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「夏の終わりに飛ぶトンボと秋のはじまりに鳴くせみがいる」

暑さが空から降ってくる。

頭や背中に突き刺さる熱射光線。

暦では秋に入ったというのに。

出かけるために厚着をしたのを悔やんだ。

この夏の終わりと、秋の始まりの時期が、昔のように過ごしやすい季節ではなくて。暑い夏と、寒い冬のような季節が交互に訪れる季節に変化しているのを忘れ、長袖のシャツを着ていた。

気候の変化についてテレビでは、これを地球温暖化や異常気象と話しをしていた。

夏の終わりにトンボが飛んでいた。

ただ、セミも秋に入ったとは思えないような鳴き声で大きな音を鳴らしていた。
夏のような猛暑の秋の日に。

確か、セミがなき終わった後、しばらくして、トンボが飛び出すと秋が来たんだと感じていたのだけど。

夏と冬の間に訪れる、秋という季節。

読書の秋や食欲の秋、芸術の秋とも言われている。


今、季節が変化している。

日本独特の四季にあった、寒〜い冬の前に、穏やかな過ごしやすい季節を体験するのではなく。

今の秋は、気温の上下が激しく、体にとっては厳しい季節になっている。

この時期に体調を崩す人も増えているとも。

季節の変わりかたが激しいからだろうか。

「秋という季節はもっと過ごしやすかったはずなんだけどぉ」

と、部屋の中で額の汗を拭っている。


私は枕草子で歌われるような、

四季の情景を感じるのが好きでした。今でも。

毎日、きれいな季節が作り出す情景がみられるわけじゃないけど、秋には秋らしい、趣のある季節感を体験したいと、
忘れないように思っています。


最新技術を駆使した映画などでみられる視覚芸術も好きですが、自然が作り出す情景には畏敬の念のようなものを感じる時があります。リアルに臨場感があり、圧倒されます。

恐れと感謝の思いが同時に起きるような感覚です。

秋にみられる、声に出してしまいそうな情景は他にもたくさんあります。食欲の秋にふさわしいもの。さつまいもがふかふかと蒸されてホクホクと食べる情景は平安時代にはなかった、現代のものです。


小さなオーケストラのような音を奏でる秋の虫の音。夜にコオロギたちが、ギギギ、チロチロ、シーンシーンと鳴いている。


季節の移り変わりの節目に、自然にあるものが少しづつ変化をして、姿、形が調和して周りと溶け込んでゆく。

人間の理解を超えた、季節によって自然が変化し、秋の実りを宿し、冬の寒さに対応し、最適された形や姿に変わってゆく。木々の葉の色が緑から茶へ、ドングリやイチョウの銀杏、枯れた葉が地面に広がる様子。その移り変わりの情景の豊かさ。


日本で暮らしていて、その四季折々の風景が、子供の頃からきれいだなぁと感じていました。

その情景の中で子供の頃、よく遊んでいたのを思い出します。釣りに行き、日が暮れ、釣った魚のフナやタナゴを持ち帰りました。

近頃では、涼しい場所を探して、夕涼みしながら秋の情景をたのしみタイト感じています。また、その四季の恩恵をリアルに取り戻したい、リアルに感じたいという願いがあります。


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