美術館に飾られている「子供を抱く母親の絵」
最初、青年は母子寮へのボランティアなんて行く気は全くありませんでした。そもそも、どこでやっているのか場所さえ知らなかったのです。なので、行こうと思ったって行けるはずもありません。
けれども、例の気まぐれが出て「そういうのもおもしろそうかな?」と思ってしまったのです。
そこで中野区のボランティアの会長(頭がバーコードハゲのおじさん。この人はこの人でおもしろい逸話があるのですが、その話はまたいずれ…)に連絡を取り、ボランティアをやっている詳しい場所を聞き出しました。この時点で場所を教えてもらえなければ、あきらめるつもりでいました。
ところが、中野区の会長はボランティアが行われている母子寮の場所をちゃんと知っていたのです。このコトが運命をわけました。
もしも、ここで母子寮のボランティアなんかに行かなければ、青年は彼女を「運命の人」と認識せず、その後の人生も全く別のものになっていたかもしれません。
あるいは、それは時間の問題であり、いずれどこかで2人の人生は交錯する運命にあったのかも。そのくらいこの頃は2人が出会う要素があちこちに転がっていたのですから…
*
次の木曜日。
青年は中野区の会長に教えてもらった通り、JRの埼京線に乗って「北赤羽」の駅で降りました。ボランティアの場所は板橋区にあるのですが、最寄りの駅は北赤羽だったのです。
駅を降りると大きな川がありました。青年は川の側の大きな道を真っ直ぐに進みます。
この辺りには大きなマンションもあるのですが、逆に空き地が広がっていたり、平屋建ての家が建っていたりして、空は広く空間にゆとりがあります。
あまり東京らしくはありません。どちらかといえば、地方都市の端っこの方という感じがしました。
「ほんとにこんな場所でボランティアなんてやっているのかな?」と、青年は不安になってきました。もしも場所がわからなければ、そのまま家に帰るつもりでいました。
けれども、どういう偶然か目的の場所に到達してしまったのです。
入り口には「大豆寮」と書いてありました。
「ここか…」と見上げると、なんだかボロボロのアパートとマンションの間みたいな建物で、非常に怪しい感じがします。こんな場所に、あのデートに行く時みたいな格好の女性が待っているとは、とても信じられません。
1階の職員さんに尋ねると「ボランティアは2階の集会室でやっているよ」と言われました。どうやら、ほんとにボランティアをやっているらしいのです。
階段を使って2階に上がり、それらしき部屋の扉をガラッと開けると、子供たちと共に例の女性がいました。またデートに行く時みたいな格好をしています。
「この人、場所に合わせた格好とか考えない人なのかな?」と不思議に思いました。
部屋に入った瞬間、彼女は非常に驚いた顔をして「来てくれたんですね!」と、声を上げました。
「うん、まあ…」とかなんとか言って、青年はそっけない態度で返答します。いつもこの調子なのです。
部屋には10人くらいの子供たちがいます。男の子も女の子もいました。主に小学生。たまに中学生もいますし、小学生に上がる前の子もやって来ます。
子供たちは部屋を出たり入ったり忙しく、正確な人数を把握できません。多い時には十数人。少ない時でも常に4~5人の子がいました。
特に指示はなく、彼女も適当にその辺の子供たちの相手をしていたので、青年もマネをして寄って来る子供の遊び相手をしました。たまに「宿題を教えてよ~」とやって来る子もいました。
勉強を教えるのは得意だったので、チャチャっと教えてあげました。小学校や中学校の勉強なら、さすがに苦もなく解くことができます。
ボランティアは結構長い時間やってて、毎週木曜日の午後5時から午後9時まで行われています。
「え!?こんなコトを4時間もやってるの!?正気なのかな?」と最初は思いましたが、例の女性は淡々と自分の役割をこなしているのです。小さな子と遊んでる時には笑顔を見せたりもしました。
夕日に照らされながら3~4歳の小さな子を抱っこしてる時など、全身から独特の愛のオーラを発していて、まるで美術館に飾られている1枚の絵のようです。
「きっと、この人はいいお母さんになるだろうな」と直感的に青年は感じました。
絵にタイトルをつけるなら「聖母」といったところでしょうか?
青年は不思議な感覚に包まれました。
少年時代の地獄の日々を考えると、この空間はあまりにも異質過ぎたのです。これまでの人生と違い過ぎて現実感がありませんでした。
目の前で行われている光景が、まるで空想の出来事のように思えてきます。
この瞬間、「少年時代より見続けてきた空想の物語の世界」と「現実の世界」を隔てる壁が融解し始めます。ゆっくりゆっくりと、時間をかけながら壁は溶けていくのでした…
noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。