見出し画像

なぜ、香港〜自主性の手本編

こんにちは、こんぶです。
この記録は、私が卒業論文に「香港」を書くことの想いを整理する「なぜ、香港」シリーズの最終編になります。
そして、今回の「香港」は、自由を積極的に希求する「自主性の手本」としての意味合いを持ちます。

前回のnoteで、私に民主主義の価値を教えてくれた思想的な民主主義の防波堤が香港であるという話をしましたが、今回も少しそれに関連しています。

民主主義の中の「自由」

民主主義の重要な要素と言ったら、皆さんは何を思い浮かべますか?

画像1

三権分立や公正な選挙方法など、「民主主義」という言葉から連想できる要素はたくさんあります。
しかし中でも共通して、きっと皆さんのイメージにあるのが「自由」ということではないでしょうか。

私も、「自由」が民主主義の大切な要素であるという意見には大賛成です。
「民主主義=自由」という図式が必ずしも成り立つわけではないということは承知していますが、健全な民主政治には「自由」は必要不可欠であると思います。
そして、それは間違いなく死守しなければならない基本的な権利です。

香港の自由

しかし現在、香港ではその自由が失われつつあります。
デモを介して政治的な意思表明をする自由はもちろん基本的な言論の自由まで...私がいたころの香港は一体どこに行ってしまったのでしょうか。

しかし、このような状況下においても、香港の人々は自由を諦めていません。そして彼らが求めている自由は、「政府の支配からの自由」という消極的な意味合いだけではなく、「自分たちが自分たちであるための自由」という積極的な側面が見えるような気がします。

画像2

証拠として、逃亡犯条例の香港デモの大きな特徴、「リーダーの不在」が挙げられます。これは、SNSの発展などテクノロジー的な進歩が大きく貢献した面もありますが、私はそれだけではあの規模のデモは実現しないと思っています。
つまり、各々が自主性をもって、「自分が自由を回復しなければ誰が行動を起こすんだ」という意識が醸成されているということなのではないでしょうか。

現代の自由が当たり前になった日本では、みんながみんなフリーライダー状態になってしまっているような気がして私は違和感を覚えます。
私たちは、何か規制があるとすぐに自由が制限されただの安倍独裁だの、消極的自由の主張だけは一丁前にしますが、いざ全くの無政府状態になったらどうするつもりなのでしょうか。

画像3

香港からは、ただなんとなく規制から逃れたいという消極性とは対極の一種の「強さ」を感じます。そしてそれは彼らから感じる、自主性の精神が由来していると私は思います。

まとめ

これまで、3回の記事に渡り私がなぜ香港に興味を持ち、卒業論文という学生の集大成とも言えるようなプロジェクトのメインテーマに設定したのかを説明してきました。

もちろん、個人的にご縁のある土地であるという理由もあるのですが、日本に欠如している実践としての民主主義であったり積極的自由を希求する自主性の精神であったり、その手本として香港を研究するという実利的な意義もあると思います。

まだ、これでは序章しか書けないだろうなという段階なのですが、今後知見を深め、自分で納得できるような卒業論文を書いていきたいと思います。

最後までお付き合いいただいた方ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?