さようならを、まだきちんと言えていない。竹内まりやの「いのちの歌」を聴きながら思い出した。
竹内まりやの「いのちの歌」を聞いていたら、涙があふれてきて、もう少し泣くところだった。
突然、父のことを思い出してしまったのだ。(たまにこういうことがある)
2年ほど前、3か月という短い最期の時間を一緒に過ごして、静かに逝ってしまった父。まだもう少し大丈夫だと思っていたから、心の準備は何もできていなかった。
私が過ごしてきた人生で、やったこと、やらなかったことで後悔することはほとんどないのだけど、両親、特に父のことは、すごく後悔している。
後悔しても、こればかりはやり直しができないことが、悲しい。あの3か月、父に対してだけでなく、自分の気持ちにすらきちんと向き合えなかった私自身が悲しい。そんな状態で父のそばにいたことが悲しい。たくさんの悲しいがありすぎて、やりきれない。
でもあの時、とにかく私は怖くてたまらなかったのだ。
緩和ケア病棟から自宅へ移った時。介護はいつまで続くのかわからないという事実が私を不安に陥れる。
加えて、仕事を辞めて日本への帰国が必要になるだろうという不安。
さらには、正しい答えどころか、答えの出し方すらわからない状態で、ひとりで問題を解いていかないといけない不安。それらに向かいあうのが、怖かった。
介護を始めると父と二人の毎日。知らないうちにとても弱々しくなってしまった父、食べることが大好きだったのに、ほとんど食べることができなくなった父の姿を見続けるのは、無性につらくて怖かった。
そして、いざ最期が近づいてきたとわかった時には、今度はどうやってその瞬間を迎えればいいのか、まったく思い描くことができなくて、それが大きな恐怖の塊となって、毎日私にのしかかっていた。
怖くて、すべての現実から目をそらそうとしていたのだと思う。
それでも、来るべき時は容赦なくやってくる。
私の準備ができていようがいまいが、来るべき時にやってくる。
私は葬儀の間中、泣きっぱなしだった。アメリカに来て、父と離れていた16年分の涙を流したような気がする。
亡くなった悲しさで泣いたのではない。
最期の3か月にきちんと向き合えないままお別れとなってしまってごめんなさい、と思うと涙がどうしても止まらなかったのだ。親孝行もほとんどしなかった私を暖かく見守ってくれてありがとう、と言ってなかったことを思うと、さらに涙が止まらなくなったのだ。
葬儀の前の晩、私は父に手紙を書いていた。たくさんの「ありがとう」と「ごめんなさい」が詰まった手紙。わんわん泣きながら、それをお棺の中に入れた。
あれから2年半。三回忌もすませた。それでもまだ、きちんとお別れができていないという気がしてならない。
竹内まりやの歌を聴いて泣きそうになりながら、そんなことを考えていた。
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