきたのは朝の8時頃。たくさんの在庫と肉体労働は私には無理だなと、痛感し、諦める。
花屋さんは「見切りをつけるっていうのも大事なことやと思うよ」と私を送り出してくれた。花のアレンジみたいに立体的なものを扱うより、あなたは平面的なもののバランス感覚が圧倒的に得意だよとも言ってくれた。

そこから7年、フリーランスやまた別の会社でデザイナーをしながら、
ずっと私はその花屋さんのDMを毎月、作り続けてきた。
私がジンバブエにいようと、オーストラリアにいようとどこでもネットで入稿してきた。
その花屋さんには恩がある。
会社員として疲れ切っていた私に、デザインの才能を認めてくれ役割をくれ、いかに自分で自分のご機嫌をとることが大事か(回りを好きなもので固めたり)教えてくれた。
そういうわけで、私はお金をいただくのは悪いなとと思って
「毎月のDMデザイン代をお花のアレンジで、ください」と申し出た。
そこのお花の大ファンだったし、お金を介さない方がシェアリングエコノミーというか、おしゃれかなーと思ったから。

でも実際は、忙しい時に頼むのが申し訳なくて、お花を頼まない月の方が圧倒的に多かった。
遠くにいる友達や、母にもちょくちょく送らせてはもらったけれど
結局、私は、花の器が家に溜まっていくのが結構辛かった。
時々母に頼んで、器を返却してもらったりした。

そして、私はもうただ働きするのはやめようと思い
「今月から支払いを花じゃなくてお金にしてください」と思い切ってお願いした。価格はもう通常の1/4でお伝えしたが、それでも毎月の収入は本当にありがたい。
心がすっきりした。これから新しい道へ踏み出すために使う。

最近の私は、お金というものを、ポイントのような感じに思っている。
貯めたいし、自分のためや、人のためのいいことにだって使いたい。

お花は今も大好きだけれど、この今のご時世で
人と連絡をとることがものすごく億劫になってしまい贈ることはほとんどなくなってしまった。
でも今私の庭には、紫と白のいろんな種類の花やハーブを植えてある。
そこから花瓶にその時の気分で生けたり、咲いている花をぼーっと眺めるのが本当に幸せだなあと思う。私の夢は、花屋じゃなかった。
その幸せを感じる心が持てるのは、きっと7年前初めて、疲れた気持ちで、その花屋の扉を開けたおかげなんだなと思う。

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