バイト最終日に思ったことは「お前みたいにならねーよ」です

いきなりの口の悪さ。すいません。
学生の時の話ですが、おつきあいください。

高校卒業し、進学。バイトも始めた。小さい居酒屋のバイト。
最初に教えてもらったのは、接客の仕方。指導者はお局さんだ。
まずは、いらっしゃいませと大きな声をだすこと。
次に、料理をテーブルにおくときに、「こちらお刺身になります」と変な日本語は使わない。魔法をかけて今から目の前で刺身にするわけではないので、「なります」なんて言わないこと。ピンポンがなったら、すぐにいくこと。など他にもたくさん。
私が最年少、ほかの皆は近くの大学生だったり、ほかにも仕事をもっている人たちだったり、年齢も割と近いので、仲良くなれた。

仕事に慣れてきたころ、お局に、「最近たるんでるんじゃない?たかがバイトっておもってない?やる気あるの?」と怒られた。久しぶりに悔しくて泣いた。たしかに、勉強との両立で、気が抜けていた時もあったかもしれない、でも、たかがバイトなんて思ったことはなかった。
お局に会いたくなくて、裏から帰ろうとしたとき、考えることはわかっているのよと言わんばかりに、「そっちから帰るもんじゃないでしょ!」と大声でいわれた。
そのあとお局は「あの子に、おこっちゃった(てへ)」と先輩に話したらしい。しばらく、戦いは続いたが、私がバイトを辞めなかったのは、周りの先輩が優しかったことと、その先輩がお昼の時間帯に移動になったからだ。
2年続けたバイトの最終日、先輩がそのお局にも挨拶したほうがいいといい、電話で話をした。その時に「あんなに怒ったりもしたけどね、ひとついえるのは、私みたいな大人にならないほうがいいわよ(笑)」と言われた。時間がたつと、思い出は美化されがちである。辞めるその日まで、むかついていたことなんて忘れていた。
だが、その言葉をきき心の中で「ならねーよ」と思った。

言葉はその人の頭の中や心の中に思っていることしか、でてこないと思っている。
だから、こうして何か思いを文字にすることは、頭の中や心の中を素っ裸にしているような感覚もある。あの時、たかがバイトっておもってるんじゃない?と言われた時、その人の中で私はたかがバイトの位置にいたのだと思った。

社会に出たらいろんな大人がいる。尊敬できる大人もいれば、やべーなと思う大人もいる。怒ったあとに、てへっとしちゃうのはやばいやつ①だ。
やべーなと思ったら、距離をおこう。仲良ししなくても仕事はできる。
部下の指導にやたら大きい声を出す上司は、「難聴かな?」と思ってていいし、仕事の出来をやる気で測る人とも距離をおいていい。やばいやつのやばいとこを観察することで、反面教師になる。社会は広いので、尊敬できる大人もたくさんいる。どんな危機的状況でも話し合いのできる上司は最高に頼れる。お局のおかげで、社会の生き方が少しわかった気がする。
そのことには感謝しよう。

どんな出来事も学びがある。といえばキレイだが、やっぱり私は、
‟ありがとう”より ‟お前みたいにはなんねーよ”。思う。(笑)



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