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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・6

1.ヨルダン、イランー2016年 (1)ヨルダン

ベドウィンの大学生君
 砂漠の真ん中のキャンプサイトに到着したのは、午後4時。
 一面砂漠のこの地域は、古くは『アラビアのロレンス』、最近では『オデッセイ(原題・マーシャン)』のロケ地として知られている。
 宿泊施設は、テントとはいえ内部はオンスイートのベッドルームになっている。サエルも今夜はここに宿泊するらしいが、ここからのガイドは、ジープで颯爽と現れたベドウィンの青年に引き継がれた。名前は覚えられなかったが、大学でビジネスを勉強している彼は、伯父さんがこのキャンプサイトを経営していて、たまにアルバイトで手伝っているそうだ。
 どこまで行っても砂と岩山だけで、まさしく火星。奇岩や渓谷、壁画を巡り、ラクダにも乗った。大学生君は、マット・デイモンが途方に暮れながら座った石で同じポーズをしたり、岩山の上で飛び跳ねたり、インスタ映えしそうな写真もたくさん撮ってくれた。彼は自分がベドウィンであることが誇りだという。
 「ベドウィンって、すごくきれい好きなんだ」
 たしかに、シャツもボトムスも真っ白。サエルもいつも衿付きのシャツを着ている。大学生君はアルバイトとは思えないほど、ヨルダンやこの地域の歴史から政治のことまでよく知っている。ユーチューブよりも読書の方が、いろんな想像ができるから好きなのだそうだ。なんだか甥っ子と話しているような、微笑ましい気分になる。
 「大学を卒業したら、伯父さんのキャンプサイトを手伝うと思うよ」
 いや、それは勿体ないと思ったが、彼なら伯父さんのビジネスをもっともっと大きくできるだろう。
 「ご両親はあなたのこと、きっと誇りに思ってるね」 
 そういうと、照れながらも嬉しそうに胸を張った。
 2時間ほど砂漠をドライブして、大学生君のとっておきという岩山の上で、とっておきの夕日を見せてもらった。若い頃は朝日にこだわっていたけれど、いつの年代からか、夕日の方が好きになった。元気のもらえる朝日、癒される夕日。太陽はどこで見ても変わらない。違うのはその周りだけ。まるで人間のようだ。その人の本質は決して変わらない。変わるのは自分を取り巻く人と環境だけ。社会が変化しても、大学生君にはこの夕日が“とっておき”という気持ちを、いつまでも大切にして欲しい。
 日が暮れて、薄暗くなったキャンプサイトに戻ると、他のゲストが屋外のソファで寛いでいる横で、夕飯の準備が始まっていた。
 「どうもありがとね。楽しかったよ。勉強頑張ってね」
 少し多めにチップを渡すと、驚いたような顔をしていたので、
 「あなたとベドウィンの将来のためにね」
 と、握手をして別れた。 
 
 夕食は、地面に肉や野菜を埋めて蒸し焼きにするグリル料理のビュッフェで、グループ参加が多いなか、私はインドのムンバイから来たという女性二人組と同席させてもらった。私が行くような国で会う人たちは大概が旅行好きで、いろんな国を回っているので、話題は容易に見つかる。そして日本人だというと、“景色がきれいだけど交通費が高い”というのが、日本への一般的な共通認識のようだ。
 ところで、このツアーは、ホテルでの朝食と夕食は代金に含まれている。一日二食の生活になって久しくその方が体調が良いので、今回も昼を食べることなく過ごした。美味しいものは好きでも郷土料理には特別興味はなく、それでもお菓子類は好きなので郷土菓子は積極的に味見もするし写真にも撮る。イスラム圏のビュッフェはお菓子やパンが充実しているのが特徴で、朝からケーキやペストリーがたくさん並んでいるのが何よりも嬉しい。
 6日目はアンマンに戻る途中で死海に一泊する予定になっている。死海に“寄る”だけのツアーもあったが、この後にはイランが控えているので、水着をしっかり乾かしておきたくてホテル泊にした。死海に沿って外国資本のリゾートホテルが並んでいて、建物の裏はホテルのプライベートビーチになっている。私の泊まったホテルにはレジャーランドのような大小のプールやスパもあり、親子連れで賑わっていた。
 一カ月ほど前に50歳にはなったばかりだが、知り合いもいないし、海外では誰も他人のことなんて気にしないので、ビキニを着て死海のビーチへ下りて行った。目的はもちろん“ぷかぷかすること”。ところが沖へ出ようと泳いでも浮力が高すぎてなかなか前に進めず、そのうちに日焼けした腕や脚がびりびりしてきたので、浜から対岸のイスラエルに向かって写真を撮り、プールで泳いでから文庫本を片手に日光浴をすることにした。


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