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優雅さを大切にする。

今友達からある仕事の依頼を受けていて、
それに取組み中なのだけど、

芸術性というか
美的センスのいる仕事で、

そういう仕事をするときには
やっぱり
自分のコンディションの整え方っていうのがあって。


こういうの、あるな、と今日気づいた。

この仕事をする前には、
こういう心持ちの私でいる、っていうのがあって、
そこに持っていくために、
前準備が色々いる。

バスソルトはこれを入れて、
パックして、
コーヒーはこれ飲んで、
とか

儀式的なあれこれ。

いやいや、コーヒーこれじゃダメでしょ、
と思って、さっき買いに行ったところ。

どんだけ〜!?

と思うんだけど、それが私だな、と気づいた。
多分、まずいコーヒーのままじゃ仕事はできない・・・

ちなみに、前にもどこかで書いたかもしれませんが、
noteにあげているイラストは、いい気分の時・癒しのvibesが自ら出ているであろう時のみに描いています。

今までは、
仕事はさっさと終わらせる!!
みたいな効率化とか合理化重視の
捌く部分だけを考えていたけど、
それってものすごく疲弊する。

やりきったー!みたいなのももちろん爽快なんだけど。

いいものを作るには、
そこまでのプロセス、環境がめちゃくちゃ大事っぽい、私の場合。

と、
考えると、
もっと優雅に仕事をしてもいいのかも、と。

仕事自体の処理能力は多分めちゃくちゃ早いんだけど、
そこに到達するまでの諸々も、実は仕事。

準備して、整えて、仕事して、受け渡す、までが仕事。

私は、自分の仕事に値段をつけるのが苦手なのだけど、w
友達からの仕事依頼は、
“え、こんなに自由に優雅にさせてもらって、いいの?”みたいな
値段を提示してくれる。

なんか、今までは、
こんなにもらうなら!!とめっっちゃくちゃ張り切っていたところがあって。

もちろん、手は抜かないし、ちゃんとはやるけど、
もうちょっと自分の中に優雅さを持ってもいいのかも、と。

私を選んで頼んでくれてるのだから(しかも何度も)、
その“私”を整えるプロセスも大事にしたい、という気持ち。

安い、早い、上手い!(?)みたいなものを求めるんだったら、
他に行ってもらったらいい。

私の世界観やセンス、視点etc.が好きと思ってもらえる方だけでいい。

なんかふとそんなことを考えた本日でした。


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