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いざアメリカ!

そもそも、なぜアメリカになど行こうと思ったかというと…

「いずれは!」という思いは、ずっと持っていたのです。アメリカでなくとも、「いずれは、日本以外の土を踏んでみたい!」という思いは心の中に抱え続けていました。

なにしろ、小学6年生の時に中学受験の面接で「世界中の秘境を巡る探検家になりたい!」って言ってたくらいですからね。ただ、目的地はどこでもよかったんです。

結果的に1番最初に訪れた国がアメリカだったというのは皮肉なお話です。だって、そうでしょう?

中学の受験の時、面接官に「行きたい国は?」とたずねられて答えた「アメリカ…」という答えは、心にもない思いだったからです。

「言葉にした瞬間、夢はかない始める」という法則は、ここでも働いてしまっていたわけです。


海外に行こうと思ったのには、もう1つ理由がありました。

竹ちゃんという人を覚えていますか?青年の中学時代の友人で、東京に出てきてからも頻繁に会っていた。

※この時のエピソード


竹ちゃんとは電話でもよく話をしていました。竹ちゃんは歴史が好きで、特に外国の歴史の話をよくしてくれました。確か、高校の時も選択科目は「世界史」だったはず。

塩野七生さんの「ローマ人の物語」(ローマの歴史について書かれた超長い本!)なんかを好んで読むような男でした。

そんな中に、沢木耕太郎さんの「深夜特急」という本の話が出てきます。さっそく青年も購入し、一気に読破しました。ムチャクチャおもしろい本でした!

沢木耕太郎さんは「海外に1人旅に出るのは26歳が最適だ」という言葉を残しています。若くして外国を訪れても良さがわからないだろうし、ある程度経験を積んでからの方がいい。早過ぎず、遅過ぎず。26歳がちょうどいいというのです。

この時の青年は23歳。沢木耕太郎さんの言う年齢には3年届きません。しかも、1人旅ではありませんでした。

「でも、行くならここかな?」という直感が働きました。

「なにも演劇で忙しいこの時期にしなくても…」と、多くの人たちは思ったかもしれません。けれども、いきなり単身東京に出てきた時も「ここだ!」というタイミングが自分でわかったのです。あの時と同じでした!


当初、青年は弟と2人でアメリカに行くつもりでした。ところが、電話で話している内に竹ちゃんも一緒について来ることになりました。3人の方がホテル代も安く済むことがわかったからです。

基本的なルートは「ニューヨーク → ラスベガス → ロサンゼルス」の3都市。滞在期間は2週間。

最初は「ニューヨークだけでいいんじゃない?ニューヨークだけでも1ヶ月いても回り切れないよ」などと言われていましたが、青年は非常に飽きっぽい性格。常に移動する欲張りパックに決めました!

その代わり、ホテルや飛行機の手配は全部青年が1人でやりました。新宿のHIS(旅行代理店)の窓口で直接交渉し、日本とアメリカの往復チケットを手に入れます。途中で飛行機を乗り換えて4都市まで訪れることのできるチケットです。

ホテルは高かったので、HISを通さずに直接予約するつもりでしたが、手配がつかず、生まれて初めての海外ということもあり、最初の3日だけHISで予約しました。ニューヨークのミッドタウンにある「チェルシー」という名の「中の上くらいのちょっと高級なホテル」です。

青年と弟は海外初体験。竹ちゃんは、確か2度目か3度目だったはず。香港だかシンガポールだかを訪れたことがあると言っていました。3人とも英語は全然しゃべれません。でも、どうにかなるでしょう!

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