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夕焼けとフライドポテト。

はじめに。

 言葉の企画4回目の課題があなたの「素敵」な人についてというエッセイをnoteに書く」という苦手なもので、どうにも時間がかかってしまった。
就活もまだ終わらないし、圧迫面接もあったりで、気持ちの波が大きすぎてMacを閉じてしまう日が多かった。
素敵な人って?いまそんな事考えていられないんだよなあなんて思ってしまった時も正直ある。トニースタークの事でも書こうかな、とも思ったり。
大学前期も終わるタイミングだったから、課題もあるしテストもあるし、寝てないし、色々なことに疲れてしまった。
でもそんな日々の中で思い出したり、話を聞いて欲しかったり、そばにいて欲しいって思う人がずっといた。「素敵な人」というより「大切な存在」になる。その人のことを書くことにする。

☆ ★ ☆

大ママの話。

 私は母子家庭で育ったから生後一ヶ月半で保育園に入園した。
完全週休二日制になる前だったから、土曜日出勤がある会社が多かったけれど、保育園は半日で終わってしまう。困り果てた母が土曜出勤のたびに私を親戚の家に預けていた。その親戚の家がひいおばあちゃんの家だった。
 ひいおばあちゃんは「大ママ」と呼ばれていた。母が小さい頃につけた呼び名だった。親戚みんながそう呼ぶから、私も自然に大ママと呼んでいた。
大ママはとにかく陽気で、いつも鼻歌を歌っていて、踊っていることも多かった。何よりも安心感がセコム以上。こたつと大ママがセットになっていると永遠に寝ていられるんじゃないかと思う。お腹が空いたと言えば秘密の戸棚からおせんべいが出てくるし、柑橘系の果物が常備してあって大ママの家で季節を感じていた。

一番のおやつは近所のコンビニにあった星条旗のようなパッケージに入ったフライドポテトだった。手をつないで歌を歌いながらコンビニに行く時間が本当に好きだった。夕焼けがきれいだったし、見上げると太陽より大きな存在の大ママがいたから。


 保育園、小学校の運動会には必ず大ママも来てくれた。しかし思春期というもののせいで、友だちに年を取ったおばあさんとお昼を食べているのを見られるのが恥ずかしくなってきた。わざわざ運動会に来てくれているのに態度も素っ気なくなって、友だちとお昼を食べる方が楽しくて、いつの間にか帰ってしまった大ママにも気付かないようになっていた。
大ママの家に行っても、手を繋いでフライドポテトを買いに行くこともなくなったし、いつの間にかコンビニもつぶれていた。

でも大ママと約束していたことだけは、
ずっと言い続けていた。
「結婚式に来て欲しいから元気でいてね」

小学校もおわる年の1月。大ママが脳梗塞で入院した。もうあの優しい大ママではなくなっていた。
話もできないし、私のこともわからない様子だった。あの日ほど後悔した日はなかったし、家族も悔しくて泣いていた。

翌年の七夕の日、
大ママは天の川を渡って行ってしまった。


約束がかなうことは永遠になくなってしまった。

☆ ★ ☆

たられば。

 どれもこれも後悔していることばかりだけれど、一番の後悔がある。大ママが誰にも言わずに遺影の撮影に行っていたということだ。お葬式で初めて遺影を見て知ったことで、遺影用の写真を用意しておこうと思わせてしまっていたことが悲しかった。
もっと一緒にいて、旅行に行ったり、話をして笑ったり、おいしいものをお腹いっぱい食べたり、そういう瞬間を写真に撮って残しておけば良かった。写真を選ぶのが困るくらいの量で。一番好きだった「しょうがないねっ」て呆れたように眉毛を寄せて笑ってる顔。写真に残しておけば良かった。

いつまでもいるとなぜか思っていたから、いまこの瞬間に素っ気なくしてもだいじょうぶ、なんて変な自信を持っていた。家族だし甘えていた。会いに行かなくても無償の愛をくれている自信を持っていた。本当に腹が立つ。

もっといっしょに散歩をしていたら。
もっと遊びに行けていたら。
もっと優しくしていたら。


いなくなってしまってからどれだけ大きな存在だったかわかったなんて、本当に勝手だ。会いたいな。会いたいな。

☆ ★ ☆

おわりに。

素敵な人をテーマに書く時、どんな表現を目指そうか悩みました。このnoteを読んでくれた人が、ほんのちょこっとでも会いたい人を思ってくれたらいいなと思って書きました。
もうすぐお盆になるし、8月6日も来るし、会いに行ってほしいです。

読んでくださってありがとうございました。