勧善懲悪的な正義にうんざりしている②

1.真っ白で無垢なものだけが善である。そして我々は身を守るためにやられる前にやるべきだ。という考え方は大変にグロテスクで幼稚だ

他の国もそうかもしれんがとりあえず我が国では、芸能人が罪を犯した時、とりわけ違法薬物の所持で逮捕された時には、それまで当人が出演していたドラマや映画、リリースした楽曲がお蔵入りする不思議な商習慣がある。いわゆる「社会的制裁」というやつだ。

ワタシはこれは大変な悪習だと思っていて、可能な限り速やかにやめるべきだと思っている。

アイドル、タレント、アーティストとして仕事をしてきた彼らの社会的責任は、己の仕事で果たすべきだと考えているためだ。

誰だって食べるものがなければ生きていけない。食べるものがないってとっても惨めなことなんだよ。本当に情けなくなる。そんな状況で人生やり直して清く正しく生きなさいなんて、なにバカなこと言ってんの?と思う。

貧すれば鈍する。ひもじければ人は、ただその日生きるために、罪を犯すようになる。更生の道から最も程遠い状態だ。だから常に自分にとって長くやってきて自信のある仕事を奪ってはならないと思う。基本的には。

だが世間は罪を犯した者に冷たい。コミュニティを危険に晒す可能性のある前科者を嫌悪するのは、それがとりもなおさず自分達の生存を脅かす可能性があるからだ。

つまり本能的な忌避行動だし、そうした不安や懸念やその先に嫌悪があるとして、それ自体は人間が死を乗り越えられない以上は完全に撲滅することはできないと思う。

もちろん例外はあるし、性暴力はその例外に当てはまる。先日学習塾の元講師が、塾に通う児童へのわいせつ行為で逮捕されたが、そうした場合には教育分野に戻ることを許すべきではないと思う。

だが、そもそも本件は少年たちへの性暴力加害者であると事務所さえも認めざるを得なかったジャニー喜多川氏は既に亡くなっており、残ったのは彼の虚しい帝国の住人だけだ。

「次期新社長の東山紀之氏が『僕のソーセージを食え』と言った!そんな彼が新社長になるのは不適切だ!」とお怒りの人は多い。

実はワタシも「いやーそんなことがあったんだと疑われる人物を新社長にするのはリスクが高すぎるやろ💦」と思っている。つまり反対である。

が、これはまた別の視点から考えるべきだろう。

2.スッキリしたいだけの人たち

近日中に気が向けばまた書こうと思うが、まさに、今、ここで起きているのは正義のヒーローとヒロインによるショーだ。

完全にもはや被害者が置き去りにされ、もはや主犯となるべき人間は死んでいるのに、本来当人に向けるべき怒りの行き場を探して、後始末のために選ばれた尻拭い役をボコボコに叩いている。それをみて「スカッとしたい」だけの民衆。

近年、「ずっとうろついているから盗撮しているに違いない」と勝手に判断して私人逮捕を繰り返すいわゆる【自治厨】と本質的には何も変わらないのではないか。

ここで第三者の我々の取るべき態度は「もしもそれが本当ならとても新社長には不適切なので即時計画を中止し、第三者機関を入れて調査をして欲しい」ということではないか。今のところそうした建設的な方向性を示したジャーナリストはなく、憶測と思い込みだけで全力疾走し、観客は次なる刺激を求めて騒ぎ立てている。

はっきり言えば本来ジャニー喜多川に向けられるべき嫌悪感や怒りを、GACKT氏や、木村拓哉氏や、井ノ原快彦氏や東山紀之氏やその他の「わたしにとって気に入らない発言をするオス」に投影しているだけのように見える。

とりあえず、今日はこの辺で。

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