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轟洋介、ハイロー制作陣に愛されすぎ問題。


※「HIGH & LOW THE WORST CROSS」を2回しか見ていない轟モンペの雑感であることを留意してお読みください。


ザワクロを観に行きたくてもなかなか行けなかったのでザムからザワまでを擦り倒した上で2回見たあとの感想なんだけれど、制作陣の轟洋介に対する愛情がスクリーンからはみ出しまくっている。
良し悪しは置いといて(轟ファンとしてはうれしい限りですが)、こんなん轟洋介を注視していなくても多くのひとが「おや?」って思うんじゃないの、というくらいの愛。

キャラクターとして生まれてからの命が長いから厚みを持たせなきゃならん、というのは確かに分かる。でもそれを差し引いても彼は、花岡楓士雄という主人公がいるザワ世界において明らかに、なんなら楓士雄すら差し置いてひとりだけ描かれ方が違う。

ここでいう描かれ方っていうのは映像上でのキャラに対するフォーカスとか見せ場を設けるとかではない。

ザワシリーズでは『HIGH & LOW THE WORST(以下ザワ)』『HIGH & LOW THE WORST Episode 0(以下エピゼロ)』を通して鬼邪高全日制たち、及び彼らを取り巻くキャラクターたちが描かれてきた。
それを踏まえた今回の続編で、やはり制作者側としてはこれまでシリーズを生きてきた鬼邪高生たちや人気急増の鳳仙生たちの活躍を本作でも楽しんでほしい意図があったと思う。
するとどうなるかというと、諸々の制約はあるにしろやはりファンが喜ぶキャラクター像を盛り込んでいきたいということになるだろう。

その真骨頂が鳳仙の小田島有剣で、ザワクロでの小田島はキャラ立ちも活躍も、恐らく登場時間も前作の比ではない。
ハイローシーズン2からの戦友である辻と芝マンをすっ飛ばして前作でやり合っただけに過ぎない轟の釣り仲間(しかも轟自身から「一緒にいるのが悪くない」とまで言わせている)というポジションについているし、幼馴染を傷つけられた復讐者としての立ち回りも存分に描かれた。そのうえザワで大きな反響を呼んだ「殺し屋鳳仙だす」「じんかわ~」まできっちり回収されている。
モンジとの唐突な絡み合いシーンも含めとにかく見せ場が多く、その全てに「きっと小田島のこういう姿をみたらファンは喜ぶだろうな」という制作側の意図が見えた。

他のキャラクターに関してもそうだ。
敵に攫われてしまう司とか、後輩の中岡を庇って負傷する中越とか、鬼邪高の先を見据えてひとり贄となる清史とか、これまではそれぞれとんがりまくってまとまるどころではなかった鬼邪高の面々が、仲間や学校のために身を削りひとつになっていく。(すごいおもしろいなと思ったのは、あれだけ派閥意識の強かった彼らが今回は誰一人として己の面子を語らず、あくまで鬼邪高としての話をしてるんですよね。)
これってヤンキーものの王道展開だけど、ではなぜこのセオリーが数々の作品に採用され王道になったかって、身も蓋もない言い方をすれば『うける』からだ。
つまり<視聴者が喜ぶであろうキャラクター像>が描かれているというわけである。
それが本当に喜ばれたかどうかはまた別の問題だけども。

ところが轟洋介に限ってこれは当てはまらず、むしろ<制作側が作りたい轟洋介>の姿が描かれているんじゃないの、とわたしは感じたのだ。
作りたい、ってそりゃどのキャラクターについても作りたい気持ちはあるだろうけれど、この場合の<作りたい>は制作者たち自身がこういう轟を見たい、あるいは轟にこうあってほしい、という意味でとらえてほしい。

むろん轟も、ほかの鬼邪高全日制たちとともに切磋琢磨し、鬼邪高の看板のために拳をふるっている。いや~ほほえましい。転校初日に「SWORDのテッペンとるんだよ」とかヤバ台詞をぶちかましていた人間1年生の面影は、ほぼない。
それどころか三校連合を組んだ瀬ノ門に乗り込まんとする楓士雄たち全日制に向かって、「今回は精神論ではどうにもならねえ」なんて言ってのける始末だ。
おまいう~~~~~~~~~~!???!??!??!?となった。

登場当初は村山しか見ておらず、ザワやエピゼロでも全日制は格下と相手にしていなかった轟が、周囲を見渡しかつ同胞に助言までしている。
これだけでも驚くべき成長と呼べるのに、ザワクロでは「俺ァもう必要ねぇってことか」と声を震わす姿まで差し込まれた。
人間面の成長が著しすぎてうっかり母親になってしまいそうになる。
クールな(???)一匹狼がチームとして肩を組むようになる、こういったキャラ展開はまさに、先述したヤンキー映画の胸アツ展開と言って差し支えないだろう。

ではどこが他のキャラクターと描かれ方の一線を画するのかというと、その答えはストーリー上ではなくもっとメタ的な部分にある。
轟洋介というキャラクターは、自分の在り方に疑問を抱いていた村山良樹の目を覚まし、ひとつ上のステージへ押し上げるために登場した。
言い方は悪いけれど、いわば装置だ。
シーズン2における轟洋介は、SWORDの一角を担う村山、鬼邪高の主人公ともいえる彼のリーダーとして、人間としての成長を促す機能に過ぎなかった。

それはわかる。主人公のライバルキャラが、主人公を際立たせる装置として在るのは物語の定説だ。
ところが楓士雄という新たな主人公が君臨する鬼邪高での轟は、他の主要キャラ(別派閥のライバルたちですね)たちが楓士雄が頭としてのし上がっていくための機能を発揮する一方で、対村山のときに見せた引き立て役的な装置としては描かれていない。
むしろ彼は全日生徒のなかでただひとり、装置としてではなく確立したキャラクター、というキャラクター性を持っている。これが明らかに異質なのである。

主人公がいるにもかかわらず、他キャラクターのギミックを借りずキャラクター性に厚みが出るというのは、シリーズものの、しかもこれだけ人数の出る作品において異例とも呼べるんではないだろうか。
少なくともわたしはほかの例を知らない。
そしてそれは、制作者たちが意図的に彼のキャラクターを肉付けし、キャラクター性を高めていることが理由だろう。

簡単に言うと、要は『裏主人公』みたいなことだ。
裏主人公なんて珍しい話じゃないじゃん、っていうのは確かにそうなんだけれど、よく考えてみてほしい。
この映画の企画制作はHI-AXである。で、轟洋介を演じているのは?ね??
(本当に身も蓋もない)

エピゼロで第二主人公的ポジションだった司でも、辻芝マンを含めた轟一派でもなく外部俳優が演じる『轟洋介』単体が、ストーリーと切り離されたこんなにメタい部分まで掘り下げられているのは、決してLDHファン以外の流入を狙ったというだけではないだろう。
だとしたら轟洋介は“描かれすぎ”ている。

趣味が釣りでその様子をすこしコミカルに語る、三校連合に狙われる鬼邪高のため単身で風雷をぶちのめしてくる、格下ととらえていた全日制たちに助言する、感情のゆらぎを人前で見せる、小田島と共闘する、みんなと屋上で焼きそばを食べる。

極めつけは、合コンをかけたトランプを拾って大笑いする、だ。(しかもこの抜きのカットで映画が終わる)

ザワシリーズだけを見てもどう考えたって楓士雄よりキャラクターの推移が激しいし、なによりおいしすぎだ。ただひとりの装置としてではない存在というだけでも十分なのに、正直視聴者が困惑するほど圧倒的なキャラクターの肉付け。
ぶっちゃけキャラクター性が主人公を食ってしまっているのだ。

制作のうちなのだとしたら正直ザワシリーズとしては大失敗だと思う。
主人公は必ず主人公でなくてはならない。そのうえで、ちょっと愛が勢い余ってああいう感じになっちゃいましたてへぺろ、というのがザワシリーズにおける轟洋介の扱いなのではないだろうか。

そしてこれらを裏付ける決定的なエビデンスは、ほかならぬ平沼監督による「またSWORDに行かないといけない宿命を持った轟に青春をあげたかった」発言だ。
ヤバすぎる。三校連合のモブが持ってたジョイント付きの鉄パイプでぶん殴られた気分になった。

シンプルに愛すぎる。

だからつまり、ザワシリーズ、とくにザワクロにおける轟洋介のイメチェンか?ぐらいのキャラクター変化は決して制作側が視聴者を喜ばせるためのエンタメ要素でなく、『彼に普通の高校生をやらせてあげたかった』という愛であり、その愛が大きいゆえに他キャラクターとは一線を画した描かれ方に見えたんじゃないだろうか、というようにわたしはとらえた。

ていうかザワクロ制作側のひと、村山良樹なのか?
エピゼロからザワまでで轟にアドバイスをしていた村山さんは、轟にこういう景色を見てほしかったんじゃないですかね。


いや正直、直情型脳筋バーサーカー轟がいなくなってしまったのは寂しいんですが、SWORDに混じってコンテナ街の抗争で大健闘した轟洋介(及び辻芝マン)を現役高校生のなかに落とし込むのって制作側としてはめちゃくちゃ大変だったと思う。
描きたいキャラクター像と物語のなかで浮かないキャラクターってのは本当にすり合わせが難しいもので、たとえば今作でよく話題になるのは「轟の強さ」についてがわかりやすい。

バラ商の風神雷神に辛勝したり、小田島と共闘しても須嵜を落とせなかったり、あの村山良樹とやりあっていいセンいった轟洋介の強さはどこいった!?実質全日最強じゃなかったのか!?という感想も散見される。
それに対して制作が持ち出した設定が「轟リミッター制度」だ。
ほんとね、これに関してはもうしょうがないと思います。リミッターを設けたことで轟の見せ場が1個増えたわけだし、むしろ落としどころとして最適解なのでは?とわたしは思う。

だって轟が対村山のような力を発揮して喧嘩してしまったら、普通に人死にが出る。
力の差を考えれば現役高校生なんて轟の敵にもならないだろう。かといって相対したひと全員を余裕でぶちのめしていては頭を張っている楓士雄の立つ瀬がない。

で、リミッター制度だ。
ごく個人的な感想として(ずっとごく個人的な感想しか書いてないけど)わたしはこの設定がかなり好きだ。
というのも、制作陣が必死に肉付けした理想の轟像にいい方向で作用している。
自分の力にリミッターをかけることができる、というのは村山を卒業し、楓士雄に影響されまくっていることで内面的な成長を遂げている証拠に他ならない。
かつて自分のあるべき姿すらわからずただ復讐の鬼神として猛進していた轟は、いまでは自分を顧みる力も、周囲を見渡す力も、守るものもできた。そういう轟になったからこそ、リミッターをかける、という選択がおのずとできるようになったのだ。

ザワクロで轟のタイマンシーンを描かなかったのは、というか描けなかったのは、これまでのファンからもたれている轟のイメージとどうしても付けざるを得なかったリミッター制度の均衡を保つためでしょうね。
最強の轟が好きなひと(わたし含め)には少し物足りない仕上がりだけれど、キャラクターを考えたぎりぎりのラインで設定を着地させていくれているのは本当に助かる。大人の事情だもの。

にしてもひとりでぶっ飛ばした人数が圧倒的に多かったでしょうね彼。小田島がサボテン追って離脱した後のモブ全部請け負ってたし。

余談だが、瀬ノ門の体育館で楓士雄と須嵜が戦っているシーンの後ろでぼんやり映っている三校連合のモブたち、轟がリミッター解除する前から結構ふらふらにさせられている。
それだけでも「轟やっぱつえーわ」なのに、その後マジになった轟に蹴散らされてしまった彼らが不憫でならない。
あとリミッター解除した後の顔が、それまでのしんどそうなものからおなじみの不敵なクソ生意気スマイルになっていたのが最高でした。


いやー書いた書いた。
全部ひっくるめて感じるのは、制作者さんもしかしてザワシリーズを通して轟洋介という少年の人生を描こうとしています???
じゃなきゃあんな、まっとうな高校生みたいな笑顔のカットで映画を終わらせないでしょうよ。
でもあれほんとによかったよね。思い出してもみぞおちのあたりがじわっと熱くなる。

ここまで来たらもう轟の卒業までちゃんとやってくれなきゃ暴れますけど、轟洋介の卒業式なんか見たらもう「お前が産んだんか?」くらい体を折って咽び泣いてしまうだろうな。

わあ、ほぼ5千字も書いてる。よくしゃべるなわたし。
勢いで書きなぐっているので悪文については目をつぶっていただけますと幸いです。
うっかりここまで読んでしまったみなさん、お付き合いいただきありがとうございました。