10年後の未来を空想してみる

「10年後、何をやっているのだろうか?」と空想してみる。

たとえば、「このnoteで出会ったメンバーとはどうなっているだろうか?」と空想してみる。


ヘイヨーさんも飽きっぽいので、半年もしたら興味の対象が別に移ってしまい、完全に放置してアクセスすらしなくなっているかもしれない。

あるいは逆に、次から次へと興味の対象が移りつつも、その時々で興味のあることについて書きながら10年後も更新し続けているかもしれない。


ここで出会った人たちはどうなっているだろうか?

どのような関係になっているのだろうか?


1つの可能性として「それぞれの得意分野で一線級の活躍をしている」というものがある。

みんなそれぞれの道を極めながら、良い作品を生み出したり、世の中に影響を与えたり、あたたかい家庭を築いたりしながら暮らしている。

趣味や仕事や家庭で忙しくしながら、それでも時間の隙間を見つけては自分の文章を書いたり、コメントをし合ったりしている。

「そういうのもいいな」と思う。

その未来はハッピーエンドのひとつ。


別の可能性として、「てんでバラバラ散り散りになり、言葉を交わすことすらなくなっている」というものがある。

中にはこの世を去ってしまった者もいるかもしれない。病気か事故か自ら命を絶つか、もっと別の理由か?

そして、生き残った内の1人が、廃墟となったこの場所を何かの気まぐれでフラリと訪れる。

「ああ、そういえばあんな時代もあったな。みんなと楽しく交流し、切磋琢磨しながら腕を磨いていた時代。太陽みたいに光り輝いていた時代が確かにあったのだ…」と哀愁にひたる。

それはバッドエンドのひとつ。


あるいは、こういうのはどうだろうか?

この場所で出会った人たちが集まり、共通の目的に向かって一致団結して戦っている。

たとえば、会社をおこすとか。もっと別の形かもしれないけれど。いずれにしても実際に顔を合わし、共に暮らし、長い時間を共有する。

きっと距離が縮まり過ぎると、お互いの嫌な部分も見えてしまうことだろう。

インターネットというフィルターを通していさえすれば、自分の欠点や嫌な部分を極力見せずに済む。でも、物理的接触をすればそうはいかなくなる。

それでもお互いの欠点も受容しながら、どうにかこうにか仲良くやっている。共通の目的のため、あるいは共通の敵を倒すために細かい欠点など気にしている暇もなくなっているかも。

悪くない。そういう未来も悪くはない。


どの未来を選ぼうとも、きっとこの瞬間この出会いと経験は、良き思い出となり糧となるだろう。


noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。