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繊細さん的八方美人の処世術

私は八方美人。

「八方美人」と聞くと、
私は、あまり良い意味に聞こえない感じがする。

でも、
自分が「人付き合いがうまくいってるな〜」と思う時、
人から「おいとまーさん、ありがとう〜」と感謝される時、
自分が苦しくなく、相手にいい距離感で尽くせる時、

内心、自分自身のことを八方美人だなぁとつくづく思います。

内心では、
・人に嫌われたくない
・自分も人を嫌いたくない・疎んじたくない

と思っているからで、

その心は、
・自分自身が、人を嫌う瞬間を知っているから。
・自分自身が、あ〜うざ、とか、いやだ〜とか、いらっ、イライラ〜と感じる瞬間を経験してきたから。


しかし、そんな状態でいるのは普通にしんどい。
心も体も。そんな目で見ている自分も、嫌だし、そう見えてくる相手のことも嫌になってくるし。そんな自分でいる時って疲れるんですよね、なぜか。とても。
(そして、なんで好きと思った相手を疎ましく感じることになるんだろう?とおかしいな、と疑問に思えてくる。)


今になってわかるのは、
相手との距離感が掴めてないための
苦しさや煩わしさ(わずらわしさ)だったように思う。

相手に気を遣ってて、自分には気を遣ってない。

気を遣う分量が適切でない。
気の遣い方の用法・容量が守れてない。

どうしたら、気を遣う分量が適量がわかるか!?

それは、シンプルに自分に聞くこと。
(本当の本当は自分自身がどう在りたいのか、どう生きたいのかが分からない状態で、相手のしたいことにのっかていた状態)

おいとまーはどうしたい?
どこまでならしたい?
どこまでやったら苦しくなっちゃう?
どう在りたい?

子どもができてから
自分に聞くことを忘れて、思い出し、
自分自身に再度出直してからは、

う〜〜〜〜〜〜ん。。。。。
どうしようかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

となる気持ちになったら、
基本に立ち返って、
自分自身に、

どうしたい?
どっちでもいいんだよ
なんでもいいとしたら、どの方向へ行きたい?
どっちを選択したい?
え?両方?
じゃあ、
どっちも選べる方法を見つける方向へ行こう〜

となることが最近は板についていきた。

私はこの考え方がとても気に入っている。
第3の新しい道を作る感覚だ。

新しい脳内のシナプスを活性化させて
あるいは
宇宙にお任せ・委ねて
あるいは
人事を尽くして天命を待つ。

私にとっては、どれも同義なのだ。
どんな言葉を選ぶかはお好みである。

そうやって、自分の「いのち」を使っています。
「いのち」が喜ぶように使う。


◎もっと精妙(せいみょう)に生きたい人のための
 自分自身への問いかけヒント集↓

・何が嬉しい?
・どうしたら喜ぶ?
・あっちよりはこっち派?
・もっと欲しい?
・もうOK?お腹いっぱい?
・この辺で終わっとく?
・あの人の喜ぶ顔みたい?
・どういく?
・どう在りたい?
・そのノリ・テンション・バイブスで、ここまでできたら嬉しい?
・人生は選択と共振。何選んでもいいとしたらどれにする?
・するかしないか。大きい小さいは関係ないんだよ。やめとく?する?

ありがとうございます♡教材研究費として潤沢に使わせて頂きます♡ヨロコビ〜〜〜🥰