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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・9

1.ヨルダン、イランー2016年 (2)イラン

 テヘラン再び
 
ようやく10時間の“苦行”も終わり、搭乗アナウンスが入った。
 5時間程度なら日本への行き帰りに、シンガポールのチャンギ空港で普通に過ごせるものの、さすがに陸の孤島での10時間は苦痛を伴う長さだった。
 そして2時間のフライトの後、2度目のテヘラン到着。
 古びた薄暗いターミナルも一週間前のまま。ビザの販売窓口へ行くと、まずは向かいにあるカウンターで旅行保険を買わないとビザは発給できないと言われた。これって押し売り? 旅行保険にはこれまでにたびたびお世話になってきているので、今回もオーストラリアでしっかりと掛けてきている。
 「これ、オーストラリアの旅行保険。面倒臭くなるからほかの保険と併用しないようにねっていわたんだけど」
 ともっともらしい嘘を言いながら、証書を見せる。係りの人はコピーをよくよく見ながら、裏にハンコを押してビザの窓口へ行くようにさっさと返してくれた。食い下がる気満々でいたので拍子抜けだった。
 ビザの窓口では列を作っているほか、周りに何人かが遠巻きになって発券を待っているようで、そのほとんどがバックパッカー風の白人だった。窓口でツアー会社からの招待状(イランはこれがないと入国するのが面倒になる)とパスポート、保険のコピーを渡す。すべて手作業なので、周りの白人の顔を見る限り時間も手間がかかっているようだ。
 長期戦覚悟で、1週間前に座っていたベンチに腰掛けようとすると、ほかの旅行者を差し置いて、私の名前がすぐに呼ばれた。書類の不備かと思ったら、パスポートとインボイスを渡され、支払い窓口へ行くように言われる。ものの数分でビザが発給され、入国審査を通り、無事に入国することができた。
 その昔、日本とイランは相互ビザ免除協定を結んでいたほどの間柄で、80年代後期のバブル時代には上野公園は違法・合法の在日イラン人で溢れていたのを思い出した。そのせいで、イラン国内には日本語を話すイラン人もいるという。日本は他国との外交関係を良かれ悪しかれうまくやっているということなのだろう。調和を重んじるばかりに強固な態度は取らないし、出過ぎたまねもしないのが功を奏しているのかもしれない。海外へ出ると、日本人で良かったと思うことはよくあることで、そしてそのたびに、先人に感謝しつつも、日本人の名に恥じない行いをしようと襟を正すのだった。
 
 さて、入国審査を無事にクリアしたところで、次の懸案事項は無事に迎えが来てくれているかということだ。到着ロビーは小さいながらも普通の国際空港と遜色なく、違うことといえば、そこにいる人のほとんどが男性という点。ツアー会社のアライヤはこの数カ月間のメールでのやり取りで、本当によくサポートしてくれたので、この期に及んで迎えが来ないというのは考えられない。とはいうものの、もし誰も現れなかったらどうしよう。今日はイスラムの週末金曜日なのだ。
 と、そんな心配が膨らむ前に、私の名前を書いた紙を掲げたイケメンが視界に飛び込んできた。
 テヘラン旧市街まで、ヨルダンを凌ぐ荒っぽい運転と交通事情で1時間弱。高層のネガレスタン・ホテルはかなり年季の入った建物ではあったが、ロビーも廊下もゴージャスなインテリアで統一されている。このホテルには2泊なのでまずは洗濯を終わらせよう。今回は移動のことを考えて機内持ち込みサイズのスーツケースにすべて詰め込んできた。ヨルダンもイランも夏なので衣類が薄いうえ、身長150センチと極小体型なので服も靴もコンパクトに収まり、布が少ないので洗濯しても乾きが速い。海外で暮らすには小柄なのは何かと不便なことが多いが、今回この旅行に出て“小さくて良かった”とつくづく感じた。

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