【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・5
1.ヨルダン、イランー2016年 (1)ヨルダン
“言葉にできない”スケール
翌朝は、北海道程度のヨルダンを縦断する形で通るキングス・ハイウエイを南下し、遥か向こうにパレスチナを見渡すネボ山、モザイクの町マバダ、十字軍とイスラム王朝の重要拠点だったカラク城に立ち寄ってペトラへと向かった。
この日は息子の誕生日。前の日にその話をすると、サエルはSIMカードを買っておいてくれてメルボルンに電話をしてくれた。彼にも10歳の娘があり、アンマン市街のアパートに歴史の教師をしている奥さんと3人暮らしで、15年間警察官として働いた後、ツアーガイドにキャリアチェンジしたのだそうだ。だから強面なんだな。
「警官は給料が安くて、仕事に見合わないよ。ツアーガイドは警官ほど神経は使わないし、いろんな人に会えるから楽しい」
ペトラに着くと、ペトラ遺跡の隣りに建つホテルにチェックインをしてくれ、サエルは2日後の迎えの約束をしてアンマンに戻って行った。
古代都市ペトラ遺跡は、エル・ハズネという宝物殿が映画『インディアナ・ジョーンズ』で有名だが、ペトラ全体のスケールの大きさと感動は、写真よりも言葉で説明した方が伝わりやすいと思う。
ずばり、“言葉にできない”のひとことに尽きる。
もちろん、観光客もそれなりに多い。お土産屋も並んでいる(ペトラのお土産屋はもともとこの地域に住んでいたベドウィンで、国が観光地化するにあたって、彼らにはビジネスを許可しているのだそうだ)し、ラクダやポニーライドの売り込みも鬱陶しい。それでも、ここまで知的好奇心と肉体的・精神的充実感を満たしてくれる場所は、タスマニアのポートアーサー以来初めてだった。
2日間有効の入場券で、1日目はツアー会社が用意してくれたガイドが同行してくれたものの、“商売熱心”過ぎる人だったので途中の神殿カスル・アル・ビントで引き取ってもらい、そのまま一人で最後のエド・ディル修道院目指してメインルートを進んで行った。山あり谷あり階段ありの岩石の道を、ちょっとした冒険家気分で歩いていく。太陽と一緒に気温も上がってくるので、汗はだくだく脚はがくがく。帰りは行きとは違ってペトラ教会や岩窟建築の王家の墓を巡りながら、そのスケールの大きさに改めて言葉を失う。
翌日、早起きして歩いたワディ・ファラサへ行くトレッキングルートは、人影がまったくない。案内表示は曖昧なうえに通信機器を含む貴重品はすべてホテルに置いてきているので、事故に遭っても知らせるすべもない。聞こえるのは風の音だけ、見えるのは乾いた砂漠に延々と広がるナバタイの遺跡群。滞在時間がもっとあれば、この一帯をすべて歩き回りたいのだが、昼前には発たなければならない。「また来ればいい」。ただし、次回来たときに歩きまわれる体力があるかは微ミョーなところだ。
午後は、サエルの迎えで次の目的地ワディ・ラムへ。長距離ドライブは2回目になる。ガソリンスタンドで携帯を置きっぱなしで鍵もかけずに車を離れたり、夜勤明けの警官を乗せてあげたり、日本やメルボルンではあり得ない光景を多々目にした。道路脇では時折大きなテントを見かける。
「あ、あれはベドウィン、あれはジプシー」
同じテントでも住んでいる人は違うらしい。私にはどちらも貧しいテントにしか見えない。
「ベドウィンは遊牧民だから、家を持たずに旅をしているんだよ。住めそうな場所があったらそこにテントを張って数か月暮らして、また旅をするという生活。私有地でも公用地でも、ちゃんと働いて生計を立てているから断る人はいない。でも、主にヨーロッパから流れてきたジプシーは、働かずに物乞いをしたり盗んだりして人に迷惑をかけてる。ほら、あれはジプシーのテント」
注意してよく見ていると、ベドウィンのテントは大きめで、そばに羊やロバがいる。内部も台所、居間、寝室と分かれているそうだ、一方でジプシーのテントは小さく、日本の橋の下でも見かけるような粗末なものという違いがわかる。
「ほとんどのベドウィンは都市部に定住して、普通の生活をしているよ。未だに遊牧生活をしているのは、人口の1パーセントもいないだろうね」
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